スポンサーリンク

吉幾三

■吉幾三(よし いくぞう)

□肩書き
 歌手

□本名
 鎌田善人

□旧芸名
 山岡英二

□生年
 1952(昭和27)11.11(蠍座/B型)

□出身地
 青森県北津軽郡金木町

□略歴(満年齢)
 77年(25歳)「俺はぜったい! プレスリー」がヒット。
 83年(31歳)「俺ら東京さ行くだ」がヒット。
 86年(34歳)「雪國」がヒット。紅白歌合戦初出場。
 ※他の主な出演など:
  楽曲「酔歌」「酒よ」「DREAM」
  映画「俺は田舎のプレスリー」
  ドラマ「夏・体験物語」「春日局(大河ドラマ)」

□趣味
 パソコン ゴルフ 釣り 

□特技
 料理 書道

■吉幾三

□幼少時代〜
・父親は地元では有名な民謡歌手。
・青森県北津軽郡金木町は太宰治の生地として知られる米と民謡の町。
・9人兄弟の末っ子。
・子供の頃、かわいがっていた鶏が夕食のおかずにされてショックを受けた。
・4歳頃から父親の横で民謡を歌い、そこで貰うおひねりを生活費に足しにしていた。
・父親が酒飲みで家にお金を入れてくれなかったので村で一番貧乏だった。
 家に風呂とテレビがなかった。
 学校でモノがなくなると全部罪を被せられた。
 兄弟と一緒にソリで牛乳やヤクルトを配るアルバイトをして家計を助けた。
 お年玉を貰ったことがなかった。
・父親に「中卒で儲けられるのは泥棒か歌手しかねえ」と言われて歌手を志した。
・中学時代、試験の答案用紙の名前の欄に「歌手・鎌田善人」と書いていた。
■吉幾三

□私生活
・好物…白米。フカヒレの姿煮。中トロ。しじみ。アイスクリーム。
・得意料理…吉鍋(豚肉、野沢菜を使う青森の郷土料理)。
 ホタテ貝焼き味噌。
・酒が好き。好きな酒は焼酎。
 16:00頃から飲み始める。
 酔うと下ネタを連発して裸になって踊る。
 酔って移動の車中で紙袋におしっこをしてそれを山本譲二に持たせた事がある。
 酔って東京駅で島倉千代子をおしりを出して見送った事がある。
・禁煙に成功。
・腸潰瘍で3ヵ月入院(20代半ば)。
・椎間板ヘルニアで緊急入院(=99年)。
・不整脈で緊急入院して心臓にペースメーカーを入れる手術を受けた(=13年)。
・大腸ポリープが潰れて血便が出て貧血状態のまま仕事を続けた事がある。
 主治医の先生に紅白歌合戦の楽屋に待機して貰い、放送終了後に即入院。
・自分のジュニアの事を「ケビン」と呼ぶ。
・クーラーが苦手。常に股引をはいて寝る。
・泳げない(=19.11現在)。
・好きな音楽…バハマやキューバの音楽。
・好きなアーティスト…ボブ・マーリー。
・収集…腕時計。
・ペット…犬(=02.03現在)。
・住んでいる所…青森県北津軽郡金木町(=19.11現在)。
 子供を自然の中で育てる為に建てた一軒家、土地約800坪、
 リビング35畳の6LDK、お風呂は湯船が4畳半、 スタジオがある、
 庭は白樺で囲まれている、通称ホワイトハウス、地元の名所(=12.07現在)。 
 ※1年間の青森、東京、地方滞在の割合は各々1/3程度(=12.07現在)
 ※東京にも家がある(=12.07現在)
・いきつけ…
 鶏料理「はやと屋」(人形町=17.08現在)。
 焼肉「燈花」(人形町=15.03現在)。
 うなぎ「両國」(錦糸町、20年通っている、御主人夫婦と仲良し)。
 寿司「勝どき」(築地)。
 炭火焼「Jige」(築地)。
・ゴルフクラブのセットをたくさん持っているがどれを使ってもスコアが伸びない。
・オナラをするつもりでウンコをちびってしまった事がある。
・芸能生活30周年を機に03年1月から約半年間仕事を休養して世界各地を旅行。
 ニューオリンズで小さな編成のバンドの生演奏を聞いて感動で涙が出た。
・社会人野球クラブチーム「ブルーズヨシフォレスト」の総監督(=09年現在)。
・母親と叔父叔母を東京のコンサートに毎年招待して東京を案内した。
・母親は103歳で他界。
・家族全員でよく旅行に行く。
・子供を厳しく育てた。
 高校卒業までは部活がない日は門限17:00、遅れた時は遅れた時間分正座させた。
・孫はハワイ在住。
・不遇時代に船上のど自慢の司会をしていた時に妻と知り合った。
 妻は仙台の八百屋の娘だったので手紙をやりとりして仕事で仙台に行った時に会っていた。
 ある日急に思い立って友人のトラックを借りて仙台に行って強引に略奪して結婚した。
 結婚当初は風呂なしトイレ共同のアパートに住んでいた。
 売れるまではヒモ同然の生活だった。
・10年遅れの結婚式を故郷金木町の斜陽館(太宰治の実家)で挙げた(=85年)。

■吉幾三

□人間関係
・千昌夫…親友。仲人。
 「俺ら東京さ行くだ」のプロデューサー。
・山本譲二、細川たかし…親友。定期的に集まって飲む。
 「兄弟の契り」をかわしている。
 出身地の頭文字をとって3人で「北青山倶楽部」を結成。
・志村けん…友人。飲み友達。「志村けんのうた」を作ってあげた。
・中畑清…友人。ゴルフ友達。中畑のシングル「十和田丸」を作詞作曲。
 中畑のカラオケの十八番は吉幾三の「津軽平野」。
・前川清…友人。遊び仲間。
・城之内早苗、角川博、山川豊、鳥羽一郎、神田利則、香田晋
 …友人。カラオケ仲間。
 罰ゲームを賭けて点数カラオケで点数を競う
 (「コンビニで下着を買って頭にかぶる」「他の部屋で無料キャンペーン」など)。
・山川豊……山川の「途中下車」を作詞作曲(=94年)。
・真田ナオキ…深夜・早朝によく真田にテレビ電話をかける。
・松本人志…吉の曲のファン。
・米山正夫…作曲家。歌の師匠。
・コージー富田…吉のモノマネをする。
・蜷川進…うなぎ「両國」(錦糸町)の御主人。不遇時代を支えてくれた恩人。
 ※「素顔が一番」出演(=03年7月26日放送分)
・唐澤先生…主治医。30年来の家族ぐるみのつきあい。
 ※「ウチくる!?」に出演(=04年6月7日放送分)
・寿佐子…?年結婚。
・子供:
 長女…KU(本名・幾美)。25歳(=02.03現在)。歌手。
 次女…寿三美。79.02.24誕生。歌手、俳優。
 長男…大介。21歳(=02.03現在)。

■吉幾三

□エピソードなど
・15歳の時、歌手を志して親の反対を振り切ってギター1本を持って上京。
 上京に際して母親が3000円(当時としては大金)のギターを買ってくれた。
・上京後、姉夫婦の元に身を寄せて、義兄がやっていた様々な仕事を手伝った
 (パチンコ屋、トラック運転手の助手、板前など)。
・板前のアルバイトをしていた時に仲居さんに誘われるままにセックスを初体験。
・アルバイト歴…喫茶店のやとわれ店長。ホスト。
・ヤンマーのCMソング「恋人は君ひとり」で歌手デビュー(山岡英二名義=72年)。
・「俺はぜったい! プレスリー」はプレスリーの訃報を聞いてスナックで酔って即興で作った曲。
・「俺はぜったい! プレスリー」リリース時にレコード会社が勝手に芸名を「吉幾三」に変更。
・「俺はぜったい! プレスリー」の印税はほとんど酒代に消えた。
・「俺ら東京さ行くだ」がヒットした時に全国の小さい村からクレームが来た。
・「俺はぜったい! プレスリー」は<百姓>、
 「俺ら東京さ行くだ」は<お巡り>が放送禁止用語だったので紅白歌合戦に出場できなかった。
・「俺ら東京さ行くだ」で「ザ・ベストテン」に初出演した時、
 緊張のあまり歌詞を忘れて歌い直しをさせて貰ったが歌い直しでも歌詞が出て来なかった。
・もともと演歌を歌いたいと思っていた。
・酒を飲んだ時に曲のインスピレーションが生まれる。
・「雪國」は泥酔した時にひらめいた下ネタソングだった。
 元元の歌詞は「好きよ あなた、だめよ そこは」。
 スタッフに「メロディが良いのでちゃんとした歌詞をつけましょう」と言われて作り直した。
・「雪國」は在日外国人の間でカラオケ人気ナンバーワンらしい。
・ピアノ、ギター、キーボード、パソコンで作曲。
・地方滞在中によく作詞をする。
・舞台に借金取りがおしかけてきて控室に戻れず、
 同じ衣装のままで最後までやり続けた事がある。
・歌詞を覚えるのが苦手。
・舞台「吉幾三特別公演 喜劇・兄弟」で次女・寿三美と親子共演(=99年)。
・津軽弁のラップ「TSUGARU」をCDリリース(=19年)。
 青森の自宅の近所でMVを撮影(自宅が映っている)。
・長女はハワイで歌手活動。「雪國」を英語でカバー。
・副業…「いくぞうHOUSE」(青森、グッズ販売、レストランの厨房で自ら料理する事がある)。

吉幾三 1952.11.11 歌手
吉幾三 1952.11.11 青森県北津軽郡金木町出身
吉幾三 1952.11.11 雪國
吉幾三 1952.11.11 男性芸能人(1990年代)紅白10回
吉幾三 1952.11.11 男性芸能人(1980年代)紅白4回

タイトルとURLをコピーしました