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井上尚弥

史上2人目の2階級で4団体統一

■井上尚弥(いのうえ なおや)

□肩書き
 プロボクサー(12年プロデビュー)

□主な獲得世界タイトル
 WBC世界ライトフライ級
 WBO世界スーパーフライ級
 4団体統一世界バンタム級
4団体統一世界スーパーバンタム級

□本名
 井上尚弥

□生年
 1993(平成05)04.10(牡羊座/A型)

□出身地
 神奈川県座間市

□出身校
 神奈川県立新磯高校

□略歴
 14年(21歳)6戦目で世界タイトル獲得。8戦目で2階級制覇。
 22年(29歳)バンタム級4団体王座統一戦勝利。
23年(30歳)スーパーバンタム級4団体王座統一戦勝利。
 ※プロ通算戦績(24.05.07現在):
  27戦 27勝(24KO)0敗
 ※主な出演:
  テレビ「ダウンタウンDX」「浜ちゃんが!」「踊る!さんま御殿!!」

□サイズ
 163㎝

■井上尚弥

□幼少時代〜
・父親は塗装業。
 20歳で独立して「明成塗装」を設立。
 アマチュアボクシングをやっていた。
・姉、弟がいる。
・8ヵ月で歩き始めた。
・家族5人で6帖+4帖半の賃貸アパートに住んでいた。
・2歳の時に補助輪なしで自転車を乗りはじめた。
・6歳の時、自ら父親に志願してボクシングをはじめた。
・野菜が嫌いだった。
・小学校時代、父親に徹底的に防御の基本動作を教えこまれた。
・小3の時、網戸をライターで焼いてしまい、
 怒られたくなかったので弟に頼んで弟がやった事にして貰った。
・小6の時、初めての試合(スパーリングの大会)で中2の選手を圧倒。
・中3の時、第1回U15全国大会で優勝。
・高校時代、アマ7冠(高校生史上初)。
 強すぎて同世代のスパーリングパートナーを探すのが難しかったので、
 大学のボクシング部に出稽古に行った。 
・高校時代、財布を10日間で2回紛失。
・高2の時、父親からスパーリングで強烈なボディブローを貰ってダウン。
 ボクシングをなめた練習をしていて活を入れられた。
 ボクシング人生で貰った一番強烈なパンチ。しばらく血尿が出た。

■井上尚弥

□私生活
・好物…焼肉(大好物、試合後に4日連続で食べる、特に牛タンが好き)。
・酒は飲まない。
 現役中は飲まないつもり(=13.04現在)。
・健康法…ねばとろ丼(トロ・オクラ・イカ・山芋・納豆・卵、疲労回復&減量効果)。
・1日に何度もシャワーを浴びる。
・いきなり「わっ」と驚かされるのが大の苦手。
・記念日を祝う習慣がない。
・住んでいる所…神奈川県座間市(=17.09現在)。
・ディズニーランドが好き。
・忘れ物、失敗が多い。
 ジムに行く度に毎回のように忘れ物をする。
 海外旅行出発当日にパスポートの期限切れに気付いた。
 番組収録を完全に忘れて自宅でくつろいでいた。
 アメリカ初試合の時にチャンピオンベルトを持って行くのを忘れた。
・軽自動車の燃料は軽油だと思い込んでいた。
・試合当日に自宅が空き巣被害(高級バッグなど被害総額数百万円=22年)。
・よく酔っ払いに絡まれる。
・カラオケの十八番…長渕剛。浜田省吾。C&K。
・父親は担当トレーナー。弟も指導する。
・父親と一緒によくカラオケに行く。
・母親が試合やスパーリングをビデオ撮影してくれる。
・姉は居酒屋「BOX」で働いている(=14.04現在)。
・スポーツマッサージの資格を持っている姉が練習後にマッサージをしてくれる。

■井上尚弥

□人間関係
・京口紘人…友人。井上の自宅に遊びに来た事がある。同い年。
・村田諒太…友人。「なおちゃん」と呼ばれる。
・富樫勇樹、松島幸太朗…友人。
・大谷翔平…同じマネジメント事務所で同じマネージャー(日本ハム時代)。
・ノニト・ドネア…軽量級のレジェント(5階級制覇)。
 WBSSバンタム級トーナメント決勝で対戦して判定勝利(=19年)。
 3団体統一戦で2回TKO(=22年)。
・大橋秀行…所属ジム会長。
・山本博、 千原ジュニア、上田晋也、香川照之、六角精児、
 酒井敏也、山川豊、アグネス・チャン、片岡鶴太郎
 …ボクシング好きの有名人。
・長澤まさみ…憧れている芸能人。
・井上拓真…弟。プロボクサー。
・咲弥(さや)…15.12.01結婚。高校の同級生。
 高1の夏から約8年間交際。
 20歳の頃に約1ヵ月別れた時に精神的ショックで4㎏体重が落ちた。
・子供:
 長男…明波。17.10.05誕生。
 長女…19.12.09誕生。出産に立ち会った。

■井上尚弥

□エピソードなど
・右ボクサーファイター。
・アマ戦績は81戦75勝 (48KO/RSC) 6敗。
・アジア選手権準決勝で敗れてロンドン五輪出場を逃した(=12年)。
・「強い相手としか戦わない」という異例の条件を付けて父親と一緒に大橋ジムに入った。
・父親は担当トレーナー。
・父親は多数の世界戦のビデオを繰り返し見て様々なテクニックを研究。
 父親が自分で試した上で動きを伝授してくれる。
・自宅2階ベランダから垂らしたロープを手の力だけで登るトレーニングで背筋を鍛える。
・父親が乗ってエンジンを切ったクルマを坂道で押すトレーニングをする。
 通りすがりの人がエンストと勘違いして手伝ってくれた事があった。
・スパーリングで父親が首と手首を痛めた。
・プロデビュー当初から「怪物」と呼ばれた。
・試合前日はワクワク感でなかなか眠れない。
・異例の8回戦でプロデビュー。
・4戦目で日本タイトル、5戦目で東洋太平洋タイトルを獲得。
・プロ6戦目で世界タイトルを獲得(日本人選手最速記録=14年)。
 試合の3週間前にインフルエンザにかかって減量計画が崩れて直前2週間で12㎏落とした。
 試合中に体調不良で脚がつってふらふらになった。
・世界ライトフライ級タイトルの初防衛戦で減量に苦しんだ。
・試合前2週間で10㎏減量した事がある。
・計量前の3日間飲まず食わずで約2㎏減量した事がある。
・減量中にMAX鈴木(大食いファイター)の動画を見て空腹感を紛らわす。
・実際の試合であせらないように対戦前に対戦相手を徹底的に過大評価する。
 試合で自分が不利な状況に陥った状況をイメトレしながら寝る。
・その場でぐるぐる回って倒れてフラフラした状態で立ち上がる練習をする。
 ※ダウンから立ち上がる練習
・プロ8戦目で2階級制覇(WBO世界スーパーフライ級タイトル、世界最速記録=14年)。
・ホリプロとマンジメント契約を結んだ(=15年)。
・プロ16戦目で3階級制覇(日本最速)。
・WBA世界バンタム級防衛戦1ラウンドKO勝利(=18.10.07)。
 ファーストコンタクトのワンツーの右ストレートで一発KO。
 KOパンチを出す瞬間に空間を支配するような感覚があった。
 前の試合に続いて2試合連続1ラウンドKO勝利。
 1ラウンド1分10秒のKO勝利は日本人世界タイトル戦最速記録。 
・WBSS決勝ノニト・ドネア戦でハイレベルな撃ち合いを制して判定勝利(=19年)。
 2R左フック被弾で右眼窩底と鼻の右下付近を骨折(ボクシング人生初のカット)
 右目の影響で試合中にドネアが二重に見えた(試合後に5針縫合)。
 9R右ストレート被弾でボクシング人生で初めて自らクリンチ、
 パンチが効いて目の前が一緒真っ暗になって長男の顔が浮かんだ。
 11R左ボディブローでダウンを奪った(ロングカウント疑惑)。
 試合後にドネアにWBSS優勝トロフィーを貸してあげた。
 ドネアが「井上はキャリア最強の相手だった」と発言。
・トップランク社と複数年契約。
・試合前に1ヵ月で8㎏減量して計量後に5㎏戻すのがベスト。
 ※「A-Studio」20.02.07放送分本人発言
・ラスベガスのデビュー戦を7回KO勝利(=20.10.31)。
 コロナ禍で無観客開催。ファイトマネー100万ドル。
・日本人選手初の3団体王座統一(=22.06.07ドネア戦)。
 試合1ヵ月前は左肩の痛みで寝返りも打てない状態(痛み止めを打って練習)。
布袋寅泰の生演奏で入場(「キル・ビル」)。 
・日本人選手初のPFPランキング1位(ザ・リング誌=22.06.10発表)。
・初の出稽古でフレディ・ローチのジムを拠点にロサンゼルスに約2週間滞在(=22年)。
 フレディ・ローチはパッキャオを育てた名伯楽。
・日本人選手初・アジア人選手初・バンタム級初の4団体統一(=22.12.13バトラー戦)。
 両腕を背中にまわすノーガード戦法で打ってこない相手選手を挑発(8R)。
 史上9人目の4団体統一、決定戦を挟まずに王者4人に勝利による達成は井上が史上初。
・スーパーバンタム級初戦で世界タイトル奪取(=23.07.25フルトン戦)。
 日本人選手史上2人目の4階級制覇。世界戦20連勝。
 ファイトマネー約5億円と報じられた。
・史上2人目の2階級で4団体統一(=23.12.26タパレス戦)。
 5年7ヵ月での達成は史上最速。
・アメリカのスポーツ局ESPNボクシング年間最優秀選手賞(=23年)。
・アメリカのボクシング専門誌「ザ・リング」年間最優秀選手賞(=23年)。
 日本人初、アジア人としてパッキャオ以来2人目。
・4団体統一Sバンタム防衛戦でプロ初のダウンを喫した(=24.05.06ルイス・ネリ戦)。
※東京ドーム開催
 

主要参考媒体:
日刊スポーツ 14年4月4日号,14年4月5日号,14年4月6日号,14年4月7日号

井上尚弥 1993.04.10 プロボクサー
井上尚弥 1993.04.10 日本人選手初の3団体統一王者
井上尚弥 1993.04.10 神奈川県座間市出身

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