スポンサーリンク

五木寛之

■五木寛之(いつき ひろゆき)

□肩書き
 作家

□本名
 松延寛之

□別名
 立原岬(作詞家のペンネーム)
 海つばめ(作詞家のペンネーム)
 のぶひろし(作詞家のペンネーム)

□生年
 1932(昭和07)09.30(天秤座/B型)

□出身地
 福岡県八女市

□出身校
 福岡県立福島高校
 早稲田大学文学部露文科抹籍

□略歴(満年齢)
 66年(34歳)「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞。
 67年(35歳)「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。
 76年(38歳)「青春の門・筑豊編」で吉川英治文学賞。
 ※他の主な作品:
  「四季・奈津子」「大河の一滴」「親鸞」

□趣味
 音楽 スポーツ観戦 旅行 クルマ

■五木寛之

□幼少時代〜
・実家は農家(八女茶を栽培)。
・父親は国漢の教師。
・母親は小学校教師。
・長男。弟、妹がいる。
・父親は剣道の有段者。
 父親に命じられて毎朝竹刀で斬り返しの練習をした。
・田植えや稲刈りを手伝った。
・子供の頃、正月に父親から詩吟の特訓を受けた。
・子供の頃、父親の影響で浪曲が好きだった。
・小学校時代、父親が勤務する学校の図書館の本をよく読んだ。
 自宅の廊下に図書館の鍵がぶら下げてあった。
・小学校時代、模型飛行機作りが大好きだった。
・小学校時代、夏はプールで泳ぎ、冬はスケートをして遊んだ。
・小学校時代、夏休みに剣道の夏季練習の為に道場に通った。
・12歳の時、住んでいた平壌の家を家財道具ぐるみでソ連に接収された。
 父親は錯乱して母親は他界、生活の為に同世代の仲間と色々危ない事をした。
 ロシアの高級将校宿舎に毎日物乞いに行き、
 顔を覚えて貰って雑用を手伝って食料を貰った。
・野球、剣道、テニスをやっていた(どれも上達はしなかった)。
・小学校を3回、中学校を3回転校。
・中学時代から酒やタバコをやっていた。
・中学〜高校時代、長い距離を歩いて通学した。
・中学〜高校時代、八女茶の行商のアルバイト。
・高校時代、新聞部。
・高校時代、夏休みに自転車で木炭三俵を運んだ。
・小学校〜高校時代、登下校中に歩きながら本を読んだ。
・入学金と前期の授業料だけ親に出して貰って毛布1枚を抱えて上京した。
 上京当初はホームレスだった(大学の近所の神社の床下で寝た)。
・大学時代、経済的に苦労した。
 下落合の2畳半の部屋に住んでいた。
 コッペパン1個で1日を過ごした。
 食費の為に売血した(200c.c2回で1週間分の食費)。
・大学時代のアルバイト:
 サンドイッチマン(中央線沿線)。
 業界紙配達(住み込み、自転車で都内各所に配った)。
・大学時代、よく神宮球場で六大学野球を観た。
・大学時代、デモに何度か参加。
・授業料滞納で大学を抹籍。

■五木寛之

□私生活
・好物…いなり寿司。韓国のり。八女茶。メロンパン。
 しずく茶(地元・八女市のお茶、お茶として飲んだ後で葉を食べる)。
 コーヒー(執筆前と一段落字時に飲む)。
・しっかり食べるのは夕食だけ。
 夕食以外に適宜サンドイッチ、ケーキ、そばなどの軽食を摂る。
・酒が弱い。体質的にアルコールに弱い。
 ワインをグラスに半分が限界量。
・40歳になる前に禁煙。
・健康法…ネパールの岩塩(舐めると気分がしゃきっとする)。
 呼吸法。散歩。
・持病…
 変形性膝関節症(左脚に痛み、外出時に杖を使用)。
 逆流性食道炎。夜間頻尿。
・60歳の頃に初老性鬱になった。
・子供の頃から虚弱体質。
 体重約55㎏は20歳の頃から変わっていない(=23.05現在)。
・毎日朝晩体重を測る。
 2㎏以上の増減がないような食生活を心がけている。
・O脚。
・偏平足。
・新型コロナで自粛中に60年続けていた夜型の生活を朝型に変えた。
 0:00頃就寝、7:00頃までに起床。
 以前は0:00頃から明け方まで執筆、
 執筆後に入浴してバスタブで新聞や本を読んでから寝ていた。
・風呂が好き。毎日朝晩2回入る。
 雑誌や本を読みながらゆるめのお湯に1〜2時間入る事がある。
・洗髪が嫌い。年に数回しかシャンプーを使わない。
・90歳の時に一気に髪の毛が抜け落ちた。
・エアコンの冷風が苦手。
 夏場に外出する時は上着を来てスカーフを持ち歩く。
・文庫本が好き。
 常に文庫本を持ち歩いてわずかな空き時間に読む。
・毎日新聞各紙を丹念に読む。
・頁をめくる時に指をなめる癖がある。
・1932年製の腕時計を愛用。
・靴が大好き。一度も履いてない靴がたくさんある。
・ペット…犬(=98.03現在)。
・横浜にマンションを購入。
・金沢に住んでいた。
・20代の頃にダンスの講習に通った。
・クルマの運転が大好きだった。
・レーシングチームのオーナーとしてマカオのレースに参加。
・動体視力の衰えを自覚して60代でクルマの運転をやめた。
 運転免許を自主返納。
・タクシーをよく利用する。
・歩く事が好き。
・仏教史に興味関心がある。
 休筆中に京都の龍谷大学で学んだ。
・ホテル、喫茶店が好き。
 世界各地のホテル、喫茶店に行った事がある。
・石段が好き。
・日本全国の1000箇所の町や村を訪れる事を目標にしている。
 ※約900箇所を達成(=18年現在)
・手紙を書くのが大の苦手。
・携帯電話は電話をかける時にしか使わない。
 普段は電源OFF。外出時に持ち歩かない。※21.01現在
・食べ物に関して他人から指図されるのが嫌い。
・父親は50代で他界。
・毋親は40代で他界。
・弟は若くして他界。

■五木寛之

□人間関係
・奈良岡朋子…友人。「トモちゃん」と呼ぶ。
・五木ひろし…近藤啓太郎に頼まれて芸名を提供。
 五木のシングル「ふりむけば日本海」を作詞(=05年)。
・石原慎太郎…誕生日が全く同じ(1932.09.30)。
・鈴木紗理奈…五木寛之作品の愛読者。
・松坂慶子…交際を噂された。
・妻…精神科医、画家。?年結婚。

□エピソードなど
・農業雑誌の取材記者、業界誌編集長、
 ラジオ番組制作、CMソング作詞、構成作家などの仕事をしていた。
 TBSラジオの歌番組の構成をてがけた。
・のぶひろしのペンネームでCMソングを作詞。
・テレビ「遠くへ行きたい」に6回出演(いずれも1971年)。
・原稿用紙に万年筆で書く。
 書けない漢字は適当に崩してそれらしい形にしておく。
・旅先のホテル、喫茶店、飛行機、新幹線で原稿を書く。
 非日常的な空間で書く方が筆が進む。
・全国各地で講演活動。
・対談の仕事多数。
・日刊ゲンダイにコラム「流されゆく日々」を42年間毎日連載。
 ストックはしない(前日に書いたものが翌日掲載)。※18年現在
・週刊新潮にコラム「生き抜くヒント」を連載。

主要参考媒体
週刊新潮 15年10月22日号

五木寛之 1932.09.30 作家
五木寛之 1932.09.30 福岡県出身 
五木寛之 1932.09.30 早稲田大学文学部露文科抹籍

タイトルとURLをコピーしました