■荒木経惟(あらき のぶよし)
□肩書き
写真家 コピーライター
□愛称
アラーキー
□生年
1940(昭和15)05.25(双子座/A型)
□出身地
東京都台東区三ノ輪
□出身校
都立上野高校
千葉大学工学部写真印刷工学科卒業
□略歴(満年齢)
64年(24歳)「さっちん」で第1回太陽賞を受賞。
70年(30歳)個展「カルメン・マリーの真相」を開催。
96年(56歳)「荒木経惟写真全集」を出版。
■荒木経惟
□幼少時代〜
・実家は下駄屋。
・7人兄弟の5番目(三男)。
・父親はセミプロの写真家として小学校・中学校の入学式・卒業式などの撮影を担当。
父親の助手として子供の頃から写真に親しんだ。
・子供の頃、近所の投げ込み寺(浄閑寺)で墓石の上に乗ってターザンごっこをした。
・子供の頃、ベーゴマ、メンコ、けん玉、ビー球は全部得意だった。
・高校時代、担任の先生から東大文学部受験を薦められた。
・千葉大学を選んだのは「写真」と名のつく学部がある大学で一番授業料が安かった為。
・大学時代、国立近代美術館のフィルムセンターに通って連日映画を観た。
化学の実験ばかりだったので学校に殆ど行かなかった。
・大学時代、カメラ雑誌のコンテストの賞金で学費を賄った。
・大学時代、列車事故で死んだ親友の葬式に真っ赤なセーターを着て葬式に出席した
(親友が死んだ時に悲しみを表に出したくなかった)。
□私生活
・好物…納豆(大好物、京都の練り辛子、青海苔、きざみネギをたくさん入れて食べる)。
・猫を飼っていた(名前はチロ)。
・30歳を過ぎてから読書量・映画鑑賞本数が減った。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=96.04現在)。
・巨人ファン。
・あまのじゃくな性格。感情と裏腹の行動を取る事がある。
■荒木経惟
□人間関係
・山本容子…友人。
・市川染五郎…市川の写真集「Rainy day」を撮影。
・大塚寧々…荒木にキスされながら写真を撮られたとの噂。
・小林信彦…小林の著書「私説東京繁盛記」の写真を担当、一緒に東京の街を歩いた。
・立花隆…都立上野高校の同級生。
・荒木陽子…71年結婚。※子宮癌で他界(享年42=90年)
電通の文書課和文タイプ室に勤務していた。
陽子が20歳の頃から写真を撮り続けた。
共著「東京日和」出版(=93年)。
■荒木経惟
□エピソードなど
・前職…広告代理店(電通、63年入社、72年退社)。
入社が決まった時に母親に「トラックの運転なんて出来るの」と言われた(日通とかんちがい)。
・「さっちん」は三河島のアパートに住む子供たちを撮ったもの。
大学の卒業制作(16㎜映画)と並行して撮影した。
・電通時代、トースターや冷蔵庫は撮ってもつまらないのでわざと下手に撮っていた。
そのうち仕事が廻って来なくなり、昼間喫茶店で女の子を口説いて夕方からヌードを撮影。
夜中に警備員が来ると照明をやらせてあげた。
・電通時代、社内に自分の事務所のようなスペースを作り、
会社の備品を使って自分の写真の「作品集」を何冊も作った(会社にバレて怒られた)。
・女性器写真の個展「カルメン・マリーの真相」開催(=70年)。
※正式名は「シュールセンチメンタリズム宣言2 カルメン・マリーの真相」
・写真集「ゼロックス写真帖」全25巻を評論家に送付(=70年)。
ゼロックスコピーで制作した。
荒木のファンの電通女性社員が多数制作協力。
・銀座のラーメン屋「キッチンラーメン」で女性器写真の個展を開催(=70年)。
キャッチフレーズは「食欲と性欲を満たす写真展」。
警察が来るとメニューの紙で見せてはいけない写真を隠した。
・1000部限定の写真集「センチメンタルな旅」を自費出版(=71年)。
京都、柳川、長崎を巡った新婚旅行で撮影。
妻のヌードや性交中の写真を収録。
・電通を辞めて暇な時期に三脚をかついで街を廻って東京を撮影した。
後に写真集「東京は、秋」として出版。
・雑誌「S&Mスナイパー」「ガロ」に作品を掲載。
・ニューヨークの国際写真センターで開かれた「Japan;A Self-Portrait」に出展(=79年)。
・映画「女高生偽日記」を監督(日活ロマンポルノ=81年)、
・都内数ヵ所のバーで「荒木経惟東京写真展」を開催(=85年)。
・過激な作品を毎号掲載していた雑誌「写真時代」がわいせつ問題で廃刊(=88年)。
・妻の他界後、妻が愛用していたパン切り台に自画像を描き、
妻の着物の帯紐で首をくくるオブジェを発表。
・海外で初の個展「アクト・トーキョー展」を開催(=92年)。
・フランス・パリでカルティエ財団主宰の写真展を開催(=95年)。
・「荒木経惟文学全集」刊行開始(全8巻=98年)。
・重さ13㎏の特大写真集「AKIRA」を250部限定で発売(=02年)。
・「本当は優しい人」だと思われないようにサングラスで瞳を隠す。
・「天才アラーキー」と呼ばれた。
・「私写真」「私日記」「私景」と常に「私」にこだわっている。
荒木経惟 1940.05.25 写真家
荒木経惟 1940.05.25 1970年代総合