■清塚信也(きよづか しんや) □肩書き ピアニスト 作曲家 □生年 1982(昭和57)11.13(蠍座) □出身地 東京都 □出身校 桐朋学園大学 □略歴(満年齢) 00年(18歳)ショパン国際コンクール in ASIA 第1位。 07年(25歳)初のクラシックアルバム「熱情」をリリース。 19年(37歳)テレビ「クラシックTV」司会。 ※他の主な出演: 映画 「さよならドビュッシー」 テレビ「ダウンタウンDX」「ダウンタウンなう」「ごごナマ」 ■清塚信也 □幼少時代〜 ・2歳年上の姉がいる。 ・姉のバイオリンの練習を横で聴いているうちに絶対音感が身についた。 ・母親の勧めでピアノをやりはじめた。 ・5歳の頃に母親に「ピアニストになれないなら生きなくていい」と言われた。 ・小学校〜中学時代、毎日12時間以上ピアノを練習。 朝5:00に母親にトーキックで起こされた。 ゲーム禁止、笑い禁止、外出禁止、友達禁止、小遣いなしだった。 コンクールで優勝するとごほうびにゲームを買って貰ったがプレイは禁止だった。 ささやかな反抗で歌謡曲やゲーム音楽を耳コピしてクラシック風に演奏した。 母親に眠気を訴えると「人間はいつかは永遠に眠れる時が来るんだから、 今はピアノを練習しなさい」と言われた。 ピアノの先生を変えると先生の自宅の近所に家族で引っ越した。 ・母親に「手首の強化になる」と嘘をついて早朝に野球の壁当てをした。 ・母親に「漢字や計算は雑念、学校の勉強はしなくていい」と言われていた。 将来プロの音楽家になれなかった事を想像するのが怖かった。 ・修学旅行に参加しなかった。 ・コンクールの演奏で感情を込めすぎて減点される事が度々あった。 ・19歳の時、母親から逃れる為にロシア(モスクワ音楽院)に留学。 よくピアノの練習をサボって美術館やコンサートに行った。 ■清塚信也 □私生活 ・好物…カレーライス。海苔。 ・酒が好き。 ・イップスになった事がある。 ・絶対音感がある。 日常生活で聞こえてくる全ての音が音階で聞こえて来る。 ・日常生活で特に指や脚の保護に気を使わない。 普通に草野球をする。 ・九九、かけ算、わり算が苦手。分数がよく判らない。 ・電車の路線図の見方がよく判らない。 ・日常生活で耳にする短いメロディの続きを考えて曲として完成させてしまう癖がある。 ※ファミリーマートの入店メロディなど ・バッティングセンターによく行く。 マイバットをクルマに積んでいる。 ・埼玉西武ライオンズのファン。 子供の頃に所沢に住んでいた。 ・母親は毎回コンサートを観に来る。 ・姉はバイオリニスト。 ・飲み屋で居合わせた他の客にきさくに話しかける。 仲良くなって奢ってあげる事がある。 ■清塚信也 □人間関係 ・綾野剛…友人。一緒に食事。 ドラマ「コウノドリ」音楽監修(綾野のピアノを指導、ふきかえ演奏)。 ・三浦大知…友人。オンラインゲーム仲間。 ・小沢一敬、松山ケンイチ…友人。 ・高嶋ちさ子…コンサートで共演。 ・中村紘子…ピアノの師匠。 ・ダウンタウン…好きな芸人。 ・妻…12年結婚。 ・子供: 長女…12年誕生。 次女…4歳(=20.02現在)。 ■清塚信也 □エピソードなど ・20歳の頃、デモテープと履歴書を持参して自ら芸能関係の会社に営業、 100社以上に門前払いされた。 嫌味を言われた担当者名を全てメモに残している。 ・資金稼ぎの為に全国各地の楽器店で少額のギャラで演奏。 ・ドラマ「のだめカンタービレ」の吹替演奏を担当。 ・映画・ドラマの音楽を多数担当。 ・即興でピアノで劇伴をつけるのが得意。 ・ひとつのメロディを様々なアレンジで瞬時に弾くができる。 坂本龍一風、ジブリ風、悲しいムード、感動系、など ・年間100公演以上コンサートを開催。 ・「ピアノ界のおしゃべり貴公子」と呼ばれた。 ・コンサートの半分以上はトークの時間。 1回のトークコーナーで30分話す事がある。 トークでよく冗談を言う。 トークが長くなりすぎた時は演奏で巻く。 ・日本人男性クラシックピアニスト初の単独日本武道館公演(=19年)。 ソロパートでどんどん付け足して終了予定時間を大幅にオーバーした。 ・47都道府県をまわる全国ツアーを開催予定(=20年)。 清塚信也 1982.11.13 ピアニスト 清塚信也 1982.11.13 埼玉西武ライオンズのファン(子供の頃に所沢に住んでいた)