■八代亜紀(やしろ あき)
□肩書き
歌手 俳優
□本名(旧姓)
橋本明子
□生年
1950(昭和25)08.29(乙女座/B型)
□没年
2023(令和05)12.30(享年73)急速進行性間質性肺炎
□出身地
熊本県八代市
□出身校
八代市立植柳小学校→八代市立金剛小学校
八代市立第六中学校
□略歴
71年(21歳)「愛は死んでも」でデビュー。
73年(23歳)「なみだ恋」がヒット。紅白歌合戦初出場。
80年(30歳)「雨の慕情」で日本レコード大賞。
※他の主な出演:
舞台 「おんな節シリーズ」「母恋道中旅日記」「豚と真珠とおもろい夫婦」
映画 「おしゃれ大作戦」「多羅尾伴内」「極道の妻たち 赫い絆」
ドラマ「北のめぐり逢い」「水戸黄門」「秀吉」
テレビ「ごきげんよう」「ダウンタウンDX」「秘密のケンミンSHOW」
CM 「中外製薬 グロンサン」「東京ガス エネファーム」
楽曲 「おんな港町」「舟唄」「愛の終着駅」
□趣味
読書 マンガ スポーツ観戦 陶芸 ショッピング ゴルフ
□特技
絵画
■八代亜紀
□幼少時代〜
・父親は浪曲の名手だった。
・母親は琉球王朝の名家の末裔。
・両親は駆け落ちで結婚した。
・祖父や父が歌う浪曲を子守歌として育った。
内容は判らなかったがそのまま丸暗記して歌った。
・父親は怒るとちゃぶ台をひっくり返す人だった。
・家は裕福ではなかった。
納屋同然の家で暮らしていた。
・父親の影響でものごころつく前から絵を描いていた。
・子供の頃、虚弱体質で栄養失調気味だった。
・子供の頃、ハスキーボイスがコンプレックスだった。
・子供の頃、お客さんが来るとずっと隠れているような照れ屋だった。
・5歳の頃から料理を仕込まれた。
・両親が大好きだったので遠足や修学旅行で家から離れるのが嫌だった。
・小学校時代、美空ひばりが大好きだった。
・小学校時代、父親が脱サラして運送会社を興した。
・小6の時、ジュリー・ロンドンを聞いてクラブ歌手を志した。
・中学時代、バレーボール部。
・15歳の時、お金持ちの男の子と初デート、頬にキスをした。
1年間毎日同じ時間に家までクルマで来てクラクションを鳴らしてくれた。
■八代亜紀
□私生活
・好物…みそラーメン。鍋。テグタンスープ。麻婆豆腐。
酢豚(大好物)。イカ(大好物)。焼きいも。酢(大好物)。
黒糖ドーナツ棒。ブルーベリータルト。酸っぱいもの。
・嫌いな食べ物…焼鳥。ゴーヤ。セロリ。にんじん。
にんにく。ニラ。匂いが強いもの。
・料理に酢を大量にかける。
・餃子は中身を出して皮だけ食べる。
・料理は一切しない(=17.02現在)。
・酒はほとんど飲めない。焼酎は少しだけ飲める。
・健康法…ニンジン、リンゴ、ショウガのジュース(毎朝飲む)。
歯磨きしながらスクワット(朝晩各100回)。
・メヌエル病で緊急入院(=91年)。
・ポリープを手術(=87年)。
・階段から転落して尾てい骨骨折(=83年)。
・膠原病の治療の為に芸能活動休止(=23年9月〜)。
・生まれつき独特な声帯を持っている。
・機械音痴。パソコン、スマホを使わない(=15.03現在)。
・水泳が苦手。
・好きなマンガ…あだち充「タッチ」。
・好きな歌手…美空ひばり。
・韓流ドラマが好き。休日に一気にまとめて見る。
・ハッピーエンドでないドラマは嫌い。
・好きな俳優…
レオナルド・ディカプリオ(自宅に大きな写真を飾っている)。
イ・ビョンホン。
・スポーツの日本代表チームを応援するのが大好き。
基本的にLIVEで見る(LIVEで見られない時は録画して見る)。
ホテルで深夜にサッカーを熱狂的に応援して騒音の苦情が来た事がある。
・テレビ通販が大好き。
美容グッズ、調理器具、健康器具などをほぼ毎日注文。
自分で注文の電話をかける。生放送の通販番組に電話出演した事がある。
多い時は1ヵ月に90個荷物が届く。
・ルネサンスの画家が好き。
・箱根駅伝が大好き。
沿道で応援する姿がテレビで放映された事がある。
・月に1日は完全OFFモードで丸1日やりたい事だけをして過ごす。
・宝物…王貞治が846号(ヤシロ)を打った時のホームランバット。
・ペット…
犬(ゴールデンレドリバー、名前はゴンタ、牡13歳=11.06現在)。
猫(保護猫、名前はちーたん=23.02現在)。
猫(保護猫、名前はミャンたん=23.02現在)。
猫(ヒマラヤン、名前はチビタン=05.06現在)。
・住んでいる所…東京都・目黒(5階建ての一軒家=05.06現在)。
1階に一般公開のャラリーと陶芸用の窯、2階にオフィスがある。
・別荘がある所…神奈川県箱根(5LDK、95年落成、総工費3億2000万円=21.03現在)。
自分で設計。リビング30畳。乳白色の温泉を引いた露天風呂。
バーカウンター、暖炉、囲炉裏、広いバルコニー。
油絵&陶芸用のアトリエ。
・いきつけ…ラーメン屋「大王」(世田谷区深沢、おいしくて安い)。
・月1ペースで自由が丘で買物をする。
・100円ショップで7万円分の買物をした事がある。
・携帯電話を持っていない(=22.09現在)。
・父親は63歳で他界。
・母親と同居中(=05.06現在)。
・母親は89歳(=17.10現在)。
・甥や姪と遊ぶのが大好き。
・甥や姪から「アメちゃん」と呼ばれる(「雨の慕情」から)。
・家事は全て夫がやってくれる。
夫は冷蔵庫にある残り物で手早く料理を作ってくれる。
・夫は陶芸家として活動。
■八代亜紀
□人間関係
・新田純一…親友。弟分として可愛がっている。
一緒に食事、ゴルフ、海外旅行。
新田の妻は八代の専属ヘアメイクを約30年担当(八代は結婚の証人)。
妻と一緒に八代の最期を看取った。
・桂文枝…親友。デュエット曲「熱海あたりで」をリリース(=91年)。
・奈美悦子…友人。
・山口百恵、桜田淳子、森昌子、浅田美代子、安西マリア、夏木マリ、
アグネス・チャン、あべ静江、石川さゆり、八代亜紀
…歌手デビュー同期生。
・五木ひろし…賞取りレースで「五・八戦争」と称されたライバル。
デビュー前に同じクラブで歌っていた。
・志村けん…志村の肖像画を描いてプレゼントした。
・高倉健…高倉の歌謡ショーの前座で2年間歌った(=71年〜)。
・石原裕次郎…デュエット曲を13曲出した。
・みやぞん…デュエット曲「だいじょうぶ」をリリース(=19年)。
・嘉門達夫…「♪誰も知らない素顔の八代亜紀」という替え歌を歌った。
・浜田雅功…夢の中で八代とセックスして夢精した事がある。
・石田えり…同じ熊本県八代市出身。
・熊川哲也…八代のファン。
・城島茂…八代のファン。中学時代によく八代の曲を聞いていた。
・王貞治…王が846号(やしろ)を打った時のバットをプレゼントして貰った。
お返しの王の肖像画を描いてプレゼントした。
・青木美保…青木のシングル「あなたの女」を作詞(他の歌手への初提供=99年)。
・市川元晴…洋画家。絵画の師匠。
・メッシ…好きなサッカー選手。直筆サイン入りユニフォームを通販で購入。
・増田登…元歌手、元マネージャー、元所属事務所社長。5歳年下。
94.01.02ハワイ・オアフ島で挙式、21年1月離婚。
当初は八代の前座で歌っていた。13年間マネージャーだった。
増田が結婚する夢を見てとても寂しく感じて結婚を決意、
自分から「結婚してあげてもいいよ」とプロポーズした(最初は断られた)。
「八代さん」「まさと君」と呼びあう。
■八代亜紀
□エピソードなど
・中学を卒業後、熊本で3ヵ月バスガイドをしていた(九州産業交通社)。
人前で話せない内気な性格を治す為にあえてバスガイドを選んだ。
・年齢をごまかして地元のクラブ「白馬」で歌ったのが父親にバレて勘当された。
・16歳の時、歌手を目指して上京。
いとこ夫婦の所に身を寄せて、昼間は音楽学校に通い、夜は銀座の美人喫茶で働いた。
・歌声喫茶でアルバイトをしていた。
・美人喫茶でスカウトされて銀座のクラブ「エース」の専属歌手になった。
ギャラは月に20万円(当時の大卒初任給は2万円程度)。
歌を聴いてホステスの年上女性が涙を流すのを見て「心が伝わる歌い方」を学んだ。
・レコード歌手の新人時代、クラブ歌手時代に比べてギャラが激減。
・新人時代、マネージャーに売上金を横領された。
借金返済の為に衣装とレコードをつめたトランクを抱えてひとりでキャバレーを廻った。
・歌手になる事に猛反対だった父親が会社をたたんで上京して借金返済に協力してくれた。
・「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いてチャンピオンになる(=72年)。
・「全日本歌謡選手権」に出場した時、毎週審査員の淡谷のり子に「あんた嫌い」と言われた。
・「なみだ恋」がヒットするまでは給料5万円だった。
・「なみだ恋」がヒットした時、熊本県八代市に両親に家を建ててあげた。
・トラック運転手、自衛隊、漁師にファンが多い。
トラック運転手に「八代観音」と呼ばれた。
・映画「トラック野郎 度胸一番星」にゲスト出演(=77年)。
・映画「玄海つれづれ節」主演(=86年)。
・「舟唄」は美空ひばりの為に書かれた曲だった。
・「雨の慕情」がヒットした年は水不足だったが「雨の慕情」が売れるにつれて雨量が増えた。
サンフランシスコでコンサートをやった時に砂漠に雨が降って地元の新聞記事に掲載された。
・日本レコード大賞&紅白歌合戦で2年連続大トリ(=80年)。
・「演歌の女王」と呼ばれた。
・デビュー後10年間、休みは年間3日程度だった。
・82年に事務所を独立後約5年間、会社経営のトラブルや人間関係に悩まされ、
精神的なストレスから思うような声が出なかった。
・ペルーのフジモリ大統領に3000万円を寄付(=92年)。
その寄附金を元にペルーに八代亜紀工業技 術学校が作られた
・CM「別冊宝島」で素顔を公開(=97年)。
・絵を描く時は箱根の別荘のアトリエにこもって1日8時間絵筆を握る(月6回ペース)。
約20点の絵を同時に描く。ルネサンス方式の重ね塗りで描く。
・1年間に約150点描く。
・年間4〜5回個展を開催。
・自作の絵は個展やオークションで50点以上の作品が即完売。
・自作の絵画・陶器の展示販売店「夢彩風(むさいふう)」を開店(静岡県焼津市=97年)。
・フランスの美術展「ル・サロン」(世界最古の美術展)に初出展の98年から5年連続入選。
04年から無条件で出品できる永久会員になった。
・東京の自宅と箱根の別荘にアトリエがある。
・自伝的エッセイ集「素顔」を出版(=01年)。
・自宅と別荘を「情報ツウ」で公開(=03年)。
・サザンオールシターズの「いとしのエリー」をカバー。
・少年院の慰問をボランティアでやっていた。
・女子刑務所や少年院の慰問をボランティアで長年続けている。
出所後にコンサートに来てくれる人がたくさんいる。
法務省から表彰された。
・老人ホームのボランティアでやっている。
・厚化粧と言われているが実際のメイク時間は10分程度。
・借金はしない主義で家も現金で買った。
・くまもと誘友大使を務めた(=05年)。
・八代よかとこ大使を務めた(=07年)。
・別荘を「2時っチャオ」で公開(=07年4月20日放送分)。
・晴れ女。空に向かって「降らないで」と声に出して言って雨が上がった事がある。
・ジャズのアルバム「夜のアルバム」発売(=12年)。
世界75ヵ国に配信。
・ニューヨークの老舗ジャズクラブ「バードランド」でライブを開催(=13年)。
・地元・八代市でラージボールの卓球大会(八代亜紀杯)が開催されている。
・毎年最低200ステージのライブを行っている(1日2回公演=14年現在)。
どんな曲も発売当時のレコードとできるだけ同じように歌う。
ステージでロックも歌う。
・聴いている人の感情を代弁できるように自分の感情を込めずに歌う。
・熊本で開催された日本ハムvsソフトバンクでウグイス嬢を務めた(=15.04.12)。
・ブルースのアルバム「哀歌」発売(=15年)。
・熊本県立八代清流高校の校歌を作詞作曲。
・パリ日本文化会館で初のフランス公演(初のヨーロッパ公演=22年)。
・絵画の売上の一部を保護猫活動に寄付。
主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第3版)
週刊朝日 15年11月27日号
八代亜紀 1950.08.29 – 2023.12.30(享年73)歌手
八代亜紀 1950.08.29 – 2023.12.30(享年73)熊本県八代市
八代亜紀 1950.08.29 女性芸能人(1990年代)紅白5回
八代亜紀 1950.08.29 女性芸能人(1980年代)レコ大
八代亜紀 1950.08.29 女性芸能人(1970年代)紅白7回