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岩崎恭子

■岩崎恭子(いわさき きょうこ)

□肩書き
 競泳選手

□本名
 岩崎恭子

□生年
 1978(昭和53)07.21(蟹座/A型)

□出身地
 静岡県沼津市

□出身校
 沼津市立第五中学校
 日本大学三島高校
 日本大学文理学部心理学科

□略歴(満年齢)
 92年(14歳)バルセロナ五輪金メダル(200m平泳ぎ)。
 96年(18歳)アトランタ五輪出場。
 98年(20歳)現役引退。
 ※主な出演:
  テレビ「徹子の部屋」

□趣味
 ゴルフ

□資格・免許
 普通自動車免許

□サイズ
 159㎝

■岩崎恭子

□幼少時代〜
・実家は「岩崎水道工業所」(祖父が創業)。
・祖母、母親がお茶の先生の資格を持っている。
・3人姉妹の次女。3歳年上の姉、2歳年下の妹がいる。
・習いごと…習字。ピアノ。英会話。
・両親の躾がとても厳しかった。
・4歳の頃、父親が白血病を発症。
・5歳の時、姉の影響で水泳を始めた。
・小学校時代、スイミングスクールの男の子全員にバレンタインのチョコをあげた。
・小学校時代、水泳以外に習字、ピアノを習った。
・姉とバルセロナ五輪代表の座を争った。
 姉は100m平泳ぎと200m平泳ぎでインターハイ2冠。
・バルセロナ五輪で金メダルを取った後も両親に「普通の子供」として育てられた。
 仕事の移動で新幹線のグリーン車を手配されると親が断った。
・姉と妹と小学校から大学まで同じ大学に通った。
・大学時代、世田谷区のワンルームマンションでひとり暮らし。
 2年後に妹が上京して来たので2LDKに引っ越して一緒に住んだ。

■岩崎恭子

□私生活
・好物…白米。おにぎり。赤飯。
 パスタ。ラーメン。そば。パン。ハンバーガー。
 もつ鍋。水炊き。具沢山の味噌汁。ステーキ。
 アジの干物。明太子(大好物)。
 トマト(大好物、ほぼ毎日食べる)。ポン酢。
 あんこ。和菓子。洋菓子。
 紅茶。炭酸水。ジンジャーエール。イタリアン。
・得意料理…ハンバーグ。
・食べる事が大好き。イタリアンレストランを食べ歩きする。
 体重が増えた時は炭水化物を控える。
・酒が好き。好きな酒は焼酎、ワイン。
・健康法…果物(朝食にたくさん摂る)。
 ウォーキング。ジョギング。
・アレルギー性鼻炎を改善するレーザー手術を受けた(=07年)。
・涙もろい。
・花粉症。
・乾燥肌。
・末端冷え性。冬場はゆたんぽで足元を温める。
・痛みに弱い。少しでも体に異常が起きたときはすぐに病院へ行く。
・好きなアーティスト…浜崎あゆみ。Every Little Thing 。TRF。
・好きなドラマ…「SEX and the CITY」。
・100%自然分解されるエコ洗剤を愛用(ドイツのメーカーSONETTの製品)。
・占いが好き。
・住んでいる所…東京都(=17.06現在)。
・いきつけ…カフェレストラン「AO Cafe」(青山、ひとりでも行く)。
・マッサージ、ネイルサロンが好き。
・歯医者に行くとたいてい眠たくなる(実際に寝てしまう事がある)。
・海外行くと必ずスーパーマーケットや薬局に行く。
・両親は里子を2人育てている(=15.07現在)。
・元夫(斉藤)と結婚中に一般男性と恋愛関係にあった事をブログで釈明(=18年)。

■岩崎恭子

□人間関係
・田中雅美…親友。同学年。
 ほぼ毎日連絡を取り合う。多い時は週に2回会う。
 お互いに恋愛相談をする。アトランタ五輪の選手村で同室。
・中村真衣…友人。よく一緒に食事する。
・下川みくに…友人。時々一緒に食事する。
・高桑健(競泳選手)…高校の後輩。北京五輪代表。
・山本昌邦(サッカー選手)…高校の先輩。
・伊達公子…応援しているスポーツ選手。
 伊達の試合を生観戦した事がある。
・高橋繁浩…バルセロナ五輪で金メダルを取った時のテレビ中継の解説者。
 声がうわずり気味になる熱狂的な応援解説だった。
・松原忠明(サッカー選手)…交際を噂された。
・斉藤祐也…ラグビー選手(神戸製鋼、日本代表)。09年4月結婚、18.11.03離婚。
 交際中に数年間遠距離交際していた。
・子供:
 長女…11.03.28誕生。

■岩崎恭子

□エピソードなど
・姉も優秀な水泳選手だった。
 バルセロナ五輪の選考会に出場(岩崎は2位、姉は4位)。
・バルセロナ五輪に向けたトレーニングで1日に1万m泳いだ。
 練習のキツさに泣きながら泳いでゴーグルに涙が溜まった。
・調子の乗ると良い記録が出なかったので「常に平常心」をこころがけていた。
・バルセロナ五輪決勝で自己ベストを約5秒更新して金メダルを獲得(2分26秒65)。
 ゴール寸前の数mは自分の体が自分でないような感覚があった。
 14歳での金メダルは世界競泳史上最年少金メダル。
 決勝までのインターバルの間におにぎり4個を食べて1時間仮眠を取った。
・女子200m平泳ぎの金メダルは36年ベルリン五輪の前畑秀子以来56年ぶり。
・バルセロナ五輪で金メダルを取った時のインタビューで
 「今まで生きてきた中で一番幸せです」と答えて話題になった。
・バルセロナ五輪に出発する時の見送りは20人だったが帰国後の凱旋パレードは5万人。
・バルセロナ五輪後約2年間、実家にいたずら電話や嫌がらせの手紙がたくさん来た。
 その間の事はあまり覚えていない。一時は競泳が嫌いになった。
・アトランタ五輪は決勝に進めなかった。
 女子200m平泳ぎ10位、女子100m平泳ぎ予選落ち。
・ドーピング検査の容器からあふれそうな程おしっこが出てしまった事がある
 (監視員のすぐ目の前で採尿しなければならないので恥ずかしかった)。
・コーチチングの勉強の為にアメリカ・ロサンゼルスに1年間留学(02年〜03年)。
ビザを自分で申請、ホームステイ先を自分で探した。
・現役引退後も物事を4年単位で考えてしまう。
・自分が泳ぐわけではないのに代表選考会の事を考えると心臓が痛くなる。
・セミヌード写真集「METAMORPHOSES」を出版(=04年)。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=05年3月30日放送分)。
・NHK-BS「岩崎恭子 街道てくてく旅 四国・琴平→松山200km」に出演(=05年)。
 金刀比羅宮から松山までの約200㎞を徒歩で踏破。
・スポーツコメンテーター、日本オリンピック委員会事業・広報専門委員、
 日本水泳連盟競泳委員、基礎水泳指導員(水泳インストラクター)として活動。
・水泳インストラクターとして全国各地でベビー水泳教室、子供水泳教室で指導をする。
・スポーツ施設のオープニングゲストによく呼ばれる。
・ペットボトルやスニーカーを利用する着衣救難泳法を教えている。

主要参考媒体
スポーツ人名辞典(日外アソシエーツ)
週刊文春 17年6月22日号

岩崎恭子 1978.07.21 競泳選手
岩崎恭子 1978.07.21 静岡県沼津市出身
岩崎恭子 1978.07.21 日本大学文理学部心理学科

競泳
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