■寺尾常史(てらお つねふみ)
□肩書き
大相撲力士(関脇)※02年引退
大相撲年寄
□本名
福薗好文(ふくぞの よしふみ)
□年寄名
錣山
□生年
1963(昭和38)02.02(水瓶座/A型)
□没年
2023(令和05)12.17(享年60)うっ血性心不全
□出身地
東京都墨田区横網
□出身校
墨田区立ニ葉小学校
墨田区立両国中学校
安田学園高校中退
□略歴
79年(16歳)7月場所で初土俵。
85年(22歳)3月場所で新入幕。
89年(26歳)3月場所で新関脇。
※通算成績:
860勝938敗58休、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞1回、金星7個
※主な出演:
テレビ「踊る!さんま御殿!!」
□趣味
野球観戦 散歩 ボウリング
□サイズ
186㎝ 靴のサイズ28.5㎝
■寺尾常史
□幼少時代〜
・父親は元大相撲力士(元関脇鶴ヶ嶺、もろざしの名人だった)。
・母方の祖父は元大相撲力士(第25代横綱西ノ海)。
・兄が2人いる。
・離乳食はちゃんこ鍋だった。
・父親はとても恐かった。
自分からは話し掛けなかった。敬語で話した。
地方巡業で家にいない時はほっとした。
家事の手伝いで手を抜くとこっぴどく怒られた
(家族の布団の上げ降ろし、毎週日曜日の大掃除)。
3人兄弟の誰かひとりが悪さをすると連帯責任で全員がおしおきされた。
・子供の頃、おやつがわりに煮干しを食べていた。
・幼稚園時代、帰りのバスの中でウンコを漏らしてしまった。
・小学校時代、野球が大好きだった。相撲には興味がなかった。
・小学校時代、毎食丼飯を5杯以上食べていた。
・小2の時、トラックにはねられて右足を複雑骨折。
・小5までおしゃぶりをして寝ていた。
・中学時代、成績は良くなかった。
新聞を読むのが好きだったので国語だけは偏差値70以上だった。
・中学時代、バレーボール部(1年の途中で退部)。
・中学時代、番長にケンカで勝ったのをきっかけに内気な性格が明るくなった。
・中学時代、雪駄で登校して麻雀や飲酒をする不良だったが学校は休まなかった。
・中学時代、硬派をきどって女の子とほとんど話さなかった。
・相撲経験はなかったが親方の息子という事で相撲推薦で安田学園高校に入学。
安田学園高校は相撲の名門高。
・高校入学当時、182㎝65㎏で筋力がなく、腕立て伏せも懸垂も出来なかった。
・高校時代、相撲部。東京大会で活躍。
・高校時代、体重を増やすために母親が3段重ねの特大弁当を作ってくれた。
「足りなかったら購買で買いなさい」と毎日食費を1000円くれた。
・寿司職人かプロ野球選手になりたいと思っていた。
■寺尾常史
□私生活
・好物…ふなずし。パン。レバー(レバ刺しで白米を食べられる)。
魚。ナマコ酢。チーズケーキ。甘いもの。
・嫌いな食べ物…ラッキョウ。イカ墨のパスタ。
・酒が大好き。毎晩缶チューハイを10本飲む。
若い頃は常にとことん飲んで必ず二日酔いになった。
まわし持参で朝まで飲んで繁華街でまわしをつけて出稽古に行った事があった。
若い衆を連れての飲食代で1ヵ月に3000万円使った事がある。
・健康法…散歩。スポーツジム。
・持病…不整脈
・近眼。
・花粉症。
・閉所恐怖症。
・高所恐怖症。飛行機が大嫌い。
国内の移動は沖縄以外は極力飛行機を使わない。
・鳥が怖い。
・怪談が好き。ホラー映画をよく見る。
夜寝る前に相撲の事を考えると眠れなくなるので怪談本を読む。
・戸締まりを厳重にする。
・住んでいる所…東京都墨田区錦糸町(4SLDKのマンション=04.05現在)。
・いきつけ…喫茶店「伊志津賀」(子供の頃から通っている)。
・運転免許を持っていない(=02.11現在)。
・近所にでかける時は自転車か徒歩。
・ホテルにひとりで泊まってテレビを見るのがストレス解消法。
・長兄(元十両鶴嶺山)は急性心不全で他界(享年60=20年)。
亡くなる前日あで経営するちゃんこ屋にいた。
・次兄(元関脇逆鉾)は他界(享年58=19年)。
・子供の写真をいつも持ち歩いている。
・寝返りをうつと危険なので妻と子供と寝室は別だった。
■寺尾常史
□人間関係
・旭道山和泰…親友。
・舞の海秀平…家族ぐるみのつきあい。
同じマンションに住んでいる(=03.12現在)。
・山咲トオル…家族ぐるみのつきあい。
・前田日明、高田延彦…飲み友達。
・小錦、双羽黒、北勝海…同い年。
デビュー当時「花のサンパチ組」(昭和38年生まれ)して注目された。
・貴乃花光司…引退相撲を1日違いで開催。
・霧島(元大関)…井筒部屋の先輩。入門当時にかわいがって貰った。
・市川海老蔵…大の大相撲ファン。
一緒に飲んで飲み屋の座敷で相撲を取って本能的に海老蔵を投げ飛ばした。
・磯野貴理…寺尾の大ファン。
・伊藤つかさ…憧れている芸能人(中学時代)。
・中山美穂…憧れている芸能人。
・父親…鎌倉市で陶磁器店を経営。
・伊津美…95年結婚。子連れの再婚。8歳年上。
・子供:
長男…寺尾由布樹(ゆうき)。俳優。「てらちゃん」と呼ばれる。※妻の連れ子
次男…晴也(せいや)。95年誕生。
■寺尾常史
□エピソードなど
・母親が子宮ガンで他界したのをきっかけに高校を中退して大相撲入り。
・入門当時の四股名は「寺尾節男」(母方の旧姓「寺尾節子」から)。
・結果が出なかったら22歳で辞めるつもりだった。
・子供の頃から父親に対して敬語で接していたので、
入門後も呼び方が「親方」に変わっただけで接し方は変わらなかった。
・新十両昇進時に四股名を「源氏山力三郎」に変更したが負け越したので寺尾に戻した。
※「源氏山」は部屋に代々伝わる由緒ある四股名
・現役時代は体重を増やす為にむりやり食べた。
横になると満腹すぎて気持ち悪くなるので椅子に座ったまま寝た。
・現役時代の体重は116㎏。
・美男力士として女性に大人気だった。
・得意技は突っ張り。
・次兄・逆鉾とともに史上初の兄弟関脇(=89年3月場所)。
・千代の富士に後ろから釣り上げられて土俵にたたき落とされた(=89年11月場所5日目)。
・97年春場所13日目対旭鷲山戦で土俵下に転落して右足親指を骨折、
初土俵以来の連続出場記録が1359回でストップ)。
夏場所を全休して負ければ十両転落という7月場所で9勝6敗と復活。
・長男は相撲好きでよく応援に来てくれた。
「寺尾〜」と叫ぶ声は土俵上で判った。
・怪我をした事で自分が相撲が好きだという事が再確認できた。
・右腕上腕の筋肉を断裂したまま残り10日間出場した事がある。
・01年春場所で戦後最高齢(38歳と24日)で再入幕。
・通算出場1795回は歴代4位、
幕内出場1378回は歴代5位、
幕内在位93場所は歴代6位、
通算860勝は歴代10位。※23.12現在
・通算938敗は引退時点では最多記録だった。
・引退直後は「引退を早まった」と後悔していた。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=02年)。
・井筒部屋から独立して錣山部屋を新設(=04年)。
・長男・由布樹が「素顔が一番」に出演(=04年2月28日放送分)。
主要参考媒体
週刊朝日 97年7月18日号
週刊文春 04年5月13日号
寺尾常史 1963.02.02 – 2023.12.17(享年60)大相撲力士
寺尾常史 1963.02.02 – 2023.12.17(享年60)通算860勝