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早乙女太一

■早乙女太一(さおとめ たいち)

□肩書き
 俳優

□本名
 西村太一

□旧芸名
 お祭太一

□生年
 1991(平成03)09.24(天秤座/B型)

□出身地
 福岡県太宰府市生まれ

□略歴(満年齢)
 05年(14歳)大衆演劇劇団・劇団朱雀の2代目座長に就任。
 07年(16歳)大河ドラマ「風林火山」出演。
 22年(31歳)ドラマ「封刃師」主演。
 ※他の主な出演:
  舞台 「蛮幽鬼」「髑髏城の七人」「GOEMON」
  映画 「TAKESHIS’」「少年H」「クローズEXPLODE」
  ドラマ「あんみつ姫」「忘却のサチコ」「カムカムエヴリバディ」

□趣味
 映画観賞 写真 ショッピング ビリヤード ダーツ サッカー

□特技
 コーラの一気飲み

□サイズ
 174㎝

■早乙女太一

□幼少時代〜
・父・葵陽之助は大衆演劇劇団・劇団朱雀の座長。
・母・鈴花奈々は劇団朱雀の劇団員。
・両親は01年に劇団朱雀を旗揚げする以前は別々の劇団に所属していた。
・生まれた時の体重は3906グラム。
・弟(5歳年下)と妹がいる。
・父親はとても厳しかった。よく怒られた。
・母親は太一を出産する1週間前まで舞台に立っていた。
・とてもおとなしい子供だった。
・楽屋で遊んで袖から両親や劇団員の舞台を見て育った。
・劇団員の子供(1歳年上の男の子)といつも一緒に遊んでいた。
・よく弟がキレるまで弟にちょっかいを出し続けてケンカをした。
・10歳から日舞を習った。
・小学校〜中学時代、公演中は2〜3時間目で早退、地方巡業のたびに転校。
 基本的に毎月転校、多い時は1年間で20回転校。
 学校行事は小学校の時に運動会に1回だけ参加。
・12〜13歳の頃、反抗期があった。
 「やらされている」という気持ちの方が勝って「劇団をやめたい」と何度も思った。
 家出しようとして携帯電話を壊して駅のホームまで行って悩んだ末におもいとどまった。
・中学の卒業式は祖母が父兄代表で出席してひとりだけで校長室でやった。
・10代後半の頃、「20歳になったら役者を辞めたい」と言っていた。
・16歳の頃、1ヵ月に1㎝ペースで身長が伸びた。

■早乙女太一

□私生活①
・好物…白米(大好物)。
 ラーメン(大好物、寝る前にインスタントラーメンを2〜4玉食べる)。
 もんじゃ焼き。炭水化物(大好物)。
 肉(特に牛タン、鶏肉)。オムレツ。納豆。
 果物。ドーナツ。プリン。チョコレート(大好物)。
 コーラ。カルピス。
・嫌いな食べ物…肉の脂身。野菜全般(キュウリ、トマト、ピーマン)。しそ。
・気に入った同じ飲み物を3ヵ月以上飲み続ける。
・料理はしない(=09.09現在)。
・健康法…青汁。
・高さ3.5mの2階桟敷席から舞台に飛び降りた際に左かかとを骨折(=12年)。
・持病…喘息。
・若干潔癖症。
・夜型。
・若い頃は常にエアコンで部屋を冷やして寝ていた。
・若い頃は入浴は基本的にシャワーだけだった。
・お笑い番組が大好き。

■早乙女太一

□私生活②
・いきつけ…
 「甚六」(白金)。
 「BISTRO葵舎」(名古屋、子供の頃から通っている=23.05現在)。
・洋服を買うのが好き。
・歩くのが嫌い。
・バック転ができる。
・サウナが大好き。
 ステージ付きの健康ランドを作りたいと思っている。
・ディズニーランドが好き。家族でよく行く。
・カラオケが大好き。十八番はTHE YELLOW MONKEY。
・面倒くさがり屋。
・超負けず嫌い。ゲームを勝つまでやる。
 弟とゲームで連敗してちゃぶ台をひっくり返した事がある。
・マイナス思考。考え込むとネガティブな方向へ行ってしまう。
・喜怒哀楽をあまり表情に出さない。
・ひとりで映画館に行く。映画館でポップコーンを食べるのが大好き。
・ひとりで洋服を買いに行く。
・人見知り。笑顔で話しかけるのが苦手。
 ※克服して「親しみやすい人」になりたいと思っている
・「話しかけにくいオーラ」が出ているとよく言われる。
・弟と妹も劇団朱雀の役者。
・好きなタイプ…キツくて冷たい感じの女性。しっかりした女性。
・好きな女性に自分からアプローチする。
・告白してフラれた事が何度かある。

■早乙女太一

□人間関係
・Song Riders…親友。Song Ridersが共同生活している家によく泊まりに行く。
・柄本時生…友人。よく一緒に食事。週3ペースで会う。
 一緒に楽器を練習。オンラインゲーム友達。
 仲良くなった当初は毎日会っていた。
・京本政樹…友人。よく電話をする。
・窪田正孝…友人。よく一緒に遊ぶ。
・松田美由紀…友人。よく一緒に食事する。「太一」と呼ばれる。
・井上真央…友人。メール友達。
・橘大五郎(橘菊太郎劇団の若座長)…友人。食事、カラオケ、ビリヤードに行く。
 ライバル的存在。お互いの舞台に友情出演。一緒に日舞を習った。5歳年上。
・さだまさし…大衆演劇が好き。
・はんにゃ…好きなお笑いタレント。
・吾妻豊隆…日舞吾妻流の師匠。
・猿若清三郎…日舞猿若流の師匠。
・早乙女友貴…弟。舞台「MOON SAGA」でふたり一役で共演(=12年)。
・西山茉希…13.06.30結婚、19.06.26離婚。
 「カルちゃん」「タチ」と呼びあった(「カルちゃん」が西山)。
・子供:
 長女…13.10.30誕生。12時間の難産。出産に立ち会った。
 第2子…16.04.11発表。

■早乙女太一

□エピソードなど
・4歳の時に初舞台。
・父親が劇団朱雀を創立した時に芸名を「お祭太一」から「早乙女太一」に変えた(=00年)。
・映画「座頭市」に子役として出演してタップダンスに挑戦(=03年)。
・映画「TAKESHIS’」に早乙女太一本人の役で出演(=05年)。
・女形を始めた頃は女形を演じるのが大嫌いだった。
・劇団朱雀のチケットが即完売して劇場に入れないファンが劇場の周りにあふれた。
 浅草・大勝館創立以来初めての大人気。
・「100年にひとりの天才女形」「流し目王子」「吉原観音の生まれ変わり」と呼ばれる。
 「吉原観音…」は舞台「千年の祈り」で吉原の遊女役を好演した事から。
・「早乙女太一に正絹を着せる会」を結成した有志のファンが金を出し合って
 高級な着物をプレゼントしてくれる。
・劇団朱雀は全国各地の小さな劇場や健康ランドなどを約1ヵ月毎に廻る。
 芝居、ミニショー、歌謡ショーなどを昼夜2ステージ、
 夜の部が終わった後で翌日の稽古を深夜3〜4時までやる。
・浅草・大勝館での公演前に吉原観音にお参りに行く。
・ハワイで単独公演(=07年)。
・「早乙女太一写真集」を出版(=07年)。
・紅白歌合戦で坂本冬美のバックで踊った(=07年)。
・テレビ「さんタク」で明石家さんまと木村拓哉に女形を指導した(=08年)。
・役者でやっていこうと腹をくくったのは23〜24歳の頃。
 子供ができた事が大きなきっかけだった。
・15年に解散した劇団朱雀を19年に復活。

主要参考媒体
JUNON 07年6月号,07年10月号,07年11月号
日刊スポーツ 07年8月12日号,25年6月29号

早乙女太一 1991.09.24 俳優
早乙女太一 1991.09.24 忘却のサチコ

俳優
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