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黒田博樹

■黒田博樹(くろだ ひろき)

□肩書き
 野球選手(16年引退)
 
□所属
 広島東洋カープ(97年〜07年、15年〜16年)
 ロサンゼルス・ドジャース(08年〜11年)
 ニューヨーク・ヤンキース(12年〜14年)

□生年
 1975(昭和50)02.10(水瓶座/B型)

□出身地
 大阪府大阪市

□出身校
 上宮高校 
 専修大学

□略歴(満年齢)
 97年(22歳)ドラフト2位で広島東洋カープに入団。
 08年(33歳)FAでロサンゼルス・ドジャースに移籍。
 12年(37歳)FAでニューヨーク・ヤンキースに移籍。
 ※入団、移籍は野球シーズン年度
 ※通算成績:
  日 321試合、124勝105敗1S、防御率3.55、1461奪三振、勝率.541
  米 212試合、79勝79敗、防御率3.45、986奪三振、勝率.500
 ※主なタイトル・表彰(いずれも日本):
  最多勝1回、最優秀防御率1回、ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞1回
 ※主な出演:
  ドラマ「ドリーム☆アゲイン」

□サイズ
 185㎝ 93㎏

■黒田博樹

□幼少時代〜
・父親はプロ野球選手の黒田一博(南海ホークス)。
 引退後にスポーツ洋品店「クロダスポーツ」を経営。
・毋親は高校教師。
・子供の頃、父親と一緒に大阪球場のベンチに降りて南海ホークスの選手にサインを貰った。
・子供の頃、母親を相手にキャッチボールをした。
・小1の時、友達が入っているので野球チームに入団。
・小5の時、ボーイズリーグ「オール住之江」に入団(父親が監督)。
・セレクションに合格して上宮高校に進学。
・高校時代、3年間控え投手(3番手投手)で殆ど登板機会がなかった。
 練習試合でコントロールを乱してよく罰走させられた。

□私生活
・ヤンキース時代、マンハッタンを見下ろす超高級マンションに住んでいた。
・家族はアメリカ・ロサンゼルスに住んでいる(=15.10現在)。
・座右の銘…「耐雪梅花麗」。
・父親は末期がんで他界。

■黒田博樹

□人間関係
・新井貴浩…友人。ともに08年にFAで広島を出て15年に戻ってきた。
 現役引退を新井にだけ事前に伝えていた。
 25年ぶりのセリーグ優勝の胴上げ後に抱擁して男泣き。
・井口資仁…同学年。大学時代にリーグ戦で対戦。
・松井秀喜…同学年。プロ初奪三振の相手打者。
・イチロー…ヤンキースで2年半チームメイトだった。
・B’z…好きなアーティスト。B’zの曲を登場曲に使用。
・妻…?年結婚。
・子供:長女。

□エピソードなど
・初登板・初先発・初勝利・初完投(=97年4月25日ジャイアンツ戦)。
・4連続完投勝利(=00年)。
・04年アテネ五輪で2勝を挙げて銅メダルに貢献。
・敵愾心を持って戦う為に他球団の先輩後輩への挨拶をあえて避けた。
 挨拶して親しく会話と試合でインコースに目一杯投げられない、と思っていた。
・5年連続開幕投手(=07年)。
・野茂英雄、松坂大輔に次ぐ日本人3人目のメジャー開幕投手(=09年)。
・09年に頭部に打球を受けてから後遺症に悩まされた。
 首をひねる事ができない状態で先発マウンドに上った事があった(ヤンキース時代)。
・登板前夜に眠れなくなって睡眠薬に頼った事があるヤンキース時代、。
・3年連続で200イニング登板(=11〜13年)。
・メジャーで4年連続2ケタ勝利(日本人初=10年〜13年)。
・登板前に対戦打者の攻略チャートを作る。

主要参考媒体
FRIDAY 15年12月25日号
日刊スポーツ 17年12月12日号

黒田博樹 1975.02.10 野球選手
黒田博樹 1975.02.10 ロサンゼルス・ドジャース在籍
黒田博樹 1975.02.10 ニューヨーク・ヤンキース在籍
黒田博樹 1975.02.10 スポーツ選手男性(2010年代)MLBで5年連続2ケタ勝利
黒田博樹 1975.02.10 スポーツ選手男性(2000年代)

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