■薬師丸ひろ子(やくしまる ひろこ)
□肩書き
俳優 歌手
□本名
薬師丸博子
□生年
1964(昭和39)06.09(双子座/A型)
□出身地
東京都港区
□出身校
原宿幼稚園
港区立青山中学校
都立八潮高校
玉川大学文学部英米文学科卒業
□略歴(満年齢)
81年(17歳)映画「セーラー服と機関銃」主演。
81年(17歳)「セーラー服と機関銃」で歌手デビュー。
97年(33歳)ドラマ「ミセスシンデレラ」主演。
※他の主な出演:
映画 「野性の証明」「翔んだカップル」「Wの悲劇」
ドラマ「ママの遺伝子」「木更津キャッツアイ」「あまちゃん」
テレビ「スタジオパークからこんにちは」「徹子の部屋」
CM 「ライオン ソフトインワン」「カルピスソーダ」
楽曲 「探偵物語」「メイン・テーマ」「あなたを・もっと・知りたくて」
□趣味
旅行 スキー
□特技
ピアノ
□サイズ
155㎝
■薬師丸ひろ子
□幼少時代〜
・両親は共働きだった。
・姉がいる。
・0歳の時に姉の膝に乗って写真を撮られた時の記憶がある。
・青山に住んでいた。
・おばあちゃん子だった。躾に厳格だった祖母によく怒られた。
おかっぱの前髪が少しでも伸びると祖母に切られた。
祖母が作るお弁当は毎日おにぎり3個と卵焼きと漬物だった(蓋で隠して食べていた)。
・小学校時代、活発な性格だった。
・小学校時代、クラス委員。
・中学時代、合唱部。
・中学時代、真っ黒に日焼けしていたのであだ名は「フライパン」だった。
・中学〜高校時代、よく親に京都・奈良に連れて行って貰った。
将来考古学者になりたいと思っていた。
・学生時代、走るのが速かった。毎年リレーの選手に選ばれた。
■薬師丸ひろ子
□私生活
・好物…しめサバのにぎり。トリュフのリゾット。コーンフレーク。
台湾石鍋。ふぐ刺し。フカヒレの姿煮。たらこ(大好物)。
しいたけ(自宅で栽培)。春雨サラダ。
りんご(大好物、毎朝りんごジュースを飲む)。牛乳(大好物)。
ネスカフェゴールドブレンドで作ったカフェオレ。
・嫌いな食べ物…ソフトクリーム。
・得意料理…鶏の蓮根団子。
・ほぼ毎日自炊する。
仕事現場にお弁当を持って行く。
家にある食材で創作料理を作る。
果物の自家製ジャムをたくさん作っている。
・酒が好き。なるべく家で飲む。外で飲み過ぎて倒れた事がある。
自宅に大きな紹興酒の瓶がある(年に数回ホームパーティーでふるまう)。
・健康法…梅酢でうがい。野菜・果物ジュース(毎日飲む)。玄米。梅酒。
ウォーキング(毎日5〜6㎞歩く、近所の犬を借りて散歩する)。
スポーツクラブ。
・猫アレルギー。
・上海蟹を食べて歯が欠けた事がある。
・「10年日記」をつけている。
・犬を飼っていた。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=98.06現在)。
・いきつけ…
ふぐ料理「味満ん」(六本木)。
中華「中國飯店」(西麻布)。
台湾石鍋料 理「健」(大阪)。
・クルマの運転が好き。車庫入れが得意。
同じクルマに20年以上載っている(走行距離20万㎞以上)。
自分で運転して仕事場に行く。
・電車やバスをよく利用する。バスの最後列の右側の席が好き。
・ニューヨークが大好き。
・キーホルダーに防犯用の笛をつけている。
・ひとりで行動するのが好き。
・チケットやホテルを自分で手配してひとり旅をするのが大好き。
ヨーロッパの田舎をレンタカーで運転して廻った事がある。
・打たれ弱い性格。毎年同じ時期に落ち込んで心身のバランスを崩す。
・カラオケで演歌を歌うのがストレス解消法。
美空ひばり、都はるみ、石川さゆりなどを歌う。
・普段は殆ど人と会わない。パーティーが苦手。
気を使う性格なので人と会うと疲れる。
・古くからの友人には「ヤックン」と呼ばれる。
・学生時代の友人と今でも仲が良い(=11.03現在)。一緒に旅行に行く。
・男性の指フェチ。
■薬師丸ひろ子
□人間関係
・鶴見辰吾…幼馴染み。幼稚園・小学校の同級生。
映画「翔んだカップル」で恋人役で共 演してキスシーン
お互いに照れてなかなか上手く演じられなかった(=80年)。
・原田知世、薬師丸ひろ子、渡辺典子…角川映画3人娘として売り出された。
・中島みゆき、竹内まりや、EPO…薬師丸に曲を提供。
・世良公則…映画「Wの悲劇」で恋人役で共演。
・宮藤官九郎…ドラマ「木更津キャッツアイ」の脚本家。
一生宮藤について行こうと思っている。
・宍戸開…昔薬師丸の大ファン。薬師丸に会いたくて玉川大学を選んだ。
・太田光…昔薬師丸の大ファンだった。
・テツ(テツandトモ)…薬師丸のファン。
・関根勤…都立八潮高校の先輩。
・あめくみちこ、華原朋美、坂井真紀、水野真紀、山田邦子…薬師丸のモノマネができる。
・高倉健…デビュー映画「野性の証明」で親子役で共演。
14歳の誕生日にラジカセをプレゼントして貰った。
よく一緒に食事した。同じスポーツクラブに通っていた。
・玉置浩二…91.01.07ハワイ・マウイ島で挙式。98.06.05離婚。
■薬師丸ひろ子
□エピソードなど
・芸能界の仕事に特に興味がなかった。
・中2の時、オーディションで2224人から選ばれて映画「野性の証明」に出演。
・映画「野性の証明」出演後は俳優を続ける気はなかったが、
事務所に説得されて映画限定で撮影は放課後と夏休み冬休みだけという条件で仕事を続けた。
・映画「セーラー服と機関銃」で機関銃を撃った後の台詞「快感…」が話題になった。
・映画「セーラー服と機関銃」の機関銃を撃つシーンの撮影中、
飛び散ったガラス片が頭や顔面に刺さった(本編で顔面からの出血を確認できる)。
・映画「セーラー服と機関銃」は普段実際に使っているセーラー服をそのまま衣装に使った。
・新宿アルタで開催した映画「セーラー服と機関銃」のイベントで2万5000人集客。
・デビュー曲「セーラー服と機関銃」がヒット(=81年)。
※他のヒット曲に「WOMAN」「あなたを・もっと・しりたくて」などがある
・デビュー当時のキャッチフレーズは「ひろ子という字 何度ノートに書いたっけ」。
・高3の時、大学受験の為に1年間仕事を休養。
・10代の頃は「いつ辞めようか」と思いながら仕事を続けていた。
・映画「里見八犬伝」の撮影中に過労と盲腸で入院して大学を留年。
・超トップアイドルだった頃、父親や姉も写真週刊誌にマークされていた。
・85年に角川春樹事務所から独立。
一度仕事を離れてじっくりと将来の事を考えるつもりだったが、
自宅や父親の会社に取材が殺到、取材を断る為の窓口として仕方なく個人事務所を作った。
・CM「ライオン ソフトインワン」の台詞「チャン・リン・シャン」が話題になり、
よくモノマネされた。
・どうしてもやりたい役がある時はオーディションを受ける。
・初のソロコンサートを行った(=87年)。
・30代半ばの頃、仕事に悩んでニューヨークでカウンセリングを受けた(30分500ドル)。
「もし本当に向いていない仕事ならこの20年の間に依頼が来なくなるか自分で辞めている」
と言われてふっきれた。
・ミュージカル「シュガー」に主演(初座長=98年)。
・ドラマ「アフリカポレポレ」のロケでアフリカ・ケニアに2ヵ月間滞在(=99年)。
・業務依託していたマネジメント会社に約1300万円を着服された事が発覚(=02年)
・NHK紅白歌合戦に初出場(=14年)。
・コンサートで昔の歌を当時のキーで歌う。
主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊明星 87年7月30日号,87年8月6日号
Tarzan 97年12月24日号
婦人公論 98年10月7日号
薬師丸ひろ子 1964.06.09 女優 歌手
薬師丸ひろ子 1964.06.09 東京都港区
薬師丸ひろ子 1964.06.09 セーラー服と機関銃 女優
薬師丸ひろ子 1964.06.09 セーラー服と機関銃 歌手