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石塚英彦

■石塚英彦(いしづか ひでひこ)

□肩書き
 芸人 タレント 俳優 

□所属コンビ
 ホンジャマカ

□本名
 石塚英彦

□生年
 1962(昭和37)02.06(水瓶座/O型)

□出身地
 神奈川県横浜市

□出身校
 横浜市立富士見台小学校
 横浜市立岩井原中学校 
   横浜市立桜丘高校
 関東学院大学経済学部

□略歴
 89年(27歳)ホンジャマカを結成。
 99年(37歳)テレビ「どう〜なってるの?」出演。
 00年(38歳)ドラマ「平成夫婦茶碗」出演。
 ※他の主な出演:
  映画 「ファットマンブラザーズ」「20世紀少年」「綱引いちゃった!」
  ドラマ「踊る大捜査線」「恋セヨ乙女」「南くんの恋人」
  テレビ「東京フレンドパーク」「発掘あるある大辞典」「メレンゲの気持ち」
  ラジオ「石ちゃん音楽堂」
  CM    「キリンビール」「プッチンプリン」「サッポロ一番みそラーメン」

□趣味
 落語観賞 カラオケ ドラム

□特技
 絵画(イラスト) パントマイム ハイパーホッケー

□資格
 そろばん3級 書道5段 水泳6級 中型自動二輪免許

□サイズ
 175㎝ 113㎏ B126W117H127 

■石塚英彦

□幼少時代〜
・父親は地方公務員。
・兄が1人、弟が1人いる。
・家族親戚全員が太っている。
・家庭はあまり裕福ではなかった。
・父親は料理が大好きだった。
 石塚家のイベントの際にビーフシチューやコーンポタージュスープを作ってくれた。
・幼稚園の時には既に肥満児だった。
・小1の時、授業中にウンコをもらしたが前の席に座っていたクサマ君のせいにした。
・小学校時代、給食の揚げパンが大好きだった。
・小学校時代、飼育係に立候補して鶏小屋から卵を盗んで給食で食べていた。
・中学時代、水泳部。
・高校時代、同級生の川村さん(弓道部)が好きだった。
   川村さんが休んだ時に全部の授業のノートを取ってラブレターと一緒に渡した。
・高校時代、柔道部。
 練習が厳し過ぎて体重が62〜63㎏から増えなかった。
 合宿が終了すると嬉し泣きした。
・高校時代、文化祭用に担任の先生が撮影した8ミリ映画「ロッカー」に主演。
 映画「ロッキー」の柔道版パロディ。
 劇中の特訓シーンでで片手懸垂、片手腕立て伏せ、逆立ち歩きを披露。
・中学〜高校時代、生徒手帳に書いてあるきまりを全部守っていた。
 雨の日にはひとりだけゴム長靴をはいて登校した。
・大学時代、家庭教師のアルバイト。

■石塚英彦

□私生活
・好物…白米。ポークカレー。ジャンボオムライス。
 あんドーナツ。豚しゃぶ。
 焼肉(肉を食べないと食事をした気がしない、カルビが大好物、全国の和牛に詳しい)。
 ジャンボメンチカツ。ハンバーグ。ピーマンの肉詰め。ナスの味噌炒め。
 伊達巻き(切らずに丸ごとホットドック感覚で食べる)。
 マヨネーズ(大好物、子供の頃から常時携帯、白米や刺身にマヨネーズをかける)。
 フレンチドレッシング(白米に醤油と一緒にかけて食べていた)。
 マドレーヌ(大好物)。
   コーラ(大好物、いつでも買えるように自宅の前に自動販売機を設置した)。
   辛いもの。甘いもの。
・嫌いな食べ物…いくら。長ネギ。薄味の料理。
・味がはっきりしているモノが好き。
・料理は全くしない。
・たくさん食べる。
 1日最低5回食事する(朝昼昼夜夜)。
 満腹になっても2時間でお腹が空く。
・肉を食べないと食事した気になれない。魚やパンはおやつ。
・懐石料理は「鑑賞用」にしか思えない。
・食堂に行くと黙っていても大盛りが出てくる。
・定食を頼む時は抑えでチャーハンを同時に頼む。
・酒を飲みながらごはんをつまみがわりに食べる。
・健康法…筋トレ。ウォーキング(駒沢公園を歩く)。
 スポーツジム(妻と一緒に行く)。
・過去のMAX体重は135㎏。
・番組の企画のりんごダイエットで1週間で9㎏減量したが誰にも気付かれなかった。
・生命保険に入る為に病院で検査したら結果は健康で少し太りすぎだった(=97年)。
・あぐらがかけない。
 よくトイレの便座を割ってしまう。
 飛行機のトイレに後ろ向きで入る。
 自分で自分の足の爪が切れない。
 自分の子供から「デブ」と呼ばれてショックを受けた。
・汗っかき。真冬でも暖房は不要。
 1年のうち11ヵ月をTシャツで過ごす(真冬だけ七分袖)。
 ※ドラマで「石塚の汗待ち(汗がひくのを待つ)」になる事がよくある
・寝付きが良い。イビキがうるさい。
・真剣に作業をする無意識に舌が出る(父親譲り)。
・好きな歌手…忌野清志郎(大ファン)。
・占いが大好き。タロットカードを持っている。
・心霊映像が大好き。
・収集…スターウォーズのフィギュア(長男と共通の趣味)。
・住んでいる所…東京都・尾山台(=11.09現在)。
・いきつけ…
 炭焼豚丼「豚野郎」(御茶ノ水=18.09現在)。
 「洋食の美松」(横浜市、家族で行く=14.02現在)。
 鯛めし「八十八商店」(世田谷区、二子玉川riseB1F、家族でよく行く=12.08現在)。
 イタリアン「ファーウハウス」(世田谷区、玉川高島屋、家族でよく行く=12.08現在)。
 イタリアン「トラットリア・ロアジ」(世田谷区、家族でよく行く=11.09現在)。
 尾山台いちば(妻と一緒によく買物に行く=11.09現在)。
 ハンバーグ「GOLD RUSH」(渋谷、店員と仲が良い)。
 ビッグサイズ専門店「ビッグワン」(渋谷、従業員も太っている、試着室は宿)。
 レストラン「恋文食堂」(渋谷、ジャンボメンチカツ)。
 黒豚専門料理「黒福多」(赤坂)。
 山下公園(横浜)。
・愛車…ミニクーパー(運転席に乗り込むのに時間がかかる=11.09現在)。
・横浜ベイスターズのファン。
・規則を守るのが好き。
 クルマの法定速度、駅の階段の上り下り、食べ物の賞味期限などをきちんと守る。
・高速で渋滞に巻き込まれて我慢できずにウンコを漏らしてしまった事がある。
・としまえんで自分にそっくりの人間に会った事がある。
・地元のもちつき大会などのイベントに事務所を通さずに参加する。
・家族旅行でよく沖縄に行く。
・趣味でバンド活動をしている(ボーカル担当)。
・父親から仕事に関してダメだしされる。
 父親は石塚の出演番組を全てチェックしてくれる。
・家族仲が良い。
 寝る前にお題を決めてしりとりをする。
 毎年正月と夏に家族旅行に行く。
・結婚して子供が産まれた頃から仕事が増え始めた。
・ゲイの男性に人気がある。
・好きだった女性から貰ったガムの包み紙を大事に取っておいてある。
・妻は劇団ひまわりの同期生。
・交際当初の妻は体重60㎏程度だった。
・初デートでハンバーグライスの大盛を注文して妻が「私も」と言った時に結婚を意識した。
・新宿スバルビル前に早朝集合のエキストラの仕事の時、
 当時住んでいた横浜からでは間に合わないので、 
 世田谷に住んでいた妻のアパートに泊めて貰ってそのまま同棲、9年間同棲後に結婚した。
 妻の父親に「ウチの娘にも幸せになる権利はあるんだ」と言われて結婚を決意した。
・妻はパトカー、消防車、救急車が大好き。音が聞こえると必ず見に行く。
・妻は石塚と同じくらいの肩幅がある(体重95㎏=02.01現在)。
   妻がエステに通ってダイエットした。
・家でも妻や子供を相手にダジャレを連発する。
・正月に温泉、夏に沖縄に毎年家族旅行に行く。
・家族を隠し撮りをされるのが嫌い。
 家族旅行の時には声をかけられる前に自ら進んでファンとのツーショット写真に応じる。
・妻も食べるのが大好き。
・冷蔵庫にマヨネーズが入ってなかったので夫婦喧嘩をした事がある。
・妻と一緒にウォーキングに行く。
・妻と「ヒデくん」「なお」と呼び合う。
・妻が50歳を記念してディナーショーを開催(石塚が司会)。

■石塚英彦

□人間関係
・石塚英彦、内山信二、ドロンズ石本…友人。
 一緒に肉を食べる「肉の会」の仲間。
・石塚英彦、内山信二、グレート義太夫、ドロンズ石本、松村邦洋
 …「カレーを飲む会」の仲間。
 毎年ウガンダ・トラの命日に集まってカレーライスを水のように食べる。
・恵俊彰…ホンジャマカの相方。初対面から息があった。
 家族全員で外出した時にデパートで偶然恵の家族に出会って一緒に食事した事がある。
・阿藤快、彦摩呂…グルメリポーターのライバル。
・石塚英彦、伊集院光、松村邦洋、内山信二…
 事務所の壁を超えてデプ同士で提携して互いに仕事を融通する。
・渡辺徹…渡辺が太っていた時の服をプレゼントして貰った。
・おすぎ…高校の先輩。
・伊集院光、田口浩正…3人でユニット・FATMAN BROTHERSを結成して
 シングル「FATMAN BROTHERS」をリリース(=95年)。
・パパイヤ鈴木…バラエティ「元祖! でぶや」で共演。
 ユニットF.A.Tを結成してCD「My You」をリリース(=01年)。
・関口宏…「東京フレンドパーク」で共演。
 最初は名前を覚えて貰えなくて「ホンジャマカの大きい方」と呼ばれていた。
・イジリー岡田、芋洗坂係長…一緒に劇団I-CHI-MIを旗揚げした(=97年)。
・ダチョウ倶楽部、B21スペシャル…売れない頃に六本木のショーパブで共演。
・是永克也(俳優)、十日市秀悦(タレント)、山口浩(放送作家)…元ホンジャマカ。
・山崎まさよし…石塚のアルバム「ロケット」に山崎が楽曲を提供。
・ギャル曽根…同じ事務所。
・BOOMER…劇団ひまわりの養成所の後輩。
・綿引先生…高校の文化祭で8ミリ映画を制作した時に、
 綿引先生は自腹で器材を購入してくれた。
 その映画が芸能界に入るきっかけになった。
・浦田栄介…高校の柔道部の顧問。
 ※「ウチくる!?」に出演(=12年2月16日放送分)
・大山典男、吉村憲二、今村益美…高校の柔道部の仲間。
 大山は先輩、今村はマネージャー。
 ※「ウチくる!?」に出演(=12年2月16日放送分)
・初代林家三平…尊敬している人。
・柳沢慎吾…柳沢に憧れて俳優を志した。
・渥美清、石立鉄雄、西田敏行…憧れている芸能人。
・柏原芳恵、かたせ梨乃…好きなタイプ。
・スザンヌ…石塚のファン。
・山田康彦…テレビ朝日の警備員。
 石塚のそっくりさん。恵も勘違いした程似ている。
・妻…90年結婚。劇団で知り合った。結婚前に9年間同棲。
・子供:
 長男…石塚幸作。92年誕生。アーティスト。
 長女…くるみ。95年誕生。

■石塚英彦

□エピソードなど
・映画「ロッキー」を見て俳優に憧れた。
・18歳から27歳までステーキハウスでアルバイトをしていた。
・大学2年の時、俳優を志して大学を休学して劇団ひまわりに入団。
・劇団ひまわり時代約2年間エキストラをやっていた。
 人が足りなかったので1日に5回死体の役をやらされた事があった。
 溺れて死ぬ役をやった時におもりをつけすぎてあやうく本当に死にかけた。
 戦争映画「海ゆかば」に出演。
・役者として芽が出ないのでお笑いに転向。
 渡辺プロダクションのオーディションで3分間ダジャレを言い続けて合格した。
・渡辺プロダクションのお笑い集団「ビッグサーズデー」のメンバーだった。
・「笑っていいとも!」のいいとも青年隊のオーディションに落ちた。
・お笑い転向後約5年間はピンで活動していた。
 ダジャレネタやショートコントをやっていた。  
 「キング・オブ・小手先帳」というダジャレ用のノートを作っていた。
・当初はリーゼントにサングラスでネタをやって笑わない客を怒鳴りちらしていた。
・ホンジャマカは最初は男女混合の11人グループだった。
・若い頃に「殺したい人手帳」をつけていた。
・ドラマ「胸キュン刑事」に出演(=87年)。
・「歌のトップテン」にバックダンサーとして出演(=87年11月9日放送分)。
 ※立花理佐「キミはどんくらい」
・約2年間「世界 ふしぎ発見!」の前説をやっていた。
 辞める時に黒柳徹子から蝶ネクタイと手紙を貰った。
・自前のコント用セーラー服を持っている。
・カメラを向けられると反射的に笑顔になる。
・日本テレビ「史上最強ものまねバトル」シリーズで毎回ダンスを披露。
・時々仕事場に行く時に電車を利用、車内で声をかけてくれた人と話をする。
・トレードマークのオーバーオールを約100着所有。
   牛柄、キリン柄などを自分でオーダー。
・毒舌のお笑いが嫌い。
・グルメリポーターとして年1000軒ペースで全国各地のおいしい店を訪問。
 「味」は伝えずに見た目や気持ちを伝える(他のリポーターとの差別化狙い)。
 おいしいものを食べた時の決め台詞「まいう〜」を世に広めた。
   1日で30店を廻った事がある。
 シュークリームや肉まんを食べる時は両手に持つ。
 多い時は週に5日グルメリポートの仕事が入る。
・モットーは「食べられるうちに食べておく」。
・テレビ「東京フレンドパーク」の最後の着ぐるみのダジャレは自分で考える。
・マイナス60℃の冷凍庫に半袖で入って「涼しいね」と言った事があるらしい。
・ディズニー映画「モンスター・インク」日本語吹替版声優(=02年)。
・街のガイド本「通りの達人」出版(日本テレビ出版部=03年)。
・サインにイラストを添える。
・ビデオリサーチのテレビタレント好感度ランキングの男性部門1位(=07年)。
・年1回のホンジャマカとしてのコントライブをずっと続けていきたいと思っている。
・シングル「笑っているよ」をリリース(=10年)。
 c/w「キミが好きだった夕日」をゲームソフトで作詞作曲。
・自宅を「誰だって波瀾爆笑」で公開(=11年9月18日放送分)。
・アルバム「ロケット」をリリース(=14年)。
・長男とライブで共演(石塚が歌、長男がドラム=16年)。
・体重3桁以下お断りの施設「東京石塚ランド」を経営したい。


石塚英彦 1962.02.06 ホンジャマカ
石塚英彦 1962.02.06 神奈川県横浜市出身
石塚英彦 1962.02.06 横浜ベイスターズのファン
石塚英彦 1962.02.06 火曜サプライズ

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