■西本聖(にしもと たかし)
□肩書き
野球選手(94年引退)
野球指導者
□主な所属チーム
読売ジャイアンツ(75年〜88年,94年)
中日ドラゴンズ(89年〜92年)
□本名
西本聖
□生年
1956(昭和31)06.27(蟹座)
□出身地
愛媛県松山市(興居島)
□出身校
興居島中学校
愛媛県立松山商業高校
□略歴(満年齢)
75年(19歳)ドラフト外で読売ジャイアンツに入団。
85年(29歳)6年連続2ケタ勝利。
89年(33歳)中日ドラゴンズに移籍。20勝6敗で最多勝。
※入団、移籍は野球シーズン年度
※通算成績:
504試合、165勝128敗17S、防御率3.20、1239奪三振、勝率.563
※主なタイトル・表彰:
最多勝利1回、最高勝率1回、
沢村賞1回、ゴールデングラブ賞8回、日本シリーズMVP1回
□特技
ゴルフ
□サイズ
176㎝
■西本聖
□幼少時代〜
・父親は南満州鉄道勤務→漁師。
・7人きょうだいの末っ子(兄4人、姉2人)。
・小学校時代、引き潮の砂浜で野球(三角ベース)をよくやった。
・小4の時、兄(三男)の明和が松山商のエースとして甲子園に出場(準優勝)。
両親と一緒に甲子園のアルプススタンドで応援した。
・中学時代、先輩に殴られて野球部を辞めて卓球部に転部。
卓球台を作って自宅で練習した。半年後に野球部に戻った。
・中1の時、兄(四男)の正夫が松山商の一塁手として甲子園に出場(優勝)。
甲子園のスタンドで応援した。
・中1の時、エースとして松山市の大会で優勝。
・高1の時、硬球を握って2週間で初登板初完封。
・高1の時、厳し過ぎる野球部の上下関係に嫌気がさして同級生5人で脱走した。
・高3の時、プロを目指して激しいトレーニングを自分に課した。
鉛の重り入りの靴で通学、放課後はその靴で松山城までランニング。
フェリーで島に戻った後で自宅近所の砂浜を走った。
自宅で腹筋と背筋を100回、片足屈伸、指立て伏せをした。
練習した事を毎日日記に書いた。
□私生活
・脳梗塞でカテーテル手術を受けた(=19年)。
・腰と股関節を痛めて手術を受けた。
・現役引退後に競技ゴルフに挑戦。
本気でプロ資格を取るつもりで猛練習(1日1000球)。
パッテイングが大好き(複雑なラインほど楽しい)。
公式戦のベストスコアは69(江戸崎CC)。
■西本聖
□人間関係
・江川卓、西本聖、原辰徳、中畑清…同時期にジャイアンツで活躍。
江川とジャイアンツのエースの座を争った。
81年から87年まで毎年交代で開幕投手(江川4回西本4回)。
・定岡正二…ジャイアンツ同期入団(定岡はドラフト1位)。
・衣笠祥雄…西本のシュートによる死球で左肩甲骨を骨折(=79.08.01)。
翌日代打で出場して3回フルスイイングで三振、
「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」と発言。
・長嶋茂雄…ジャイアンツ入団時の監督。
・戸郷翔征、髙橋優貴、岡本和真、吉川尚輝、松原聖弥、
菅野智之、丸佳浩、坂本勇人、亀井義行、阿部慎之助、
上原浩治、高橋由伸、松井秀喜、桑田真澄、原辰徳、中畑清、
定岡正二、江川卓、堀内恒夫、高田繁、王貞治、城之内邦雄、
長嶋茂雄、別所毅彦、川上哲治、千葉茂、藤本英雄、
沢村栄治、スタルヒン、水原茂、藤本定義
…読売ジャイアンツ所属(移籍・引退・監督を含む)。
・白鵬翔、北島康介、塙宣之、山本高広、松本幸四郎(10代目)、
中居正広、西田ひかる、田辺誠一、中山秀征、柳葉敏郎、
野口五郎、奥田瑛二、糸井重里、福留功男、徳光和夫
…読売ジャイアンツのファン。
・西本明和…兄。プロ野球選手。ドラフト1位で広島に入団。
□エピソードなど
・脚を高々と上げるダイナミックな投球フォーム。
・鋭いシュートが決め球。
・日本シリーズ初の毎回奪三振(=81年)。
・日本シリーズで29イニング連続無失点。
・「2ケタ勝ちますから残して下さい」と抵抗したがトレードで中日に出され、
移籍1年目に20勝で最多勝。巨人戦で投げる時は特に燃えた。
主要参考媒体
日刊スポーツ 17年10月15日号,17年10月16日号,17年10月22日号
週刊現代 18年4月28日号
西本聖 1956.06.27 野球選手
西本聖 1956.06.27 愛媛県松山市出身(興居島)
西本聖 1956.06.27 20勝6敗で最多勝(89年)