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渋沢栄一

■渋沢栄一(しぶさわ えいいち)

□肩書き
 実業家

□別表記
 澁澤榮一

□生年
 1840(天保11)03.16(魚座)

□没年
 1931(昭和06)11.11(享年91)

□出身地
 埼玉県深谷市

□略歴(満年齢)
 1869年(29歳)大蔵省に出仕。
 1873年(33歳)第一国立銀行総監役に就任。
 1878年(38歳)東京商法会議所を設立して会頭に就任。

□趣味
 書

■渋沢栄一

□幼少時代〜
・生家は藍染原料の製造販売や養蚕を営む富農。
・5歳の春から父親に口授で三字経を習い始めた。
・読書、習字、撃剣の稽古で日を過ごした。
・毎日様々な本を乱読。特に滝沢馬琴が好きだった。
・15歳の頃から家業を手伝った。
 ひとりで近隣の村を廻って藍の買い入れ交渉をした。

□私生活
・好物…煮ぼうとう。あなごの天ぷら。コーヒー。
 脂っこいもの。洋食。
・たくさん食べる。
・朝食は常にオートミールと卵とハム。
・酒は飲まない。
・55歳の時に顔の皮膚がんの手術を受けた。
・耳が大きい。
・平日は6:00に起床して朝風呂に入った。
・住んでいた所…
 飛鳥山(敷地1万坪、建坪500坪の大邸宅)。
 兜町。
・いきつけ…精養軒。中央亭。帝国ホテル。
・いち早く自動車を購入。
・晩年に毎年箱根に避暑に訪れた。
 定宿は三河屋旅館。

■渋沢栄一
□人間関係
・一橋慶喜(徳川慶喜)…20代の頃に慶喜に仕えた。
・大隈重信…大熊に説得されて大蔵省に出仕。
・渋沢新三郎…撃剣の師匠。従兄。
・尾高惇忠…漢学者。学問の師匠。親戚。
・吉沢亮…大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一役(=21年)。
・千代…1858.12.07結婚。従妹。※82年にコレラで他界
・伊藤兼子…1883年結婚。
・子供:
 長女…歌子。1863年誕生。※母親は千代
 次女…琴子。1870年誕生。※母親は千代
 長男…篤二。1872年誕生。※母親は千代
 次男…武之助。1886年誕生。※母親は兼子
 三男…正雄。1888年誕生。※母親は兼子
 三女…愛子。1890年誕生。※母親は兼子
 四男:秀雄。1893年誕生。※母親は兼子

■渋沢栄一

□エピソードなど
・パリ万博使節団としてヨーロッパ各国を訪問(=1867年)。
 これをきっかけに西洋文明に傾倒。
・大蔵省の役人として銀行や株式に関する法律を作った。
・大蔵省ナンバーツーの地位から野に下った。
・一橋大学、東京工業大学の設立を支援。
・富岡製糸場設置主任(=1870年)。
・欧米視察でルーズベルト大統領と会見(=1902年)。
・「日本資本主義の父」と呼ばれた。
・約500社の設立に関わった。
 金融・保険、エネルギー、土木、運輸、通信など。
・約600の社会事業に関わった。
・式典や宴会を多数主催。
 外国からの賓客を多数接遇。
・大事な仕事の時は燕尾服とシルクハットを身に付けた。
・毎日大勢の人と会って話をした。
 面会を求めて来る人を基本的に断らなかった。
・ノーベル平和賞候補に2回選ばれた。
・新1万円札の肖像(2024年発行)。

渋沢栄一 1840.03.16 – 1931.11.11(享年91)日本資本主義の父
渋沢栄一 1840.03.16 – 1931.11.11(享年91)埼玉県深谷市出身

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