■照ノ富士春雄(てるのふじ はるお) □肩書き 大相撲力士 □本名 ガントルガ・ガンエルデネ→杉野森正山 □愛称 ガナ □旧四股名 若三勝 □生年 1991(平成03)11.29(射手座/O型) □出身地 モンゴル ウランバートル □出身校 鳥取城北高校 □略歴(満年齢) 14年(23歳)3月場所で新入幕。 15年(24歳)5月場所で初優勝、場所後に大関昇進。 21年(30歳)3月場所後に大関再昇進。7月場所後に横綱昇進。 ※主な出演: CM「永谷園」 □特技 ボイズパーカッション □サイズ 192㎝ 180㎏ ■照ノ富士春雄 □幼少時代〜 ・生まれた時の体重は4900グラム。 ・姉と妹がいる。 ・子供の頃、父親が働く鉱山まで20ℓのバケツを両手で抱えて何度も往復した。 ・モンゴルの進学校に通っていた。 ・17歳の時、柔道とモンゴル相撲をはじめた。 ・白鵬の父親の勧めで来日して鳥取城北高校に相撲留学。 ・鳥取城北高校時代、インターハイ団体優勝。 ・鳥取城北高校時代、数学と英語が得意だった。 □私生活 ・嫌いな食べ物…カレー。 ・酒が好き。酒豪。 缶ビールなら100本飲める。 ※約9ヵ月間完全禁酒中(FLASH 20年1月28日号) ・両膝の故障と同時期に重い糖尿病、腎臓結石、C型肝炎を患った。 18年6月に両膝の手術を受けた(右膝の前十字靭帯、左膝の半月板)。 一時は普通に座る事もできない状態だった。 ・両膝の内視鏡手術を受けた(=22年10月)。 ・ドイツ・バウアーファインド社の膝サポーターを愛用。 ・お化けが苦手。 ・来日後に父親の会社が倒産。 ・関取昇進以降、毎月両親に仕送りをしている。 ■照ノ富士春雄 □人間関係 ・大野将平…友人。 ・逸の城…ライバル的存在。 モンゴルから一緒に来日して鳥取城北高校に留学。 ・日馬富士…兄弟子。一緒にスポーツジムで筋トレ。 ・明生…同期(11年5場所初土俵)。 ・豊昇龍、霧馬山、逸の城、照ノ富士、鶴竜、白鵬、 日馬富士、玉鷲、朝赤龍、朝青龍、時天空、旭天鵬、 …主なモンゴル出身力士(年齢順)。 ・山根千佳、アイリ、市川紗椰、塙宣之、木下博勝、 木下博勝、不動裕理 、駒井千佳子、デーモン閣下 …相撲好きの有名人。 ・ツェグメド・ドルジハンド…?年結婚。 ・子供: 長男…照務甚。22.22.25誕生。 ■照ノ富士春雄 □エピソードなど ・右四つ、寄りが得意。 ・11年5月場所で初土俵。 ・新入幕で5連敗したのをきっかけに腕力強化に取り組み始めた。 腕立て伏せ、20㎏のダンベルでトレーニング、チューブトレーニングを毎日やる。 ・間垣部屋の閉鎖で伊勢ケ浜部屋へ転籍(=13年)。 ・場所前に稽古でいったん落とした体重を場所前1週間で戻す独自の調整法を取っている。 ・初土俵から25場所目の初優勝は歴代3位のスピード記録。 ※年6場所以降、幕下付け出しは除く、貴花田と朝青龍は24場所目で優勝 ・大関昇進伝達式の口上: 「今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進します」 ・故障をおして強行出場を続けて13連敗(大関史上ワースト記録=16年5月場所)。 ・幕下に陥落した18年7月場所から4場所連続休場。 ・親方に何度も引退を申し出たが「怪我を治してから話をしよう」と言われ、 いったん相撲から離れて1年かけて土俵に戻る決心を固めた。 ・19年3月場所で西序二段48枚目の番付で出場。 大関経験力士の序二段出場は史上初。 本来は関取の付け人をやる必要がある地位だったが特別に免除して貰った。 ・10場所ぶりに関取復帰(=20年1月場所)。 ・14場所ぶりに幕内に復帰して30場所ぶり2回目の優勝(=20年7月場所)。 十両以下に陥落した元大関の優勝は史上初。 ・3月場所で3回目の優勝、場所後に大関に再昇進(=21年)。 十両以下に陥落した力士の大関復帰は史上初。 ・横綱白鵬と千秋楽全勝対決に敗北(=21年7月場所)。 ・横綱昇進伝達式の口上: 「不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」 ・大関陥落後に横綱昇進は三重ノ海以来史上2人目。 ・日本国籍を取得、本名を「杉野森正山」に改名(=21年)。 「杉野森」は師匠・伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の姓。 ・ドイツ製の膝サポーターを使用。 ・史上9人目の新横綱優勝(=21年9月場所)。 ・著書「奈落の底から見上げ明日」出版(=21年)。 主要参考媒体: 日刊スポーツ 15年5月25日号 照ノ富士春雄 1991.11.29 大相撲力士 照ノ富士春雄 1991.11.29 モンゴル出身