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羽生結弦

五輪連覇(14年ソチ、18年ピョンチャン)

■羽生結弦(はにゅう ゆづる)

□肩書き
 フィギュアスケート選手

□愛称
 ユヅ
 ゆづぽん

□生年
 1994(平成06)12.07(射手座/B型)

□出身地
  宮城県仙台市泉区 

□出身校
 仙台市立七北田小学校
 仙台市立七北田中学校
 東北高校 
 早稲田大学人間科学部人間情報科学科卒業(通信教育課程)

□略歴(満年齢)
 14年(20歳)ソチ五輪金メダル。世界選手権初優勝。
 16年(23歳)GPファイナル4連覇。
 18年(24歳)ピョンチャン五輪金メダル。

□趣味
 音楽観賞 ゲーム

□サイズ
 171㎝ 52㎏

■羽生結弦
	
□幼少時代〜
・4歳年上の姉がいる。
・父親は野球部の顧問をやっていた。
・4歳の時、スケート教室に通っていた姉の影響でフィギュアスケートを始めた。
・ぜんそく持ちだった。
・小学校時代、体が柔らかったので「こんにゃく」と呼ばれていた。
 ブリッジの体勢のまま移動する事ができた。
・小学校低学年の頃、練習が嫌いだった。
 5分間集中して練習する事ができず、外に出てはボール遊びをした。
 たくさんの人が見てくれるので大会で滑るのは好きだった。
・小5の時、5種類の3回転ジャンプを跳ぶ事ができた。
・16歳の時、東日本大震災で実家が全壊。
 家族4人で畳一畳に毛布1枚で4日間避難所過ごした。
 ホームリンク「アイスリンク仙台」は地震の被害で使えなくなった。
 生活不安で一時はスケートを辞める事を考えた。
 11年夏は練習のかわりに60以上のアイスショーに出演した。
・早稲田大学で身体工学に関して学んだ(通信教育課程)。
 ジャンプを跳ぶ時の筋肉の動きや着地の衝撃を数式化して効果的な身体の使い方を考えた。
 試合と大学の課題提出を両立させる為に数日間睡眠2時間で過ごした。
 卒論「フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術の活用と将来展望」を執筆。

■羽生結弦

□私生活
・好物…寿司。卵かけご飯。鍋料理。焼肉。湯豆腐。
・食が細い。
 普通の人に比べて食事中に胃腸が働き始めるのが遅い。
・持病…気管支ぜんそく(年に数回発作が出る=18年現在)。
・尿膜管遺残症の緊急手術を受けた(=14年)。
・インフルエンザで全日本選手権を欠場(=16年)。
・体脂肪が少ないので風邪をひきやすい(3〜4%)。
・身体が柔らかい。
・耳を動かす事ができる。
・好きな作家…夢枕獏。
・好きなゲーム…ポケモン。
・好きな色…赤。
・くまのプーさんが好き。
 顔を見ると気持ちが落ちつく。
 練習にくまのプーさんのティッシュを持参。
・住んでいる所…カナダ・トロント(練習拠点=16.10現在)。
・広島カープのファン。
・凝り性。
 約50個所有するイヤホンを練習用、ランニング用などに使い分ける。
・マイペースな性格。

■羽生結弦

□人間関係
・指田郁也(歌手)…親友。「ゆづる」「さっしー」とう呼び合う。
・ハビエル・フェルナンデス…友人。ライバル。コーチが同じ。
・高橋大輔、町田樹…ソチ五輪男子シングル代表。
・宇野昌磨、田中刑事…ピョンチャン五輪男子シングル代表(宇野は銀メダル)。
・荒川静香、鈴木明子…小学生の頃から同じスケートリンクで練習。
 荒川は東北高校の先輩。
・ToshI(X-JAPAN)…ファンタジーオンアイス2019で共演。
・石川遼…石川のスポーツ選手としてのスタイルを理想にしている。
・都築章一郎…小学校時代に指事。スケートの基礎を学んだ恩人。
 東日本大震災後に一時身を寄せていた。
・阿部奈々美…小6から17歳まで師事。
・ブライアン・オーサー…担当コーチ。17歳の夏から師事。
・パトリック・チャン…ライバル。ソチ五輪で金メダルを争った。
・エフゲニー・プルシェンコ…憧れているフィギュアスケート選手。
 02年ソルトレイクシティ五輪を見て虜になった。
 髪型を同じマッシュルームカットにしていた。
 プルシェンコの演技をテープがすりきれる程見た。
・ジョニー・ウィア …憧れているフィギュアスケート選手。
 ウィアの演目「秋によせて」の中性的な美しさに衝撃を受けて繰り返し見た。
・西村昭治…早稲田大学で師事。モーションキャプチャーの第一人者。
・野口美惠…「羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016」の著者。
・大谷翔平、萩野公介、瀬戸大也、羽生結弦、村上佳菜子
 …1994年誕生のスポーツ選手。
・羽生ゆずれない…羽生のモノマネをする芸人。
・牛田智大…羽生のファン。
・末延麻裕子…バイオリン奏者。23.08.04結婚発表、23.11.17離婚発表。

■羽生結弦

□エピソードなど
・初出場の全日本選手権で出場選手中最年少で8位(=08年)。
・10代前半の頃から目標を言葉にしていた。
 14歳で出場した全日本選手権で「日本男子初の五輪金メダリストになりたい」と発言。
・世界ジュニア選手権優勝(=10年)。
・母親と一緒にカナダ・トロントに移住(=12年)。
 トロントの練習拠点は超高級スポーツクラブ「クリケットクラブ」。
・「史上初」「前人未到」が大好き。
・ソチ五輪の男子シングルのSPでISU公認大会初の100点超え。
・五輪の男子シングルで初の欧米人以外の金メダル。
・自分の身体の状態を客観的に把握できる。
   人体関連の本をたくさん読んで勉強した。
 練習後のマッサージで「腓腹筋をほぐして下さい」とトレーナーに指定する。
・演技で使う曲の冒頭に自分の息の音を足した事がある。
・演技前にごはん(白米)を食べる。
 パンやパスタでは力が出ないような気がする。
・試合当日の朝、滞在した部屋のベッドメイク・荷物整理をしてから会場に向かう。
・GPシリーズ第3戦の練習中に他の選手と激突して顔面などを負傷(=14年)。
・GPシリーズNHK杯で歴代最高得点(322.40点、史上初の300点超え=15年)。
・歴代最高得点でGPファイナルを3連覇(330.43点、史上初の330点超え=15年)。
・映画「殿、利息でござる!」出演(仙台藩主・伊達重村役=16年)。
・オータム・クラシックで史上初の4回転ループ成功(=16年)。
・FSで223.20(歴代最高得点)をマークして世界選手権優勝(=17年)。
 FSで4本の4回転ジャンプを成功、SP5位(10.66ポイント差)から逆転優勝。
・ジャンプ練習中の転倒で右足首を負傷(=17年11月)。
 ピョンチャン五輪出場を危ぶまれた。
 ジャンプの氷上練習ができるようになったのはピョンチャン入りの直前だった。
 右足首の負傷箇所は注射が打てない箇所だった(痛み止めを服用)。
 ピーク時に比べて20〜30%程度しか痛みが軽減していない状態で五輪に出場。
・ピョンチャン五輪で五輪男子シングル66年ぶりの連覇(=18年)。
・史上最年少で国民栄誉賞(スケート界初受賞=18年)。
・18-19シーズンの新プログラム:
 SP「秋によせて」…ジョニー・ウィアの同作を土台にした演目
 フリー「origin」…プルシェンコの代表作「ニジンスキーに捧ぐ」を土台にした演目
 ※両者に使用に関して直接話して快諾を貰った
・4大陸選手権初優勝(男子選手史上初のスーパースラム達成=20年)。
 ※スーパースラム=世界ジュニア選手権、ジュニアGPファイナル、
  五輪、世界選手権、GPファイナル、4大陸選手権(欧州勢は欧州選手権)制覇
・全日本選手権のSPで競技大会初のセルフ振付(=20年)。
・リンク上の穴にはまって冒頭予定の4回転ジャンプが1回転(=22年北京五輪SP)。
・北京五輪FSでクアッドアクセルが世界初認定(回転不足で転倒=22年)。
 FS前日に練習で傷めた右足首の捻挫は通常の大会なら棄権するレベルだった。
・プロ転向発表会見(=22.07.18)。
・ワンマンアイスショー「プロローグ」で8曲を披露(自ら演出=22年)。
・本気で1位を目指しているスケート選手を助ける仕事をしたいと思っている。


羽生結弦 1994.12.07 フィギュアスケート選手
羽生結弦 1994.12.07 宮城県仙台市泉区出身
羽生結弦 1994.12.07 早稲田大学人間科学部人間情報科学科(通信教育課程)
羽生結弦 1994.12.07 トロントに練習拠点
 
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