■小林旭(こばやし あきら) □肩書き 俳優 歌手 □本名 小林旭 □生年 1938(昭和13)11.03(蠍座/AB型) □出身地 東京都世田谷区 □出身校 世田谷区立玉川小学校 世田谷区立玉川中学校 私立目黒高校 明治大学中退 □略歴(満年齢) 56年(18歳)映画「飢える魂」出演。 59年(21歳)映画「ギターを持った渡り鳥」主演。 92年(54歳)映画「修羅の伝説」主演。 ※他の主な出演など: 舞台「無法松の一生」 映画「南国土佐を後にして」「仁義なき戦い 代理戦争」「青春の門」 ドラマ「旅がらす事件帖」「琉球の風」「寝たふりしてる男たち」 テレビ「徹子の部屋」「スタジオパークからこんにちは」 CM「ヤンマー トラクター」「サントリー ホワイト」「ソフトバンクモバイル」 楽曲「ダイナマイトが百五十屯」「自動車ショー歌」「熱き心に」 □趣味 クルマ □特技 ゴルフ □サイズ 180㎝ □特記事項 元妻は美空ひばり ■小林旭 □幼少時代〜 ・父親は映画の照明技士。 ・祖父は宮大工。 ・弟がいる。 ・父親が出征中、一間のアパートに住んでいた。 ・子供の頃、映画「ターザン」のジョニー・ワイズミュラーに憧れた。 ・子供の頃、おねしょをすると布団ごと表に放り出された。 ・小2の時、担任の先生に初恋。 ・小学校時代、ケンカが強かった。 クラスメイトから一目置かれる存在だった。 弱いものいじめをする奴を成敗していた。 ・小学校時代、近所の畑の野菜を盗んで食べて警察に補導された。 ・中学時代、柔道、空手、弓道をやった。柔道部を自ら設立した。 ・中学〜高校時代、しょっちゅうラブレターを貰ったが全て断った。 ・高校時代、不良の女の子7〜8人に廃屋に連れ込まれて逆レイプされかけた。 ・大学時代、柔道部。 ■小林旭 □私生活 ・好物…赤身肉(毎週5㎏取り寄せて1回で250g食べる)。 おはぎ。みたらし団子。 甘いもの(大好物、ケーキを肴にビールを飲む)。辛いもの。 ・酒が好き。 酒の余興でグラスを片手で握って割った事がある。 酒の余興でガラスのテーブルを叩き割った事がある。 飲んでいて急に行きたくなって飲み屋からスキー場に直行した事がある。 ・健康法…あずき茶(アルコールもあずき茶で割って飲む)。ゴルフの素振り。 ・好きなブランド…ハナエモリ。 ・自宅の地下に天井まで3mの高さのトレーニングルームがある。 ・住んでいる所…東京都世田谷区(建坪約270坪の大豪邸=03.08現在)。 ・いきつけ…洋食屋「みかわや」(銀座)。 ・ゴルフが得意。シングルプレイヤー。 30歳の頃にプロゴルファー転身を本気で考えていた。 日本プロゴルフ協会名誉会員に認定された(=07年)。 プロゴルファーとしてシニアツアーに初参戦(=07年)。 ・道路に停車していたクルマに一目惚れして その場で持ち主を探して500万円で買った事がある。 ・オール金色のハーレーに乗っていた事がある。 ・クルマを運転中に湖に落ちた事がある。 ・弟・小林常男が静岡・熱海マリーナを経営(=08.05現在)。 ・母親は心不全で他界(享年90=05年)。 ■小林旭 □人間関係 ・川地民夫、小林旭、沢本忠雄…3人で「三悪トリオ」として売り出された。 よく一緒に遊んだ。 ・高橋英樹…新人時代の高橋に色々な遊びを教えてあげた。 ・川合俊一…六本木の飲み屋で知り合って何度か一緒に飲んだ。 ・神田川俊郎…神田川の店によく行く。 ・夏樹陽子…若い頃によく一緒に飲みに行った。 ・二谷英明…第3期日活ニューフェースの同期生。 ・高橋英樹、和田浩治、浜田光夫、中尾彬、渡哲也、藤竜也、津川雅彦、 赤木圭一郎、小林旭、川地民夫、岡田真澄、石原裕次郎、長門裕之、 宍戸錠、野呂圭介、名和宏、二谷英明、 和泉雅子、梶芽衣子、吉永小百合、松原智恵子、松尾嘉代、山本陽子、 笹森礼子、浅丘ルリ子、白木万理、芦川いづみ、北原三枝、南田洋子 …日活出身(年齢順)。 ・菅原文太、松方弘樹…映画「仁義なき戦い」シリーズで共演。 ・宇崎竜堂…芸能生活50周年記念シングル「翔歌」を作曲(=04年)。 ・石倉三郎、片岡鶴太郎、コロッケ、コージー冨田、大悟(千鳥)、 はなわ、美木良介、山口智充 …小林明のモノマネができる。 ・陣内孝則…「自動車ショー歌」をカバー。 ・山本譲二…山本の大ヒット曲「みちのくひとり旅」は小林旭が歌う筈の曲だった。 ・大瀧詠一…小林旭の大ファン。シングル「熱き心に」を作曲(=85年)。 小林旭の4枚組CDを企画・監修(=02年)。 ・小栗旬…小林旭のファン(歌が好き)。 ・谷村新司、地井武男…小林旭のファン。 ・石原裕次郎…若い頃によく一緒に飲んだ。 日活の先輩。日活時代のライバル的存在。 銀座で一緒に飲んでいて思い立ってお互い自分のクルマを運転して京都に行き、 早朝に到着して途中から萬屋錦之介と勝新太郎が合流した事がある。 銀座でクルマの走り比べをした事がある。 日活のスタッフは裕次郎一派と旭一派に二分していて飲み屋で会うとケンカしていた。 興行成績では勝っていたがギャラは常に裕次郎の方が100万円高かった。 映画「錆びたナイフ」で兄弟役で共演(=58年)。 ・美空ひばり…62.11.05挙式、64年6月離婚(未入籍)。 雑誌の対談で知り合った。1歳年上。※89年他界 ・青山京子…67.11.21結婚。 66年8月に芸能人ボウリング大会で知り合った。 ※20.01.12肺がんで他界(享年84) ・子供: 長女…真実。エステサロン経営(=04.12現在)。 長男…一路。輸入靴店経営(=04.12現在)。 ■小林旭 □エピソードなど ・4歳から小学校高学年まで児童劇団東童に入っていた。 幼稚園に行くのを嫌がったら幼稚園の代わりに劇団に入れさせられた。 7歳の時に三越劇場で初舞台を踏んだ。 大道具を悪戯してよく怒られた。その他大勢のひとりで映画に出演。 ・高3の時、撮影所を見学に行ってエキストラとしてスカウトされた。 ・日活入社後3年間の大部屋時代、先輩からいじめられた。 衣裳を隠された。乱闘シーンの撮影で本気で殴られた。 ・大部屋時代の給料は約13000円。 ・「マイトガイ」のキャッチフレーズで売り出された。 ・日活の全盛時代、4年間で47本の映画に主演(=59年〜62年)。 ・サラリーマンの月給が5000円の時代に1本200万円の出演料を貰っていた。 ・ロケが押して最終の飛行機を出発を遅らせた事がある。 ・映画「渡り鳥」シリーズの地方ロケに何万人もの見物人が押し掛けた。 ・東南アジアでも大人気だった。 台湾では空港が人で埋まって飛行機から降りられなかった。 パスポートを羽田空港に忘れたにも関わらずなぜか台湾に入国できた。 ・日活時代、危険なシーンの撮影でスタントマンを使わずに自分で演じた。 ヘリコプターに素手でぶら下がった。サーカスの空中ブランコを演じた。 バットで腹を殴られるシーンでバットがへし折れた。 スタントマンが断った危険なシーンを自らやった事があったらしい。 当時はアクションシーンで本物の拳銃や刀を使っていた。 ・映画「黒い賭博師」の撮影中にトランポリンを使ったジャンプシーンで大怪我(=65年)。 35日間意識不明で死後の世界を垣間見た。 ・150本以上の映画に主演。「最後の映画スター」と呼ばれる。 ・高音を効かせた「アキラ節」で民謡、演歌、ロック、コミックソングなどを歌った。 「歌う映画スター」と呼ばれた。 当時は歌う仕事が映画の仕事のストレス解消になっていた時期があった。 350曲以上のシングルをリリース。 ・映画会社対抗のボウリング大会で勝つ為に1日24ゲーム練習した。 ・「熱き心に」のヒットで第37回NHK紅白歌合戦に出場(2回目の出場=86年)。 ・ゴルフ場開発事業に失敗して14億円の借金を負って一時ヤクザに監禁された。 借金返済の為にヒット曲「昔の名前で出ています」で全国のキャバレーを廻った (多い日は1日に5軒ハシゴした)。 ・映画「春来る鬼」を製作・監督(=89年)。 ・映画「修羅の伝説」の乱闘シーンで水を張った浴槽に西岡徳馬を投げ飛ばした (テストなしのいきなり本番だった=92年)。 ・故・身空ひばりの鎮魂歌「惚れた女が死んだ夜は」を発表(=97年)。 ・自伝「さすらい」出版(新潮社=01年)。 ・自宅が仮差し押え状態にあると報じられた(「FLASH」03年8月19・26日号)。 ・小林旭をモチーフにしたパチンコ台「CR渡り鳥AKIRA」発売(=06年)。 ・暴力団組長のゴルフコンペに参加した事を週刊誌に報じられた(=08年)。 主要参考媒体 テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第3版) 週刊文春 04年12月9日号 小林旭 1938.11.03 俳優 小林旭 1938.11.03 渡り鳥シリーズ 小林旭 1938.11.03 東京都世田谷区 小林旭 1938.11.03 60年代総合