■市川崑(いちかわ こん)
□肩書き
映画監督
□所属
東宝
□本名
市川崑
□別名
久里子亭(くりすてい、脚本家名)
□生年
1915(大正04)11.20(蠍座)
□没年
2008(平成20)02.13(享年92)
□出身地
三重県
□出身校
市岡商業高校中退
□略歴(満年齢)
56年(41歳)映画「ビルマの竪琴」監督。
65年(50歳)映画「東京オリンピック」監督。
76年(61歳)映画「犬神家の一族」監督。
※他の主な監督作品:
映画「悪魔の手毬唄」「細雪」「どら平太」
□趣味
野球観戦 麻雀
□特技
絵画(漫画)
■市川崑
□幼少時代〜
・父親は呉服問屋を経営。
・4人きょうだいの末っ子長男。
・0歳の頃に父親が他界。
・子供の頃、絵を描くのが好きだった。
将来漫画家になりたいと思っていた。
・子供の頃、時代劇、野球が好きだった。
・17歳の時、ディズニー映画「シリー・シンフォニー」を観てアニメ映画に魅せられた。
・野球のボールが背中に当って脊椎カリスエの疑いで半年間療養。
□私生活
・好物…肉。コーヒー。
・嫌いな食べ物…魚。
・酒は飲まない。
・健康法…ビタミン剤。ドリンク剤。
・1日100本のヘビースモーカーだった。
・急性肺炎で40日入院。
・ミステリー小説が好き。
脚本家名の久里子亭は大好きな作家のアガサ・クリスティから。
・ミッキーマウスが好き。
・テレビはニュースと巨人戦しか見ない。
・青田の時代から巨人ファン。
・住んでいる所…東京都渋谷区(=99年現在)。
・好奇心旺盛。
■市川崑
□人間関係
・浅丘ルリ子、岸田今日子…友人。麻雀仲間。
・石坂浩二…友人。
・荒俣宏…偶然同じ旅行ツアーに参加、死海で一緒に泳いで仲良くなった。
・高峰秀子…戦時中に高峰の家に用心棒として居候、一緒に防空壕を掘った。
初監督作品「花ひらく」に主演。
・草笛光子…市川が監督した映画「金田一耕助」シリーズ全5本に出演。
・中井貴一…市川崑監督作品に多数出演。
・田中絹代…好きな映画女優。
・黒沢明、木下恵介、小林正樹、市川崑
…日本映画の現状を憂い て「四騎の会」を結成(=69年)。
4人で1ヵ月旅館にこもって書いたシナリオを30年後に市川崑が映画化(「どら平太」)。
・黒沢明…助監督時代に目標にしていた。
・和田夏十(茂木由美子)…GHQの通訳→脚本家。48年結婚。
市川崑監督作品の大半の脚本を担当。
※83年に乳癌で他界
・子供:
長男…建美。
長女。
■市川崑
□エピソードなど
・18歳の時、JOスタジオに入社、マンガ部でアニメーター修業。
・20歳の頃、短編アニメ映画「新説カチカチ山」を制作。
脚本・演出・作画・撮影・編集を全てひとりで担当。
・映画「花ひらく」監督(第1回監督作品=48年)。
・映画「鍵」でカンヌ映画祭審査員特別賞(=60年)。
・ゴダールの映画を観た時、どうしても撮影方法がわからず、
助監督でつけばわかるだろうと思ってフランス語を習った(2ヵ月で挫折)。
・東宝でシネマスコープを初めて使用。
・映画「東京オリンピック」に関して:
撮影に103台のカメラ、232本のレンズを使用。
「芸術作品か記録映画か」と大論争を巻き起こした。
日本映画史上最多観客動員を記録(1800万人)。
カンヌ映画祭特別賞。
・映画監督として初めてテレビドラマやCMの監督に挑戦。
・常に新しい撮影技術や撮影効果を取り入れた。
・タバコを持ったまま手を動かして演技指導をすると危ないので、
タバコを口にくわえたえたまま明瞭に喋る方法を体得。
・シナリオを書く時に伊丹万作「無法松の一生」と黒澤明「用心棒」のシナリオを読み返す。
・若い頃は役者に対して大声で怒鳴っていたが年を取ってだんだん温厚になってきた。
・サントリーのCM「オ−ルド」「レッド」の演出を長年担当。
・タイトルのデザインを自らてがける。
・「日本映画最後の巨匠」と呼ばれた。
・映画「かあちゃん」が第25回モントリオール世界映画祭で功労賞(=01年)。
主要参考媒体
週刊現代 22年2月26日号