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阿木燿子

■阿木燿子(あき ようこ)

□肩書き
 モデル 作詞家 俳優

□本名
 木村広子

□生年
 1945(昭和20)05.01(牡牛座/A型)

□出身地
 神奈川県横浜市鶴見区

□出身校
 横浜市立生麦小学校
 私立挿真女学校中学部
 私立挿真女学校高等学部 
 明治大学文学部史学地理学科卒業

□略歴(満年齢)
 76年(31歳)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で作詞家デビュー。
 79年(34歳)日本レコード大賞受賞曲「魅せられて」作詞。
 86年(41歳)日本レコード大賞受賞曲「DRSIRE 情熱」作詞。
 ※主な出演:
  舞台 「隣の女」
  映画 「化身」「家族ゲーム」「四季 奈津子」
  ドラマ「となりの女」「あまえないでヨ!」「ポケベルが鳴らなくて」
  
□趣味
 縫い物 散歩 ベリーダンス 

□特技
 料理

□特記事項
夫は宇崎竜童

■阿木燿子

□幼少時代〜
・父親は鉄工所経営。
・兄と妹がいる。
・バレリーナになりたいと思っていた。
・小学校時代、家で宿題をしていると「勉強より家事を手伝いなさい」と叱られた。
・小学校時代、強度の近眼がコンプレックスで引っ込み思案だった。
・小学校時代、近所の子供を集めて作った劇団で作・演出・主演。
・中学・高校は女子校。
・中学時代、学校に内緒でアルバイトをしておこづかいを稼いだ。
・大学時代、軽音楽部。
 ハワイアンバンドの紅一点だった。
・大学時代、アルバイトで学費を支払っていた。
・学生時代、体育が大の苦手だった。

■阿木燿子

□私生活
・好物…牛頬肉の赤ワイン煮。野菜(大好物)。あんず。ドライフルーツ。
・料理が得意。
 カロリーやバランスに配慮した野菜中心の惣菜を1日に7品以上作る。
3:00に寝ても7:00に起きて朝食を作る。
 小鉢がたくさん並ぶ食卓を「家庭懐石」と呼ぶ。
 パイナップル寿司、三つ編みのおひたしなどのオリジナル料理を多数考案。
・健康法…水(1日1.5リットル)。顔面パック(1日2回)。
 スポーツジム(週2〜3回、プール、ウォーキングマシン、筋トレ)。
・持病…腰痛。
・りんご、パイナップル、耳の針、テープ、クリームなどでダイエット。
・白内障の手術を受けたら視力が回復した。
・睡眠時間は約5時間。若い頃は3時間だった。
・100万円の御神じょう(純金製)を愛用。
・ペット…猫3匹(名前は青山ササミ、赤坂トロロ、赤坂オボロ)。
・住んでいる所…東京都港区赤坂(一軒家、02年にリフォーム=03.09現在)。
・自宅に夫婦各々の仕事部屋がある。
・いきつけ…中華「涵梅舫」(赤坂、北京宮廷料理)。
・フラメンコに熱心にやっていた。
 45歳の頃に始めた。一時は朝4:00まで練習。
 変型性関節症で膝を痛めてやめた。
・旅先に純金の御申丈を持って行く(体から電磁波を逃す事ができる)。
・よく自宅の中で携帯をなくす(どこに置いたか判らなくなる)。
・天然ボケ。無意識の失敗が多い。
 洋服を後ろ前や裏表で着てしまう。左右別の靴をはいてしまう。
 乳首が見えているシャツで外出(夫に指摘された)。
 運転ができないのに運転席に座ってしまう。
 自宅の前に停車していた他人のクルマに乗ってしまった。
 温泉で男湯に入った事が何度かある(時間で男女が入れ替わるのに気付かなかった)。
・好きなタイプ…猿顔で声が渋い男性。
・明治大学軽音楽部の勧誘で夫(宇崎)と知り合った。
 夫は初めて見た時に「僕の妻が歩いて来る」と感じた。
・3回目のデートで「君は僕と結婚する事になってますのでよろしく」とプロポーズされ、
 その後8年間口説かれて結婚した。
・新婚旅行で屋久島に行った。
・夫は猫のトイレの世話、夕食後の皿洗い、ゴミ出しなどの家事を担当。
 結婚後25年間は一切しなかったが少しづつやるようになった。
・夫婦の会話が多い。毎日夜中まで話をする。
・夫婦ともメカに弱い。
 携帯電話の留守番電話の設定ができない。
 ビデオの留守録画が5回に1回程度しか成功しない。
・映画観賞は夫婦共通の趣味。

■阿木燿子

□人間関係
・小林稔侍…友人。
・山口百恵…阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲で約70曲を山口に提供。
 「横須賀ストーリー」「夢先案内人」「イミテーション・ゴールド」
 「美・サイレント」「プレイバックpart2」など。
・ジュディ・オング…「魅せられて」を作詞。
・中森明菜「DRSIREー情熱」を作詞
・キャンディーズ…「微笑みがえし」を作詞。
・郷ひろみ…「ハリウッドスキャンダル」「How many いい顔」を作詞。
・内藤やす子…「想い出ぼろぼろ」を作詞。
・氷川きよし…「ラブリィ」を作詞。
・かとうかず子…阿木のファン。
 阿木が作詞を担当した舞台「サロマ」のオーディションに合格して芸能界に入った。
・宇崎竜童…歌手。作詞家。71.12.10結婚。

■阿木燿子

□エピソードなど
・CMモデルとして活動していた。
・大学卒業後、銀行発行の小冊子を編集する仕事をしていた。
・「阿木耀子」という芸名は宇崎と一緒に易者につけて貰った。
・作詞の仕事は宇崎に頼まれて仕方なく始めた。
・ダウンタウンブギウギバンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で作詞家デビュー。
 男性口調の歌詞だったので本当は宇崎が書いたのを税金対策で阿木名義と疑われた。
・宇崎が作った曲を最初にチェックしてダメ出しする。
 OKを出すまで15曲作らせた事がある。
・時間をかけずに作詞する事が多い。
 「魅せられて」は1時間以内で書いた。15分で書いた詞がたくさんある。
・夫が作った曲がいまいちに感じられる時は書き直しを要求する。
・レコーディングに立ち会ってイメージが違うと感じた時は詞を全面的に書き直す。
・映画「四季・奈津子」でヌードを披露(=80年)。
・小説「指輪の重さ」を出版(=89年)。
・手書きで原稿を書く(=03.11現在)。
・自分が納得できる文章を書き上げた時は酒を飲みながらひとりで踊る。
・料理本「ほっぺたぽろりんレシピ」を出版(家の光協会=03年)。
・ドラマ「喪失の儀礼」に出演(=03年)。
・赤坂のフレンチレストラン「november-eleventh」を夫婦で経営(=03.10現在)。
・スペインで開催されたフラメンコ・フェスティバルに日本人として初参加(=04年)。
・テレビアニメ「ドラえもん」新主題歌「ハグしちゃお」を作詞(=05年)。
・過去に900曲以上を作詞、シングルの総売上は約1800万枚(=05年現在)。
・映画「TANKA(短歌)」を監督(初監督作品=06年)。
・舞台「Ay曾根崎心中」を01年からほぼ毎年公演。
 「曾根崎心中」をフラメンコと和楽器で表現する官能的な作品。
 阿木が作詞とプロデュース、宇崎が音楽監督と作曲を担当。


阿木燿子 1945.05.01 作詞家
阿木燿子 1945.05.01 神奈川県横浜市鶴見区出身
阿木燿子 1945.05.01 明治大学文学部史学地理学科卒業
阿木燿子 1945.05.01 家族ゲーム

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