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為末大

■為末大(ためすえ だい)

□肩書き
 陸上選手(400mハードル)

□本名
 為末大

□生年
 1978(昭和53)05.03(牡牛座)

□出身地
 広島県

□出身校
 五日市中学校
 広島皆実高校
 法政大学

□略歴(満年齢)
 01年(23歳)世界陸上エドモントン大会3位。
 04年(26歳)アテネ五輪で準決勝進出。
 05年(27歳)世界陸上ヘルシンキ大会3位。

□趣味
 料理

□サイズ
 170㎝ 66㎏

■為末大

□幼少時代〜
・姉と妹がいる。
・最初は体操や水泳をやっていたが、陸上をやっていた姉の影響で陸上を始めた。
・小5の時、膝の剥離骨折の手術を受けた。
・中学時代、ケンカになって殴り返したのを先生に「やり返すのは良くない」と言われ、
 自分の行動を他人に判断される事に対して強い不満を感じた。
・中学時代、100mと200mで全国優勝。
・高校時代、7:00からの朝練に参加する為に毎朝6:00前に家を出た。
・高校時代、野茂英雄がメジャーで初三振を取った事に衝撃を受けて
 「僕も世界で勝負する」と思い立った。
・高校時代、故障が続いて伸び悩み、指導法に関する本を読みあさった。
・高3の時、地元・広島で開催された国体で優勝(400mハードル)。
 それをきっかけに400mハードルに本格的に転向した。
・「コーチを付けずに自分でやりたい練習をする」
 という条件を受け入れてくれた法政大学を選んだ。
・大学時代、インカレ3連覇。
・大学時代、家賃5万円のアパートに住んでいた。
・学生時代、読書部。

■為末大

□幼少時代〜
・姉と妹がいる。
・最初は体操や水泳をやっていたが、陸上をやっていた姉の影響で陸上を始めた。
・小5の時、膝の剥離骨折の手術を受けた。
・中学時代、ケンカになって殴り返したのを先生に「やり返すのは良くない」と言われ、
 自分の行動を他人に判断される事に対して強い不満を感じた。
・中学時代、100mと200mで全国優勝。
・高校時代、7:00からの朝練に参加する為に毎朝6:00前に家を出た。
・高校時代、野茂英雄がメジャーで初三振を取った事に衝撃を受けて
 「僕も世界で勝負する」と思い立った。
・高校時代、故障が続いて伸び悩み、指導法に関する本を読みあさった。
・高3の時、地元・広島で開催された国体で優勝(400mハードル)。
 それをきっかけに400mハードルに本格的に転向した。
・「コーチを付けずに自分でやりたい練習をする」
 という条件を受け入れてくれた法政大学を選んだ。
・大学時代、インカレ3連覇。
・大学時代、家賃5万円のアパートに住んでいた。
・学生時代、読書部。

■為末大

□私生活
・好物…酢もつ。牛乳。コーヒー(1日5〜6杯)。和食。
・得意料理…鶏の唐揚げ。筑前煮。餃子。ポテトサラダ。
・料理が好き。
 栄養のバランスを考えて料理番組を見て自分で買物をして作る。
 大学時代に寮で40人分の食事を作っていた。
 調理グッズマニア。6万円の包丁を持っている。
 長男のお弁当を作る。
・外食して野菜が足りないと感じた時はニンジンを生で食べる。
・自宅で鍋パーティーや餃子パーティーをやる。
・酒が好き。好きな酒はビール、日本酒、ワイン。
・健康法…ニンニクの醤油漬け。
 オメガオイル(マグロの脂を抽出したもの、毎日朝晩飲む)。
 ハーブ系のサプリメント。
・太らない体質。
・字を書くのが苦手。通信教育の漢字ドリルをやった。
・好きな本…経営者本。経済書。新渡戸稲造「武士道」。
・好きな音楽…パンクロック。
・好きなミュージシャン…ブルーハーツ。
・幕末が好き。幕末が好きな仲間と「幕末塾」を結成した。
・01年から500万円を元手に株・不動産などに投資。
 約2000万円の利益を出した。
・革ジャン、帽子が好き。
・パンクファッションが好き。
・住んでいる所…アメリカ・サンディエゴ(=12.03現在)。
・いきつけ…「博多もつ鍋 蟻月」(渋谷区、店長と仲が良い)。
・世界陸上パリ大会直前に父親が喉頭がんで他界(享年54=03年)。
・好きなタイプ…母親のような女性。性格が柔らかい女性。アキレス腱が長い女性。

■為末大


□人間関係
・ATSUSHI(Dragon Ash)…ヒップホップダンスの師匠。
・末続慎吾、内藤真人…友人。ホームパーティー仲間。
・朝原宣治…友人。大阪ガス陸上部の先輩。
・増島みどり…友人。スポーツライター。
・山本浩二(プロ野球選手)…同じ町出身(広島市佐伯区)。中学校、大学の先輩。
・甲本ヒロト…憧れている芸能人。
・妻…?年結婚。
・子供:
 長男…4歳(=19.10現在)。

■為末大

□エピソードなど
・10代の頃は金髪にピアスで大会に出場。
・シドニー五輪予選でトップを走りながら突風でバランスを崩して9台目で転倒。
・大学卒業後、代理人を探して海外の賞金レースに参戦。
 片道切符で挑戦した
・最初の欧州遠征で8日間で4レースを走って約250万円の賞金を獲得。
・エドワーズ(三段跳び)のジャンプの軌跡を参考にした。
・01年世界陸上エドモントン大会で日本新の47秒89をマーク(=01年)。
・03年世界陸上パリ大会後、スランプに陥り、練習にも身が入らず、引退を考えた。
・03年のプロ宣言後、スポンサーがつかず、一時は失業保険で食いつないだ。
・ワールドアスレティックファイナルに日本人としてトラック種目に初出場(6位=04年)。
・豪雨の中で行われた03年世界陸上ヘルシンキ大会決勝で頭からゴールに飛び込んだ。
 天候によりレース延期の噂が飛び交って若い選手が動揺する中で
 「TBSが高額な放送権料を払っているのだから、
 日本人が出場するレースを簡単に中止にする筈がない」と思って当日の調整をしていた。
・05年世界陸上3位の賞金は200万ドル。
・オランダ・デンハーグを拠点にしていた。
・抜き打ちのドーピング検査の為に常に居場所を明らかにしておく必要があった。
・レース前にパンクロックを聴いて気分を高める。
・プロ転向後はひとりで海外を転戦。
・自らを「サムライハードラー」と呼ぶ。
・トレーナーを使わずに自分で練習プランを考える。
・ジャンプする練習をしすぎて内臓の病気になって入院した事がある。
・トレーニングに器械体操やヒップホップダンスを取り入れていた。
・ハードル間のステップ数とスピード調整に頭を使う。
・理想のパターンは勝ち逃げ。
 1台目からリードして落ちて行くスピードをできるだけ遅くするハードリングが理想。
・スポーツを通じて社会に貢献する「アスリートソサエティ」を主宰(=12.03現在)。
・競技用義足開発メーカー「サイボーグ」を設立(=14年)。

主要参考媒体
Number 01年11月1日号
AERA 05年10月10日号

為末大 1978.05.03 陸上選手
為末大 1978.05.03 世界選手権3位2回(400mH 01年,05年)
為末大 1978.05.03 2000年代総合

陸上
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