■朝潮太郎(4代目)(あさしお たろう) □肩書き 大相撲力士(89年引退) 大相撲年寄 □本名 長岡末広 □年寄名 山響→若松→高砂 □愛称 大ちゃん □生年 1955(昭和30)12.09(射手座) □没年 2023(令和05)11.02(享年67)小腸がん □出身地 高知県室戸市 □出身校 小津高校 近畿大学商経学部卒業 □略歴(満年齢) 78年(23歳)3月場所で初土俵(幕下付け出し)。 83年(28歳)3月場所後に大関昇進。 85年(30歳)3月場所で初優勝。 ※通算成績: 564勝382敗33休、優勝1回、殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回 ※主な出演: テレビ「いい旅夢気分」「カンブリア宮殿」「ベリーベリーサタデー」 □趣味 ラグビー観戦 アメフト観戦 ■朝潮太郎 □幼少時代〜 ・父親は漁師(南氷洋の捕鯨の砲手)。 1年うち20日程度しか家に帰ってこなかった。 ・4歳年下の弟がいる。 ・小学校時代、成績はトップクラス。 小4から毎年級長を務めた。 成績は算数と理科が5で体育は1、 太っていたので跳び箱、鉄棒、体操が苦手だった。 ・小6の時の体重は80㎏。 ・中学時代、地元では有名な進学塾(土佐塾)に通っていた。 ・勉強のしすぎで青白くなったので「少しは運動しろ」と言われて相撲を始めた。 ・殆ど家にいない父親の姿を見て、 銀行員か教師になって母親のそばにいてやりたい、と思っていた。 ・高校は進学校。 ・高1まで母親と一緒に風呂に入っていた。 ・19歳の秋、セックスを初体験(お相手は玄人の女性)。 ・大学3年の途中までは相撲でプロになる事は全く考えていなかった。 将来教師か銀行員になりたいと思っていた。 ・大学時代、アマ2冠(学生横綱、アマチュア横綱)。 ・大学の卒論のテーマは「多国籍企業について」。 □私生活 ・好物…タラコスパゲティ。 ・「人生、何より大切なのは明るさ」がモットー。 ・チャンドラーの名セリフ「男は優しくなければ生きていく資格がない」が好き。 ■朝潮太郎 □人間関係 ・琴風…家族ぐるみのつきあい。 同世代(親も子供も同世代)で話が合う。 現役時代はライバル的存在。 ・若嶋津…家族ぐるみのつきあい。一緒に旅行。 ・富士櫻…兄弟子。 富士櫻の現役最後の場所で朝潮が初優勝、 朝潮の優勝パレードで富士櫻が旗手を務めた。 ・朝乃山…弟子(高砂部屋所属)。 ・朝青龍…弟子(高砂部屋所属)。 朝青龍引退後に師弟関係が決裂して修復できなかった。 朝青龍がモンゴルから来日してお別れの会に出席。 ・いしいひさいち…マンガ「ワイはアサシオや」の作者(「夕刊フジ」連載)。 ・世耕政孝…仲人。母校・近畿大学の総長(当時)。 ・芋縄恵…元会社員、今宮戎の福娘。86年挙式。お見合い結婚。7歳年下。 ・子供: 長男…茂紀。 長女…由希子。 ■朝潮太郎 □エピソードなど ・幕下60枚目付け出しでデビュー。 ・初土俵の78年春場所は7戦全勝。 3場所目で新十両、5場所目で新入幕、15場所目で関脇昇進。 ・稽古が嫌いだった。 稽古で不利な態勢になると力を抜いてあっさり負けた。 ・通算13勝(7敗)で「北の湖キラー」と呼ばれた。 ・CM「アルギンZ」出演(=82年)。 ・7度目の挑戦で大関昇進(=83年)。 ・シングル「ほたる川」発表(=84年)。 ・史上初の大関同士の優勝決定戦で若嶋津を破って初優勝(唯一の優勝=85年春場所)。 それ以前の3度の優勝決定戦ではいずれも敗退して「ノミの心臓」と呼ばれた。 ・大相撲パリ場所で千代の富士を破って優勝(=86年)。 ・17場所連続ひとケタ勝利。 ・初日から4連敗して引退。 ・大関在位36場所。 ・初土俵、大関昇進、初優勝、引退はいずれも3月場所。 ・7代目高砂を襲名(=02年)。 ・高砂部屋は年に1度の海外旅行、門限ナシというユニークな指導方針。 ・ピンク・レディーのモノマネが得意。 朝潮太郎 1955.12.09 大相撲力士 朝潮太郎 1955.12.09 大関在位36場所 大ちゃん 朝潮太郎 1955.12.09 - 2023.11.02(享年67)小腸がん