



■片岡鶴太郎(かたおか つるたろう)
□肩書き
芸人 タレント 俳優 画家
□本名
荻野繁雄
□旧芸名
岡鶴太郎
□生年
1954(昭和29)12.21(射手座/O型)
□出身地
東京都荒川区西日暮里
□出身校
荒川区立真土小学校
荒川区立第十中学校
都立竹台高校
□略歴
81年(27歳)テレビ「オレたちひょうきん族」出演。
86年(32歳)ドラマ「男女7人夏物語」出演。
88年(34歳)映画「異人たちのとの夏」出演。
※他の主な出演:
映画 「SADA」「釣りバカ日誌17」「この空の花 長岡花火物語」
ドラマ「結婚したい男たち」「篤姫」「梅ちゃん先生」
テレビ「オールナイトフジ」「笑っていいとも!」「鶴ちゃんのプッツン5」
CM 「マルコメ」「味の素」「とらふぐ亭」
□趣味
陶芸 生け花 三味線 ヨガ ボクシング
□特技
絵画
□資格
インド政府公認ヨガインストラクター
プロボクシングライセンス
□サイズ
160㎝ 43㎏
■片岡鶴太郎
□幼少時代〜
・父親は家具職人。
父親が経営していた家具店が倒産。
・母親はパートで内職をしていた。
・父方の祖父は着物の下絵師。
・母方の祖父は羽子板の絵師。
・3歳年下の弟がいる。
・東京の下町、西日暮里で生まれ育った。
・父親は家庭をとても大事にしていて毎日18:00には帰ってきた。
・4畳半一間の古いアパート(台所・トイレ共同)に家族4人で住んでいた。
アル中、宗教家、ゲイカップル、ヒモとホステスなど奇人変人ぞろいのアパートだった。
・父親は厳しかった。
悪さをすると布団でぐるぐる巻きにされて押し入れに閉じ込められた。
・子供の頃、「お腹が空いた」と母親に言うと「昨日食べたじゃない」と言われた。
・子供の頃、弟と一緒にキャラメルを万引きして店員につかまって泣いた事がある。
・小学校時代、落語好きの父親が毎週日曜日に浅草の寄席に連れて行ってくれた。
楽屋で落語家からサインを貰い、覚えたネタをクラスメイトの前で披露した。
・小学校時代、先生と動物のモノマネが得意でクラスの人気者だった。
・小学校時代、虫が大好きで、鈴虫を自分で孵化させた事もあった。
・小学校時代、女の子にモテてた。
・10歳の時、荒川少年少女合唱団に第1期生として入団。
・小5の時、動物のモノマネでフジテレビ「しろうと寄席」に出演。
その当時ADだった横沢彪が一緒にネタを作ってくれた。
※横沢彪は「ひょうきん族」のプロデューサー
・小学校時代、将来芸人になる事を決意。
卒業文集に「声帯模写を研究して芸能界に入りたい」と書いた。
・中学時代、「ニキビ」「油性」「剛毛」で女子から嫌われた。
ニキビが多かったので「月面」と呼ばれた。
女子に冷たくされたのをきっかけに女性コンプレックスになった。
・中学時代、張ってきたエラをひっこめたくて金槌で叩いた。
・中3の夏休み、都立高校進学の為に猛烈に受験勉強をやりはじめた。
小6から勉強をやり直したらそれまで判らなかった事がどんどん判ってきた。
時には12時間連続で勉強した。
中3の2学期の後半にはビリから2番目から一気に10番以内になった
・高校は都内有数の進学校。
・高校時代、演劇部(部長)。
・高3の時、演劇部の女の子と初交際。
■片岡鶴太郎
□私生活①
・好物…寿司(光モノ)。そば(大好物)。雑炊。味噌汁(自分で毎朝作る)。
ステーキ。シュウマイ。ふぐ。しめサバ(大好物)。
落花生(茹でて食べる)。ひよこ豆。クルミ(大好物)。ナッツ。
岩塩(刺身を塩で食べる)。
果物。バナナ。グレープフルーツ(前日にカットして冷蔵庫に入れておく)。
豆煎餅。ぬれ甘なっと。あんみつ。酒ケーキ。牛乳。
甘いもの(大好物、特にあずきが好き)。
・食事は基本1日1食(朝食のみ)。
朝の情報番組を見ながら2.5時間かけてゆっくり食べる。
旬の果物と野菜をたくさん摂る。
1週間分程度を作り置きしておく。
外食する時は肉や魚も食べるが自宅では菜食。
・ぬか漬けを漬けている。長いロケの時は持って行く。
・夕食は酒のつまみ程度。
夜に食事会がある時はそれまで殆ど食べない。
・空腹でお腹が鳴るくらいの状態でないと眠れない。
・60歳の頃に酒をやめた。
以前は休日はお昼過ぎから飲んでいた。
日本酒の純米大吟醸をワイングラスで飲んでいた。
・ボクシングをやりはじめた頃に自然に禁煙。
ロードワークの量を増やすにつれてタバコがおいしくなくなった。
■片岡鶴太郎
□私生活②
・健康法…薬石入りのミネラルウォーター(1日3ℓ)。玄米。
微生物酵素。梅エキス。鼻うがい。ミストサウナ。古代インドヨガ呼吸法。
スクワット。ストレッチ。ウォーキング。
ボクシング(50歳から再開、疲れ過ぎないように30分、週5回)。
・古代インドの呼吸法、ヨガ、瞑想を毎日やる(10年以上続けている=23.08現在)。
古代インドの呼吸法でウエストが54㎝まで減った。
瞑想をマンツーマンで10時間かけて教えて貰った。
自分の意識で内蔵を動かす事ができる。
※インド政府公認プロフェッショナルヨガ検定インストラクターを取得
・冷え性。
冬場のロケの時に使い捨てのカイロを体中に貼る(股間にも貼る)。
・ボクシングをはじめて1年間で体重が65㎏から50㎏まで落ちた。
酒量が減って自然に禁煙できた。ボクシングをはじめた当初は縄跳びもできなかった。
・20代半ばから髪の毛がうすくなり始めたが土俵際でふんばっている。
・左きき。字や絵を描く時は左手を使う。ボクシングも左構え。
・17:00頃就寝23:00頃起床が基本。
・ヨガ、呼吸法、浄化法、瞑想などを毎日6時間以上やる。
睡眠時間1時間でも瞑想をやった方がスッキリする。
・125歳まで生きたいと思っている。
・齒磨きに20分かける(以前は40分かけていた)。
・1日2回各1時間入浴して汗を出す。
・好きな作家…種田山頭火。
・ドキュメンタリー番組で人が頑張っているのを見ると泣けてしまう。
・お正月はなぜか毎年テンションが落ちる。
・電化製品の操作が大の苦手。ビデオの予約録画ができない。
・赤が入った服が好き。
・レディースの服を着る。
・ペット…
ヒキガエル4匹(=13.08現在)。
金魚6匹(テーブル型の水槽で飼っている=12.11現在)。
・住んでいる所…東京都新宿区(一戸建て、自宅)、東京都港区白金台(アトリエ)。
基本的にアトリエに寝泊まりしていて自宅にはほとんど帰らない(=06.03現在)。
■片岡鶴太郎
□私生活③
・いきつけ…
そば「三合庵」(広尾、月1ペースで行く=25.03現在)。
もんじゃ「大木屋」(西日暮里、800グラムのステーキ=13.12現在)。
洋食屋「小川軒」(代官山)。
寿司「おけいすし」(渋谷区神宮前)。
・ボクシングをはじめる前は夜中に寿司と焼肉をハシゴしてラーメンでシメる
暴飲暴食の毎日でとても太っていた(最大65㎏)。
・32歳の時、肉体的精神的に余計なものをそぎおとそうと思って、
子供の頃から憧れていたボクシングを始めた。
・ボクシングをはじめて1年間で体重が15㎏以上落ちた。
・ボクシングのプロライセンスを特別に獲得(=88年)。
・ボクシングのスパーリングで「もしかしたら殺されるかもしれない」
という恐怖感を味わってから生放送の本番で全然緊張しなくなった。
・極度の方向音痴。もよりの駅から自宅に帰れない。
自分が泊まっているホテルで迷子になる。スタジオから楽屋に戻れなくなる事がある。
知らない所を散歩するとドキドキする。
・運転免許を持っていない(=09.03現在)。
・台本は移動車の後部座席でしか覚えられない。
長台詞がある時はぐるぐる何時間も廻って貰う。
・現金を一切持ち歩かない(=17.10現在)。
・温泉が大好き。年末年始によく草津温泉に行く。
・ひとりでいる時より誰かと一緒にいる時に孤独を感じる。
・50歳からメールを始めた。
・父親は91歳、母親は86歳(=18.02現在)。
・弟は片岡鶴太郎のマネージャー。
・長男がもつ焼き屋「のんき」を経営(2店舗=09.03現在)。
・長男はプロボクシングライセンスを持っている。
・仕事がブレイクした頃は毎晩女遊びをしていた。
たまにひとりで寝るとホッとした。
■片岡鶴太郎
□人間関係①
・ビートたけし…友人。売れない頃からの仲。
・タモリ…友人。
月1ペースで銀座のクラブで飲んでいた。
・笑福亭笑瓶…友人。若い頃によく六本木で一緒に遊んだ。
・ダチョウ倶楽部…友人。飲み友達。事務所の後輩。
・河口恭吾…友人。河口の「桜」を聞きながら絵を描く。
・さかなクン…友人。一緒に食事・温泉。自宅に遊びに来た事がある。
・武豊…友人。飲み友達。
・西田敏行…友人。メール友達。
・福田彩乃…友人。よく一緒に食事。
・安倍晋三、石田純一、デーブ・スペクター、酒井ゆきえ、松任谷由実
…友人。「昭和29年会」のメンバー。※04年発足
・古舘伊知郎、鎧塚俊彦、秋野暢子…友人。
・綾小路きみまろ…若い頃にキャバレーの司会で共演、司会向けのネタを教えて貰った。
きまみろに紹介して貰った店で衣装を作った。
・高橋英樹…絵の弟子。NHK教育「趣味悠々」の企画で片岡を師匠に墨彩画に挑戦。
・田中好子、鳩山幸…絵の弟子。
・春一番…弟子。片岡の付き人をやっていた。
・松村邦洋…松村の芸能界入りの面倒を見た。
・林家いっ平、林家正蔵…高校の後輩。
・神田正輝…同じ誕生日。
・恵俊彰…誕生日がちょうど10年違い。
恵の最初の相方が片岡に弟子入りした。
■片岡鶴太郎
□人間関係②
・明石家さんま、島崎俊郎、島田紳助、渡辺正行、ラサール石井、山田邦子
…テレビ「オレたちひょうきん族」で共演。
・とんねるず、松本伊代…テレビ「オールナイトフジ」で共演。
・秋吉久美子…映画「異人たちとの夏」で夫婦役で共演。
・大林宣彦…大林監督の映画「異人たちのとの夏」「SADA」の監督。
・渡嘉敷勝男…ボクシングの師匠。
・鬼塚勝也…元世界チャンピオン。マネージャーとしてセコンドを務めた。
初めて会った時に「こいつは世界チャンピオンになるな」と感じた。
・畑山隆則…元WBA世界フェザー級チャンピオン。マネージャーを務めた。
・明石家さんま、奥田瑛二、池上季実子、大竹しのぶ、小川みどり、賀来千香子
…ドラマ「男女7人夏物語」で共演。
池上が幹事で「7人の会」を結成して朝まで一緒に遊んだ。
・美保純…デュエット曲「二人のメラメラ」をリリース。
・秋元康…秋元が作詞したシングルを多数リリース。
・梅沢昌代…高校の演劇部の1年先輩。
・片岡鶴八…師匠。高校卒業後に弟子入り。漫談と声帯模写で知られる芸人。
・村上豊…画家。墨絵、油絵の師匠。
・伊藤敏夫…小学校・中学校の同級生。家が近所だった。毎日一緒に遊んだ。
※「ウチくる!?」に出演(=13年12月1日放送分)
・渥美清…子供の頃から憧れていた。※故人
・比企理恵…片岡のファン。
・池上季実子…ドラマ「男女7人夏物語」で共演。交際を噂された。
・宮前真樹…交際を噂された。
・智子…一般女性。77年結婚、17年3月離婚。結婚時の妻の年齢は17歳。
松山・道後温泉のホテルでショーの司会の仕事をしていた時の照明スタッフ。
妻の両親(大衆演劇の役者)に結婚の挨拶をした時、
義父が妻に「鶴ちゃんは芸人なんだからどれだけ遊んでも一切文句を言うな」と釘を刺した。
正式に離婚する前から長く別居生活だった。
・子供:
長男…貴匡(たかまさ)。35歳、飲食店経営(=17.11現在)。
次男…荻野綱久。画家、アーティスト。31歳(=17.11現在)。
三男…30歳、「銀座奥田」の料理長(=17.11現在)。
※孫が2人いる(=17.08現在)
■片岡鶴太郎
□エピソードなど
・高校の卒業式の日、その足で清川虹子の家に行き、
朝まで待って土下座して弟子入りを志願したが断られた。
・松村達雄にも弟子入りを志願したが断られた
・片岡鶴八の通い弟子時代、友人の家のプレス工場でアルバイト。
機械の音がうるさくて大声でモノマネの練習をするのに好都合だった。
・21歳から2年半、トランポリンを使ったアクロバットコントで全国を回った。
※コントグループ・隼ジュンとガンリーズに参加
・ガンリーズを辞める際に「この世界で生きられないようにしてやる」と言われた為、
ほとぼりが覚めるまで知人のツテで松山・道後温泉のホテルで半年間ショーの司会をやった。
・売れない頃、スナック勤めで家計を支えてくれたにもかかわらず、
売れないうっぷんを妻にぶつけていた。
鼻が骨折する程殴りつけたり、頭を持って壁にガンガンぶつけたりした事もあった。
・東宝名人会のオーディションに合格(=78年)。
・モノマネのレパートリー…
渥美清。金子信雄。具志堅用高。郷ひろみ。小林旭。
近藤真彦。坂上二郎。 村西とおる。
浦辺粂子。小森和子。
岡村勝正(リーブ21社長)。
・主なギャグ…「〜してちょんまげ」。
・主なネタ…ピヨコ隊(ぴーよこちゃん)。おでん芸(後輩のダチョウ倶楽部に譲った)。
・近藤真彦のモノマネは「オレたちひょうきん族」のスタッフに言われて1回だけのつもりでやり、
評判が良かったので10年続けた。
・テレビ「オレたちひょうきん族」で様々な体を張った企画に挑戦。
深さ4mの水槽に重りをつけて沈められて死にそうになった。
海でイカダから落ちて沖合いにどんどん流されて偶然通りかかった漁船に救助された。
あつあつおでんコントで口の中を火傷。
収録中にウンコをちびった事があるらしい。
・一番忙しかった頃のレギュラーは週12本。
最高月収は現金で大きな紙袋1個分(数千万円?)。
・20代の頃は「寝たくない男」ランキングの常連だった。
・80年代にシングル「IEKI吐くまで」「酔うほどに…」をリリース。
・副業…タレントショップ「鶴太郎」(原宿→廃業?)。
・初出演映画「異人たちのとの夏」でキネマ旬報助演男優賞。
・映画「異人たちのとの夏」で演じた寿司職人は口調など全て父親をモデルにした。
・走行中のクルマの中で台本を覚える。
・晴れ男。
・ドラマの家庭内暴力シーンの撮影で腰椎を脱臼(=00年頃?)。
相手の子役は小栗旬。接骨院で入れて貰った。
・長男・貴匡が「素顔がイイねっ!」に出演(=05年5月21日放送分)。
・衣装は自前。スタイリストを使わない。
■片岡鶴太郎
□画家のエピソードなど
・40歳の頃に独学で絵を描き始めた。
・初めて描いた絵を横尾忠則にほめられた。
・描きたくなったらいつでもどこでも筆を持つ。
疲れた時や落ち込んでいる時には特にいいものが出来る。
・床に座って描く事が多い。
・魚、植物、風景を描く事が多い。描き終わった魚は刺身にして食べる。
・人物は殆ど描かない。
・墨絵が得意。
・中国の古い墨を愛用(値段は1本数百万円)。
・空腹状態な方が集中できるので絵を描く時は朝食だけしか食べない。
・棟方志功を心の師と仰いでいる。
・真鶴で取れる魚を描くことが多いので、毎年真鶴で絵画の展覧会を開いている。
・初個展を開催(=95年)。
・銀座で個展「鶴太郎・織と染展」を開催(=99年)。
鶴太郎が布に描いた絵を西陣の技術で織り上げた作品を展示
・NHK「趣味悠々」絵画教室の講師(=04年)。
・作品を展示する施設が全国4ヵ所ある。
草津片岡鶴太郎美術館、福島片岡鶴太郎美術庭園、伊万里片岡鶴太郎工藝館、
山中片岡鶴太郎工藝館(=05.03現在)
・アトリエを「素顔がイイねっ!」で公開(=05年5月21日放送分)。
・絵画、焼き物、着物デザインなどを合計した年間制作数は200点以上。
・空腹状態の方が絵を描く集中力が出る。
時間がある時は朝8:00から昼食を摂らずに夕方まで10時間描き続ける。
・モネを心の師と仰いでいる。
・着物をデザイン。
・絵本「フルーツパフェ」出版(講談社)。
・筆跡がつくのが嫌なので指で油絵を描く。
・ライブイベント「片岡鶴太郎の『鶴やしき』第1回寄席あつめ」を開催(=19年)。
約30年ぶりのライブ。エド・はるみ、彦摩呂、松村邦洋などが落語や漫談を披露。
主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊文春 04年3月4日号
片岡鶴太郎 1954.12.21 芸人 俳優
片岡鶴太郎 1954.12.21 東京都荒川区西日暮里出身
片岡鶴太郎 1954.12.21 オレたちひょうきん族