■船越英一郎(ふなこし えいいちろう) □肩書き 俳優 □本名・旧芸名 船越栄一郎 □生年 1960(昭和35)07.21(蟹座/B型) □出身地 神奈川県(湯河原) □出身校 日本大学三島高校 日本大学芸術学部映画学科卒業 □略歴(満年齢) 88年(28歳)朝ドラ「ノンちゃんの夢」出演。 90年(30歳)ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」出演。 17年(57歳)テレビ「ごごナマ」司会。 ※他の主な出演: 映画 「木更津キャッツアイ」「涙そうそう」「白夜行」 ドラマ「父の恋人」「小京都ミステリーシリーズ」「箱根湯河原温泉交番シリーズ」 テレビ「ぐるぐるナインティナイン」「ソロモン流」「スタジオパークからこんにちは」 □趣味 映画観賞 生花 ガーデニング □サイズ 181㎝ □特記事項 父親は船越英二 母親は長谷川裕見子 元妻は松居一代 ■船越英一郎 □幼少時代〜 ・実家は箱根・湯河原の高級会員制旅館「船越」(→09年廃業)。 ・父親は俳優の船越英二。※07年他界(享年84) ・母親は俳優の長谷川裕見子。※10年他界(享年85) ・2歳年下の妹、弟がいる。 ・小児喘息を患った。 ・子供の頃はやせていた。 ・両親の職業は会社員だと聞かされていた。 小3の時に両親に連れられて父親が出演していた映画を観て父親の職業を知った。 ・子供の頃、両親に会うのは月に1〜2回だった。 そういうものだと思っていたので寂しくは思わなかった。 ・両親に礼儀や行儀に関して厳しく躾られた。 父親は「大正生まれの軍隊上がり」でとても厳しかった。 ・「役者の息子」と周囲から祭り上げられて学芸会で必ず主役をやらされた。 ・小学校時代、平日はテレビを1日30分しか見せて貰えなかった。 父親が出演したドラマを見た事がなかった。 ・小学校時代、目立ちたがり屋のガキ大将だった。 立候補して学級委員をやった。 ・小学校時代、割ってしまった窓ガラスを弁償する為に、 お金を取って友人の前で虫や金魚やカエルを食べた(1人10円〜50円)。 ・小学校低学年の頃から庭の草木の世話を手伝った。 ・小学校〜中学時代、外で遊ぶのが大好きだった。しょっちゅう怪我をした。 ・中学時代、科学部(部長)。 ・中学時代、生徒会長。 ・中学時代、よく映画館で映画を観た。 ・高校は学校が男子部と女子部に別れていて校舎も別々だった。 ・高校時代、演劇部。 女子と仲良くなりたくて男女合同の部を選んだ。 部長になって部室をキャバレー風に改装したのが学校側にバレてやめさせられた。 ・大学時代、入学当初は映画監督を志していたが、 石井聰亙、手塚真、長崎俊一など監督志望の同年代にかなわないと感じて演劇に方向転換。 ・大学時代、自主映画「爆発の臨界」に主演してキスシーンを演じた(大学の卒業制作)。 ・大学時代、ミュージカル劇団・マガジンを創設、主演・脚本・演出を担当。 ■船越英一郎 □私生活 ・好物…寿司。カレーライス。フカヒレラーメン。あんぱん。フルーツサンド。 しゃぶしゃぶ。すっぽん鍋。ステーキ。ローストビーフ。タン塩。 ステーキハウス「蜂」のハンバーグ(通販で取り寄せて冷蔵庫に常備)。 カンジャンケジャン。うなぎ。きんぴらごぼう。たまご焼き。梅干し。 チーズ(大好物、冷蔵庫に多数常備)。 焼カシューナッツ(毎日1袋食べる、毎月2ダース取り寄せる)。 おはぎ。バウムクーヘン。甘いもの。 ・得意料理…関西風すき焼き。 ・おいしいものを食べるのが大好き。 気に入った店に週3回通う。 ・食べ物の好き嫌いがない。 ・酒が大好き。たくさん飲む。 冷蔵庫に入れて冷やしておいた茶碗でビールを飲む。 酔ってカラの風呂桶で寝てしまった事が何度もある。 酔って自転車で転倒して顔面を怪我した事がある。 20歳頃から35歳頃まで毎晩深酒、よく酒で失敗した。 ・健康法…特製スムージー(小松菜、大葉、人参、ブロッコリー、トマト、セロリ、 鋼鉄高亜鉛クロレラ、大豆パウダー、凝縮ミネラル、水素水)。 酢。アピオス(芋の一種)。 パーソナルトレーナーを付けてトレーニング(ストレッチ中心、50歳から始めた)。 ジョギング。 ウォーキング(店を物色しながら歩く、ショップカードを収集)。 ・持病…ぎっくり腰。花粉症(44歳から)。 ・ドラマの全力疾走シーンを収録中に転倒して肋骨を骨折(=08年)。 ・抹消性顔面神経麻痺で仕事を休養して数ヵ月自宅療養(=10年)。 ・帯状疱疹を患った(=15年)。 ・馬アレルギー。 ・不眠症気味。 ・外で飲んでいる時に22:00頃に1回寝る。 寝ながら会話に参加する(自分では覚えていない)。 ・1個約500円の入浴剤を愛用。 ・洗濯・掃除・整理整頓が好き。 家の中が整然としていないと落ち着かない。 旅行から帰って来たその日にトランクを開けて荷物を片付ける。 ・好きな歌手… チューリップ。 甲斐バンド(高校時代から大ファン、ライブに行く)。 ・手塚治虫の漫画が大好き。 ・自宅の地下に80インチのスクリーンがあるシアタールームがある。 60年代の特撮映画のディスクを約3000本所有。 ・生活必需品や下着を大量にストックする癖がある。 ・占い、風水に凝っている。 台所に黄色いものを置いている(風水)。 ・米びつから小さな虫が異常発生した事がある(若い頃)。 地方公演で長期間家をあけて帰って来ると壁中に張り付いていた。 ・収集…酒のミニチュアボトル。 ・洋服、靴、バッグ、アクセサリー、眼鏡、布団、カーテン、家具などを 韓国でオーダーメイドで購入(日本で購入するより断然安い)。 ・自分でデザインして韓国で作って貰ったレザージャケットを愛用。 ・電子ペット・ペコロンを持っている(=03.10現在)。 ・ペット… 犬(ロングコートチワワ、名前はレオ、牡1歳以上、一緒に就寝・入浴=22.10現在)。 鳥(文鳥、名前はBE=23.10現在)。 ※飼っているペットのグッズを多数制作 ・白を基調にした一軒家に住んでいる(=04.11現在)。 ・いきつけ… 「Mon Bouef」(代々木上原、黒毛和牛のタルタルステーキ=22.10現在)。 「夢鉄砲」(中目黒、焼きふぐ、店長のお見合いをセッティング=22.10現在)。 和食「まんざら本店」(京都市中央区=12.11現在)。 焼肉「韓てら」(世田谷区、家族でよく行く、店長と家族ぐるみのつきあい)。 ロシア料理「ペチカ」(新宿伊勢丹会館)。 「まとい寿司し」(中野区)。 居酒屋「ぽん太」(中野区東中野、安くておいしい、魚のさばき方を教えて貰った)。 中華「華家春夏秋冬」(世田谷区北沢、フカヒレラーメンがおいしい)。 ・京都にお気に入りの飲食店が50軒以上ある。 ・回転寿司が大好き。 ・Jリーグ・浦和レッズのファン。 ・100円ショップが大好き。 ・よく神社にお参りに行く。 ・UFOを見た事がある。 ・霊にとりつかれてお祓いをして貰った事が何度かある。 ・高速道路でどうしても我慢できなくなって路肩の草むらで用を足した事がある。 ・青森で乗っていたクルマがアイスバーンで滑ってトラックと正面衝突して肋骨を骨折。 ・仕事で1年のうち3ヵ月は京都に滞在。 ・韓国・ソウルが好き。3日休みがあれば韓国に行く。韓国人の親友がいる。 ・グアムが好き。家族で何度も行った。 ・60人の霊に取り付かれて霊能者にお祓いをして貰った事がある。 ・人前で何かをする事が苦手。 ・筆無精。メールが苦手。 ・父親は脳梗塞で他界(=07年)。 ・妹は首つり自殺で他界(享年47=10年)。 ・独身時代にかなり遊んだ。 ■船越英一郎 □人間関係 ・KONISHIKI…家族ぐるみのつきあい。 ・パパイヤ鈴木…友人。一緒に住んでいた。 ・的場浩司…友人。妻のウェデイングドレスを一緒に3人で選んだ。 ・吉田鋼太郎…友人。夜中に吉田から電話がかかってくる。 ・高樹沙耶…友人。ドラマ「山村美紗京都ミステリーシリーズ」で長年共演。 ・京本政樹、森友嵐士…友人。 ・大野拓朗…かわいがっている後輩。船越の衣裳部屋に居候していた。 ・美保純、阿部渉…テレビ「ごごナマ」で共演。 ・片平なぎさ…ドラマ「小京都ミステリーシリーズ」で10年以上共演。 ・名取裕子…ドラマ「京都地検の女シリーズ」で共演。 ・高橋英樹…ドラマ「高橋英樹の船長シリーズ」で共演。 兄貴分として慕っている。 ・水谷豊…兄貴分。様々な事を水谷から学んだ。 ドラマ「気分は名探偵」で共演した時に毎晩のように朝まで話し込み、 何度もスタジオ近くのラブホテルに泊まって回転ベッドで一緒に寝た。 ドラマ「相棒19」に船越が初回ゲストとして出演。 ・手塚眞、今関あきよし…学生時代の映画仲間。 学生時代に自主映画「MOMENT」を製作(81年製作、フィルム現存=03.11現在)。 ※手塚が監督、今関がカメラマン、船越が出演 ・山村紅葉…遠い親戚。2時間ドラマで多数共演。 ・ガリットチュウ福島…船越のモノマネをする。 ・竹下景子…自宅が近所(=15.07現在)。 ・梅田淳、真田広之…日本大学芸術学部の同期生。 ・神田正輝、ゴリ(ガレッジセール)、佐藤隆太、毒蝮三太夫、船越英一郎 …日本大学芸術学部映画学科出身。 ・神奈月、ガリットチュウ…船越英一郎のモノマネをする。 ・渥美清…大好きな俳優。唯一サインを持っている有名人。 ・永作博美…ribbonの頃から憧れている芸能人。 ・林与一…遠い親戚。 ・菅井敦(ホリプロ社長)…20代半ばの頃、新人マネージャーだった菅井と二人三脚で売り込んだ。 ・平野洋子…妹。実家の旅館「船越」を継いだ。 ・松居一代…01.06.05結婚、01.10.31挙式、17.12.13調停離婚。3歳年上。 ■船越英一郎 □エピソードなど ・大学4年の時、自ら売り込んでドラマ「父の恋人」に出演。 ・芸能界入りを父親に反対された。 「3年やって駄目だったらあきらめろ」と言われた。 ・初めて貰ったギャラは手取り2万円。 ・芸能界に入った当時は佐藤浩市や中井貴一が出て来て二世タレントブームで、 「このブームにのってスターになって一生気楽に行こう」と思っていたが、 「誰でもスターになれるわけではない」と数年後に気付き、 「スターではなく『役者』で行こう」と決意した。 ・父親の「英二」にあやかって芸名を「栄一郎」を「英一郎」に改名(=97年)。 ・戯曲集「BRAKERS」出版(=97年)。 ・2時間ドラマに多数出演。 「2時間ドラマの帝王」と呼ばれた。 民放全5局の2時間ドラマに主演シリーズがある。 多い時の出演本数は年間15本以上。 出演本数は300本以上(=04.09現在)。 全国各地の断崖に詳しい。 ・父親との共演は一度もなかった(父親が拒否)。 ・ジャンプして着地するシーンの撮影で足を骨折。 ・椎間板ヘルニアを発症する直前の半年間は休みが1日もなかった。 ・自宅を「情報ツウ」で公開(=04年11月9日放送分)。 ・ドラマ「たったひとつのたからもの」が視聴率30%を記録(=04年)。 ・ドラマ「赤い運命」で悪役に初挑戦(=05年)。 ・アニメ映画「ドラえもん のび太の恐竜2006」声優(=06年)。 ・映画「おばちゃんチップス」で17年ぶりに映画に主演(=06年)。 ・ドラマ「京都河原町 副署長の事件ファイル」で連続ドラマ初主演(=07年)。 ・ドラマの全力疾走シーンを収録中に転倒して肋骨を骨折(=08年)。 ・ロケ先で御神木に触って霊に取り憑かれて強烈な腹痛に襲われた事がある。 ・台詞は7割程度だけ覚えて残りは現場で相手役とのやりとりで仕上げる。 ・生放送番組のオープニングで裏番組のタイトルを言ってしまった事がある。 ・ドラマ「テイオーの長い休日」で<2時間ドラマの帝王>を演じた(=23年)。 主要参考媒体 テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第3版) 週刊文春 05年4月14日号 船越英一郎 1960.07.21 俳優 船越英一郎 1960.07.21 日本大学芸術学部映画学科卒業 船越英一郎 1960.07.21 男性芸能人(2010年代)ごごナマ 船越英一郎 1960.07.21 男性芸能人(2000年代)ゴチ