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赤井英和

■赤井英和(あかい ひでかず)

□肩書き
 プロボクサー
 俳優 タレント

□本名
 赤井英和
                                   
□生年
 1959(昭和34)08.17(獅子座/A型)

□出身地
 大阪府大阪市西成区

□学歴
 大阪市立金塚小学校
 大阪市立今宮中学校
 私立浪速高校
 近畿大学商経学部卒業

□略歴
 89年(30歳)映画「どついたるねん」に主演。
 93年(34歳)ドラマ「高校教師」に出演。
 02年(43歳)朝ドラ「まんてん」に出演。
 ※他の主な出演:
  舞台 「浪花人情おもろい町」「浪花人情パラダイス」「ええから加減」
  映画 「王手」「119」「新唐獅子株式会社」
  ドラマ「東京エレベーターガール」「砂の器」「半沢直樹」
  テレビ「秘密のケンミンSHOW」「さんまのまんま」「徹子の部屋」
  CM  「ロート製薬」「日清ラ王」「ダンロップ」

□趣味
 将棋 花札 パチンコ 相撲観戦 野球 ゴルフ

□特技
 料理 

■赤井英和

□幼少時代〜
・実家は味噌・漬物の製造・販売業。
・3人きょうだいの末っ子。姉と兄がいる。
・1歳の頃、2階の物干竿から転落、
 偶然下を通りかかった人の洗面器に落ちて命拾いした。
・路上で酔っぱらっていて寝ている人がたくさんいるような町で育った。
 高校生になって他の町の友人が出来るまでそれが普通だと思っていた。
・父親は大の倹約家だった。
 温泉旅館のタオルを使った手作りの下着をはいていた。
 お風呂のお湯を1週間取り替えなかった。
 水洗便所導入などに関して父親が音頭を取って家族会議を開催した。
・小学校時代、成績優秀だった。
 小2から小6まで学級委員をしていた。
・小学校時代、通知表に「落ち着きがない」と書かれた。
・小学校時代、パチンコ屋に通っていた。
・中1の時、1歳年上の女の子と交際してファーストキス。
 夜中に墓場でデートをした。
・中学時代、授業をさぼってクラスメイトの弁当を勝手に食べていた。
・中学〜高校時代、不良だった。
 頭に剃り込みを入れていた。学校のトイレのドアを蹴って壊した。
 ニッカポッカはいたおじさんに混じって立ち飲み屋で酒を飲んだ。
 高校を2回留年した(1年を2回)。
・高校時代、毎日のようにケンカをした。
 通学電車の車中でよくケンカした。
 「浪速の赤井」として大阪では超有名だった。
 大阪の街に出て悪そうな奴を見つけては「世直しだ」と成敗した。
・高校時代、ボクシング部。
 高2の時、国体で2年連続全国チャンピオンを破った。
 高3の時、インターハイ優勝、日本代表選手として海外遠征に行った。
・高3の時、生徒会副会長。
 生徒会長も「ダブリ仲間」で生徒会予算でやりたい放題遊んだ。
・大学時代、茶道教室に通った。
・ヤンチャしていた時期も家では良い子だった。毎日夕方に家の手伝いをした。
・釣りに行って釣れなかったので水族館に不法侵入して水槽の魚を捕った事があった。
・串カツ屋でケンカをした時に気がつくと店が壊れていた(20歳の頃)。

■赤井英和

□私生活
・好物…太巻き。寿司。ホルモンうどん。
 みそ汁。ギョーザ。ホイコーロー。
 焼肉(多い時は週5回、特にホルモン、石焼きビビンバが好き)。
 串カツ(大好物、大阪・新世界の立ち食いの店に子供の頃から通っている)。
 地鶏のバラ焼き。ぶりかまの塩焼き。
 れんこんのきんぴら。にんにく。湯葉。
・嫌いな食べ物…粕汁。
・得意料理…チャーハン。
 お好み焼き(特製ソースをブレンドして作る、バターで焼く)。
・料理が得意。中華料理店でアルバイト経験がある。
・酒が好き。毎晩飲む。好きな酒はビール、バーボン。
 酔うとオヤジギャグを連発する。
 朝まで飲んだ時は子供と鉢合せしないように時間をつぶしてから「昼帰り」する。
 たまに大阪に帰ると実家には寄らずすぐに昔の仲間と飲みに行ってしまう。
・妻は赤井よりも酒が強い。
・タバコが大好き。
 ショートホープを1日に3〜4箱吸う。
・健康法…カルシウム(毎日サプリメントを摂る)。
 水(1日6〜8ℓ)。にんじんジュース。
 足湯(風邪をひいた時は1時間、夏場も入る)。
 整体。ジョギング(妻と一緒に走る)。
・手術を勧められた虫垂炎をいきつけの整体で治した(=07年)。
・長谷川穂積とのスパーリングで肋骨を骨折。
・ぎっくり腰になった事がある。
・炭水化物や糖質を摂らない食事制限で2ヵ月で7㎏減量(=15年?)。
 ダイエット中の2ヵ月間酒を一切飲まなかった。
・早寝早起き。早い時は18:00に寝る。
・虫が大の苦手。
・格闘技以外のスポーツは苦手。
・家事は食事の後の洗い物を担当。
・好きな音楽…沖縄民謡。
・好きな映画…ヤクザ映画(「仁義なき戦い」シリーズ、「悪名」シリーズなど)。
・爪楊枝を常時携帯。
・新幹線のおしぼり、無料で貰ったライターを大量に溜めこんでいる。
・部屋はたくさんあるが普段は2部屋くらいしか使っていない。
 書斎(和室)のコタツの前で過ごす事が多い。
・収集…海外の楽器(海外旅行に行く度に購入)。
・自宅の庭にたぬきの家族が来る。
・住んでいる所…東京都世田谷区(14LDK、敷地面積約550㎡、一軒家、
 19年前に約8億円で購入、庭に神社がある、富士山が見える=22.10現在)。
・いきつけ…
 焼肉「虎の穴」(恵比寿、30年以上通っている=22.08現在)。
 そば「室町砂場」(赤坂=結婚前から夫婦で通っている=22.08現在)。
 ラーメン「きらく」(成城学園前、多い時は週7回=22.08現在)。
 「元祖串かつ だるま 新世界総本店」(大阪=22.08現在)。
 寿司屋「久兵衛」(ホテルオークラ)。
 「石樽」(大阪府堺市)。
 「丸徳」(大阪・新世界)。
・財布が嫌い(紙幣を普通のクリップではさんで持ち歩く)。
・1年中雪駄を愛用。
・習字、デッサン、英語、茶道を習った事がある。
・休日に開店前から並んで夕方までパチンコをやる。
・ハワイのダイビングスポットで20mの高さから水面に飛び降りた事がある。
・自宅に泥棒が入って現金・高級腕時計など計約245万円相当の被害(=05年)。
 在宅中に侵入された(赤井が大声を出して追い払った)。
・タバコのポイ捨てを注意する。
・電話が大好き。多い時は1日50本。
 たいていは声を聞くだけで長くは話さない。
 外出した時は1日に何度も家にかける。
 よくかける相手の電話番号を暗記している。
・父親と母親はとても仲が良い。
 父親はいつも母親と一緒にいたがる(外出してもすぐ帰りたがる)。
・母親が赤井が出た新聞・雑誌などをスクラップ。
 実家は赤井のポスターが所狭しと張られている。
・母親は大阪で多数のテレビ番組に出演。
 ※父親は85歳、母親は93歳で他界
・年に数回ボクシング部の後輩や仕事仲間を何十人も呼んで自宅で大宴会。
 正月は揃いのハッピを着てもちつきをして若手にお年玉をあげる。
 正月、花見、ゴルフコンペが定例。
・大学の相撲部の後輩が長年自宅に居候していた。
・毎年春に仲間数十人と一緒にバスを借り切って旅行に行く。
・草野球チーム「なに友」に入っている。
・長女はボストン大学に留学。
・長男はアメリカ・カリフォルニアに留学。
・長男にボクシングを教える為に地下の物置を改装してボクシング練習スペースを作った。
・次男は生まれた時の体重4400グラム、3ヵ月検診の時に1歳検診と思われた。
・次男はアメリカに留学。
・次男はバスケットボールをやっていた(身長189㎝=15.09現在)。
・海外ロケの時は毎日家に国際電話する。
・女性に一目惚れをしない。
 食事をして酒を飲んでいろいろ話をしてどういう人かわかってから好きになる。
・妻に初めて会った時に胸の奥で「この人だ!」という鈴の音が聞こえた。
・妻へのプロポーズの言葉は「俺を幸せにしてくれ」だった。
・妻からテレビ番組でのリアクションに関して厳しくダメ出しされる。
・毎年妻と一緒に世界各地のマラソン大会を走る。
・こづかい制(=15.04現在)。
 1ヵ月を規定のこづかいで過ごすと妻が「賞金」をくれる。

■赤井英和

□人間関係
・京本政樹…親友。赤井の母親が京本のファン。
 ドラマ「高校教師」で共演、つい本気で 殴ってしまい後で平謝り。
 一緒に「ウルトラマンダイナ」の原案を作った。
・高田延彦…友人。飲み仲間。自宅に遊びに来る。
 お互いに酔って力比べ(第三者から見ると殴り合いのケンカ)をした事がある。
・葉加瀬太郎…友人。正月の赤井家のパーティーで演奏。
・南部虎弾…友人。一緒に食事をする。
・石田純一…友人。将棋仲間。
・島田紳助…友人。プロボクサー時代からの仲。
・兵藤ゆき…友人。
・ポカスカジャン…毎年正月に赤井の自宅で開かれる大宴会に参加。
・和泉修…高校のボクシング部の後輩。赤井の試合でセコンドを務めた。
・トミーズ雅…同い年で同じ高校を受験(赤井は不合格)。
 ボクサー時代にスパーリングをやった事がある。
・林家ペー…高校の先輩。
・古舘伊知郎…妻同士が友人。 
・勝村政信…子供同士が小学校で同じクラス。
・音無美紀子…舞台「浪花人情 おもろい町」で夫婦役で共演。
・相楽晴子…映画「どついたるねん」で共演。
 デュエット曲「背中」をリリース(=94年)。
・宮沢りえ…ドラマ「東京エレベーターガール」で共演。
「りえどん」「赤どん」と呼び会っていた。
・原田芳雄…映画「どついたるねん」で共演、
 ボクシングのシーンで本気のパンチを原田に入れてしまった。
・レオン・カーフェイ…香港映画「さよならわが愛」で共演。
・坂本順治…映画「どついたるねん」の監督。
 「赤井くんの今までの半生を僕がメガホンを取って映画にしたい」と言われ、
 その晩4〜5軒一緒にハシゴして飲み倒して「この人なら信頼できる」と思って出演を決意。
・内田有紀…赤井のファン(10代の頃)。
・須藤温子…赤井のファン。
・元妻…?年結婚、?年離婚。
・佳子…ピアノ教師。?年結婚。
・子供:
 赤井沙希…87.01.24誕生。モデル、タレント。母親は元妻。
 長女…つかさ。21歳(=15.09現在)。
 長男…赤井英五郎。プロボクサー、映画監督。94.09.22誕生。
 次男…英佳。96.08.01誕生。俳優志望。
 次女。

■赤井英和

□エピソードなど
・アマチュアボクサー時代、空振りのパンチで相手選手がダウンした。
・プロデビューから12連続KO勝利(当時の日本記録)。
・「浪速のロッキー」と呼ばれた。
・世界タイトルに初挑戦(7回TKO負け=83年)。
・世界再挑戦の前哨戦(vs大和田正春)で7回TKO負け、
 脳挫傷で開頭手術を受けて4日間意識不明で生死の境をさまよった。
 手術後に目覚めた時に記憶が混乱していた(試合をやった記憶がなかった)。
 手術後に目覚めた時に手術の記憶がなかったので自分の脳に触ってしまった
 (腫れを取る為に頭蓋骨を外した状態だった)。
・85年にプロボクサーを引退。
・プロボクシング通算成績…21試合19勝2敗(16KO)。
・映画「またまたあぶない刑事」に用心棒役で出演(=88年)。
・半自伝小説「どついたるねん」を出版。
・映画「どついたるねん」撮影に際して約20㎏減量。
 約1ヵ月の撮影中は一切食事を摂らずにカルシウムとビタミンの錠剤で過ごした。
・映画「どついたるねん」のボクシングシーンで、
 脳挫傷の時の対戦相手(大和田正春)と真剣に打ちあった(監督の希望)。
・大阪の人は映画「どついたるねん」はドキュメンタリーだと思っているらしい。
・映画「どついたるねん」出演後の数年間は年収150万円程度。
 実家に住んで親に養って貰っていた。
・写真を撮る時に腕立て伏せをして筋肉を緊張させる。
・香港映画「さよならわが愛」で東大出の知的な青年将校を演じた(日本未公開)。
・CM「居酒屋 白木屋」で母親と共演。
・「第16回24時間テレビ」のパーソナリティー(=93年)。
・「24時間テレビ」のチャリティーマラソン(100㎞)に挑戦、完走(=96年)。
・長野五輪で聖火ランナーを努める(=98年)。
・大阪・新歌舞伎座で初の座長公演(=98年)。
 公演中にぎっくり腰になるが痛みを堪えて出演を続けた。
・NGOの植林大使としてボランティアでフィジーなど世界各地で植林。
・母校・近大ボクシング部の総監督を務めた。
・長男、次男が「はなまるマーケット」にVTR出演(=07年9月5日放送分)。
・長女、長男、次男が「おしゃれイズム」に出演(親子共演=12年4月8日放送分)。
・自宅を「メレンゲの気持ち」で公開(=15年4月4日放送分)。
・自宅を「火曜サプライズ」で公開(=15年6月16日放送分)。
・副業…串かつ屋「だるま」(高校のボクシング部の後輩が店長)。
・日本ボクシング連盟の普及委員に就任(=20年)。

赤井英和 1959.08.17 プロボクサー 俳優
赤井英和 1959.08.17 大阪府大阪市出身
赤井英和 1959.08.17 近畿大学卒業
赤井英和 1959.08.17 どついたるねん
赤井英和 1959.08.17 男性芸能人(1990年代)24時間ランナー
赤井英和 1959.08.17 将棋

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