■野村忠宏(のむら ただひろ) □肩書き 柔道選手(15年引退) □本名 野村忠宏 □生年 1974(昭和49)12.10(射手座/B型) □出身地 奈良県広陵町 □出身校 私立天理中学校 私立天理高校 天理大学体育学部武道学科卒業 奈良教育大学大学院育学研究科修了 □略歴(満年齢) 96年(22歳)アトランタ五輪金メダル。 00年(26歳)シドニー五輪金メダル。 04年(30歳)アテネ五輪金メダル。 ※主な出演: テレビ「みなさんのおかげでした」「さんまのまんま」「ひるおび!」 CM 「野村證券」 □趣味 パチンコ(パチスロ) □サイズ 164㎝ ■野村忠宏 □幼少時代〜 ・父親は天理高校柔道部部長。 ・母親は元水泳選手(東京五輪の代表候補)。 ・祖父は名門道場「豊徳館」の創始者。 ・叔父はミュンヘン五輪中量級金メダリスト。 ・1歳年上の兄がいる。 ・母方の曾祖母、祖母が同居していた。 ・3歳の頃に祖父の下で遊び感覚で柔道をはじめた。 祖父と父親の指導は全く厳しくなかった。 ・柔道と並行して野球とサッカーと水泳もやっていた。 ・中1の時、初めての試合で女の子に負けた。 その頃の体格は身長140㎝体重30㎏程度、 周囲の人に「柔道は身体ができてからにしなさい」と言われた。 ・中学〜高校時代、マンガ「柔道部物語」を愛読。 ・高校時代、寮生活。 ・高校時代、体重50㎏だったが乱取りで100㎏の相手を背負投げしていた。 ■野村忠宏 □私生活 ・好物…麦とろごはん。肉。レバ刺し。フォアグラ。 鯛のカルパッチョ。ひじき。 ・嫌いな食べ物…エビ。しいたけ。こんにゃく。 ・酒はほとんど飲めない。 ・美顔ローラーを愛用(常時携帯)。 ・右膝靭帯を断裂して手術を受けた(=07年)。 ・左膝の手術を受けた(=14年)。 ・高所恐怖症。飛行機、絶叫マシンが大の苦手。 ・野球が苦手。 ・お笑いが好き。遠征にお笑いのDVDを持って行く。 ・住んでいる所…奈良県(2LDKの賃貸マンション=15.11現在)。 ・いきつけ…「ステーキカッポー恒づね」。 ・ファミレスが好き。 ・心配性。神経質。 ・宿泊日数の倍の洋服を持って行く。 ・好きな言葉…「執念」。 ・妻は超天然。 ■野村忠宏 □人間関係 ・北島康介…友人。 ・阿部一二三…マネジメントを担当(Nextend所属第1号)。 ・篠原信一…大学の2年先輩。 ・酒井葉子…モデル。01年5月結婚。 ・子供: 長男…基晴。3歳から柔道をやっている(=16.01現在)。 次男…健翔。 ■野村忠宏 □エピソードなど ・対戦相手の情報があるとあれこれ考えて不安になるので対戦相手の研究はしなかった。 ビデオを見ずに作戦も考えず、実際に組み合った時の感覚で戦った。 ・握力は左右とも40台。 ・ウェートトレーニングはした事がない。 ・げんかつぎの為に試合前日に青いパンツをはいていた。 初めて大きな大会で優勝した時にはいていたのがたまたま青い下着だった。 試合の時は道着の下に何も身に付けていなかった。 ・アトランタ五輪では当初全く期待されていなかった。 谷亮子を追いかけるカメラマンに突き飛ばされた事があった。 ・アトランタ五輪3回戦で世界王者オジェギン選手を相手に残り10秒から逆転勝利。 ・アトランタ五輪で金メダルを噛むポーズが話題になった。 ・シドニー五輪決勝で試合開始14秒で1本勝ち。 ・シドニー五輪後にアメリカ・サンフランシスコに1年間留学。 ・アトランタは「若さと力」、シドニーは「技」、アテネは「心」で勝ったと思っている。 ・大事な試合の前夜は殆ど眠れない。 ・現役にこだわって40歳まで柔道を続けた。 ・日本各地、海外の道場で子供に柔道を教えるイベントを多数開催。 ・テレビ「サンデースポーツ」マンスリーキャスター(=15年)。 ・柔道選手のマネジメント会社「Nextend」を設立(=18年)。 他に、国内外の柔道教室の企画・開催、企業とのコラボイベントを扱う。 主要参考媒体 サンデー毎日 15年9月27日号 イブ 週刊文春16年1月7日号 野村忠宏 1974.12.10 柔道選手 野村忠宏 1974.12.10 奈良県広陵町出身