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秋川雅史

■秋川雅史(あきかわ まさふみ)

□肩書き
 声楽家 テノール歌手

□本名
 秋川雅史

□生年
 1967(昭和42)10.11(天秤座/A型)

□出身地
 愛媛県西条市

□出身校
 西条市立西条南中学校
 愛媛県立小松高校
 国立音楽大学声楽科卒業 
   国立音楽大学大学院修了

□略歴(満年齢)
 98年(31歳)日本クラッシック音楽コンクール声楽部門最高位を受賞。
 01年(34歳)「パッシオーネ 復活の歌声」でCDデビュー。
 06年(39歳)紅白歌合戦初出場。 
 ※主な出演:
  テレビ「徹子の部屋」

□趣味
 木彫刻 ボウリング サッカー ゴルフ 

■秋川雅史

□幼少時代〜
・父親は声楽家(テノール歌手)、高校の音楽教師。
・2歳年上の兄がいる。
・家の中に常にクラシックが流れていて、自然にクラシックに親しんだ。
・2歳の時、近所の人に「かわいい女の子ね」と言われてショックを受けた。
 ※一番古い記憶
・4歳の時、ピアノとバイオリンを習い始めた。
・自然に囲まれた田舎で育った。よく食用ガエルを捕った。
・バイオリンは父親に言われて兄と一緒に嫌々中1の終わりまでやっていた。
 レッスンが土曜日の午後にあり友達と遊べなくなるのが嫌だった。
・中3の時、合唱部に入ったのをきっかけに声楽に目覚めた。
・父親から指導を受けて声楽に転向した。
・高校時代、声楽コンクールで2年連続で県代表になれなかったが、
 「技術が足りないだけで声質では誰にも負けていない」という自信があった。
 ※98年に当時東京在住ながら愛媛県の県大会に出場して最高位を獲得
・高校時代、応援団の副団長。喉の事を考えずに限界の大声で応援した。
・高校時代、ジェームズ・ディーンを自認していた。
・高校は男女交際禁止だった。
・大学時代、雨漏りする安いアパートに住んでいた。
 4畳半、トイレ共同、風呂共同。
 親の教育方針で仕送りが少なかった。
・大学時代、留学資金を溜める為に引越屋でアルバイト。
 肉体的にとてもハードで入った(初日に殆どが辞めたが意地で続けた)。
・大学時代、男臭い方が女性にモテると思い込んでいた。
・大学時代、パーティーサークルを立ち上げて運営した。

■秋川雅史

□私生活
・好物…定食(「大戸屋」のポイントカードを持っている)。
・得意料理…チャーハン。ラーメン。鉄板ナポリタン。うなぎ。
・辛いものを食べた翌日は喉の調子が良い。
・普段は酒は一切飲まない。 
 飲むのは地元の祭りの2日間だけ。
・健康法…トレーニング。水泳(25mを息継ぎなしで潜水で泳ぐ)。
・自分でクルクルドイヤーを使って30分かけて髪の毛をセットする。
 近所を散歩する時にも完璧にヘアセットする。
・夕方に喉がベストコンディションになるように起床後3時間は喋らない。
・43歳の時に木彫刻を始めた。
 毎日2時間仏像彫刻をする。
 彫刻刀を100本以上所有。
 ※二科展の彫刻部門3年連続入選(同部門の芸能人初入選)
 ※木彫刻の個展を開催
・家ではジャージを愛用。
・喉元が締め付けられるのが大嫌い。
 胸元が開いたボタンがないシャツを愛用(特注)。
 ネクタイは1本も持っていない(冠婚葬祭は黒いシャツを着る)。
・好きな歌手…美空ひばり。
・いきつけ…
 ラーメン「満北亭」(東京都小平市、学生時代は週4回=20.05現在)。
 喫茶店「マハロ」(愛媛県西条市、鉄板ナポリタン=20.05現在)。
・地元の祭り(西条まつり)に毎年参加してだんじりを担ぐ。
 祭りの2日間だけは徹底的に羽目を外す。
 普段は喉の為に飲まない酒を浴びるように飲む。
 祭りの間はまともに眠らない(道端で仮眠する)。
   イタリア留学中も祭りの為に毎年帰国した。
 祭りの前後10日間は休みを取る。声が枯れる程大声を出す。
 お祭りの為に自宅で激しい筋トレをする。
・負けず嫌い。
・自分で問題を作って自宅でクイズ大会を主催する。
・おしゃべりが大好き。
・普段は愛媛弁(西城弁)で話す。
・大学時代の友人と毎年温泉旅行に行く。
 温泉宿の大広間で雑魚寝する(男性10人以上)。
・若い頃は好きな女性とふたりきりになると緊張してうまく話せなかった。
・「友達以上には考えられない」と言われてフラれた事が何度かある。

■秋川雅史

□人間関係
・スザンヌ…友人。スザンヌの母親の店に行った事がある。
・はなわ…友人。
・森昌子…近所に住んでいる(=10.06現在)。
・錦織健…国立音楽大学声楽科の先輩。
・アイルトン・セナ…大好きなF1レーサー。※故人
・中村健、デリオ・ポレンギ…師匠。
・妻…ピアニスト。?年結婚。
・子供:
 息子…大学1年(=24.03現在)。

□エピソードなど
・大学院修了後、イタリア・パルマに4年間留学。
 失恋をきっかけに自分を変える為に留学を決意した。
   志望の音楽学校に語学力不足で入学出来なかった。
 自分で先生を見つけてプライベートレッスンを受けた。
 趣味のサッカーを通じてすぐに友達が出来た。
・20代後半の頃、声帯を痛めて自分の声が出なくなって3回手術を受けた。
・カンツォーネコンクール第1位(=98年)。
・アルバム「ドリーム・オブ・ラブ」をリリース(=04年)。
・日本オリンピック委員会公式応援ソング「輝け日本」を歌った(=05年)。
・紅白歌合戦で歌った「千の風になって」は作詞者不詳の伝承曲。
 ※ファンからのリクエストで歌い始めた
・シングル「千の風になって」がオリコンシングルチャート1位を獲得(=07年)。
 ※クラシック系アーティストとして史上初
・シングル「千の風になって」のc/wで美空ひばりの「リンゴ追分」をカバー。
・「テノール界の貴公子」と呼ばれている。
・声の大きさに自信がある。
 カラオケで「マイ・ウェイ」を全力で歌ってマイクが壊れた事がある。
 イタリアの家で歌って窓ガラスが揺れた事がある。
 力を入れて歌いすぎてコンサート中に鼻血が出た事がある。
・肺活量は5800c.c.。
 肺活量を増やす為に毎日600m潜水で泳ぐ(25m息継ぎなしを繰り返す)。
・初の写真集「Breath」を出版(主婦と生活者=07年)。
・仕事に行く時に毎日電車を利用する。
 最寄り駅まで歩くのが生活のリズムになっている。
 紅白歌合戦に出場する時に電車とバスで会場に行った。
・両親が「ミュージックアワー」に出演(=10年7月20日放送分)。
・コンサートで北島三郎の「まつり」「与作」を歌う。


主要参考媒体
婦人公論 05年5月7日号
女性自身 07年1月23日号
週刊現代 20年6月6日号

秋川雅史 1967.10.11 声楽家
秋川雅史 1967.10.11 愛媛県西条市
秋川雅史 1967.10.11 国立音楽大学大学院修了





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