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清原和博

■清原和博(きよはら かずひろ)

□肩書き
 野球選手(08年引退)

□所属チーム
 西武ライオンズ(86年〜96年)
 読売ジャイアンツ(97年〜05年)
 オリックス(06年〜08年)

□本名
 清原和博

□生年
 1967(昭和42)08.18(獅子座/B型)

□出身地
 大阪府岸和田市

□出身校
 PL学園高校

□略歴(満年齢)
 86年(19歳)ドラフト1位で西武ライオンズに入団。
 97年(30歳)FAで読売ジャイアンツに移籍。
 98年(31歳)13年連続20本塁打以上。
 ※入団、移籍は野球シーズン年度
 ※通算成績:
  2338試合、2122安打、.272、525本、1530打点
 ※主なタイトル・表彰:
  新人王、ゴールデングラブ5回、オールスターMVP7回
   ※主な出演:
  テレビ「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」「行列のできる法律相談所」
 
□趣味
 絵画収集 長島茂雄グッズ収集 ゴルフ クルマ

□サイズ
 186㎝ 

□特記事項
 525本塁打

■清原和博

□幼少時代〜
・実家は電器店「清原電気商会」。※09年現在営業中
・産まれた時の体重は4200グラム。
・大阪府の赤ちゃんコンクールで優勝した。
・姉と弟がいる。
 姉は成績優秀で中学を首席で卒業した。
・子供の頃、姉のおさがりの洋服を着せられて、よく女の子に間違えられた。
・母親の影響で巨人ファンになった。
 長嶋が打つと背番号3のパジャマ、
 王が打つと背番号1のパジャマを着て寝た。
・小1の時、バスにはねられてガードレールを超えて草むらに落下した。
 顔中血だらけになって泣きながら家に帰った。
・小学校時代、ガキ大将でよくケンカをしたが、弱いものいじめはしなかった。
・小学校時代、外で遊ぶのが大好きだった。
 池の魚やトンボなどを素手で捕まえた。
・小学校時代、授業中にじっと座っているのが大の苦手だった。
 「トイレに行きたいです」と行って教室を抜け出して学校内を探検した。
 連日廊下に立たされた(座っているより立たされる方が好きだった)。
・小3から小6まで岸和田リトルリーグに所属。
 自ら希望して入団。
 入団テストの50m走と遠投で5年生に負けない記録を出した。
 小4の秋からレギュラー。小5でエースで4番。小6の時に完全試合。
   練習は超ハードだった。練習中は水を飲ませて貰えなかった。
 脱水症状で倒れて病院で点滴を受けた後でグランドに戻って練習を続けた。
・小6の時、身長が既に170㎝程度あった。
・小学校の卒業文集に「プロ野球選手になりたい」と書いた。
・中学時代、岸和田シニアリーグに所属。元旦以外は毎日練習した。
 エースで4番でキャプテンだった。中3の時に全国大会で準優勝。
・中学時代、「プロ野球選手になって中森明菜と結婚する」と言っていた。
・中3の時、PL学園受験の為に姉を家庭教師に勉強した。
・高1の夏から5回連続甲子園に出場(優勝2回、準優勝2回)。
 高2の夏の享栄高校戦で1試合3本塁打。
 甲子園の通算成績は26試合、.440、13本、29打点。
 「高校野球史上最強の打者」と呼ばれた。
 甲子園で一度だけピッチャーを務めた。
・高校時代、1年から4番を打った。
・高校時代、練習では1年の時から木製バットを使っていた。
・高校通算64本塁打。
・高校時代、寮に住んでいた。
・高校時代、お好み焼き屋の大食いチャレンジに毎回成功。
   400グラムのお好み焼きを90分で3枚食べると無料。
・高校時代、多い時は1回の食事で肉を1㎏食べた。
・高校時代、授業中はほとんど寝ていた。
・高1の時、遠征中にバスガイドの女性に誘われて夜中に宿舎を抜け出した。

■清原和博

□私生活
・好物…バッテラ。お好み焼き。スッポン鍋。
 肉。魚。ケジャン。プリン。ケーキ。
・嫌いな食べ物…納豆。奈良漬け。らっきょう。
・21年1月から禁酒中(=21.07現在)。
 以前は10日に1回二日酔いになるまで飲んでいた。
 若い頃にブランデーのボトルを一気飲みした事がある。
 若い頃に一晩でドンペリを14本を空けた事があるらしい。
 読売ジャイアンツを移籍する時に開催した飲み会で一晩で500万円以上使った。
・05年1月に禁煙。
 以前は1日3箱のヘビースモーカーだった。
・健康法…ジョギング(毎朝5:00に起きて走る=12.08現在)。
・持病…糖尿病。
 通院して血糖値が急上昇して病院に緊急搬送された事がある。
・髪の毛は黒いままヒゲだけ白髪になった。
・1日1食で約10㎏ダイエット(=15年)。
・脚のタトゥーを消す治療を開始(=21年3月)。
・泳げない(=13.08現在)。
・犬が苦手。子犬が相手でも逃げる。
・Vシネマが大好き。
 引退後はVシネ俳優になりたいと思っていた。
・フェラーリのプラモデルをたくさん持っている。
・ヒロ・ヤマガタ、ラッセンの絵画を集めている。
・長島茂雄グッズコレクションは球界一と言われている。
・占いが好き。
・宝物…長島茂雄から西武入団時に貰った万年筆(使わずに飾ってある)。
・約3200万円の腕時計を所有(世界に10個しかないハリーウィンストン)。
・好きなブランド…VERRI(イタリア)。
・ペット…犬(名前は常吉=21.09現在)。
・住んでいる所…東京都港区(家賃約60万円の高級マンスリーマンション=16.02現在)。
・いきつけ…
 焼肉「牛まつ」(多摩プラーザ、巨人の選手御用達)。
 宮崎郷土料理「もも太郎」(六本木)。
 鉄板焼・お好み焼き「かねいし」。
・クルマが大好き。
 選手時代の23年間で25台の高級車を乗り継いだ。
 21歳の時から47歳の頃までフェラーリを乗り継いでいた。
 ポルシェ911カレラ、ハマーH2、ベントレーコンチネンタルGTに乗っていた。
 愛車はベンツ(=15.10現在)。
・サウナが好き。
・自宅マンションに空き巣、現金と腕時計・貴金属(66万円相当)を盗まれた(=92年)。
・泥棒に財布を盗まれてキャッシュカードで300万円を引き出された(=04年)。
・沖縄で偶然遭遇した交通事故現場で人命救助を行った(=22年)。
・座右の銘…無心。
・ブログをやっている(=16.01現在)。
・父親は85竿で他界(=23年3月)。
 心臓を患っていた(心臓に硝酸薬が入っていた)。
・母親の病気回復を願って四国お遍路参りをした(=15年)。
・母親は心不全で他界(享年78=19年)。
・毎週週末に少年野球に参加(=12.08現在)。
・次男が甲子園初出場初安打(=23年センバツ)。

■清原和博

□人間関係
・桑田真澄…親友。PL学園高校の同期生。「KKコンビ」と呼ばれた。
 初めて桑田のピッチングを見た時に「投手ではかなわない」と思った。
 高校時代同じクラスで机を並べて座っていた。
 右肘手術から復活した桑田が683日ぶりの勝利を挙げた試合で巨人移籍後初本塁打、
 試合後にふたりでお立ち台に上がった(=97年4月6日)。
 プロ入り後は断絶していたがお互い巨人退団後に再度連絡を取り合うようになった。
 引退した桑田が「最後のバッティングピッチャー」を務めてくれた(=08年7月29日)。
 覚醒剤事件の際に「約3年前に”一切関わらないでくれ"と言われた」と桑田が発言。
・池山隆寛、大塚光二…親友。
・金本知憲…家族ぐるみのつきあい。引退試合で花束を贈呈した。
・佐々木主浩…友人。同い年。
 高3の国体で会った時に佐々木が駆け寄ってきてツーショットを撮った。
 清原の覚醒剤裁判で弁護側証人として証言。
・金村義明…友人。金村を「オッサン」と呼ぶ。
 金村が痔の手術を受けた後に「カンチョー」をやってパンツが血だらけになった。
・高橋由伸…友人。野球を始めた頃から清原に憧れている。
 04年オフに去就に関してモメた時に全ての経緯を説明して相談に乗って貰った。
・松坂大輔…友人。時々一緒に食事。
・元木大介、高橋尚成、阿部慎之助
 …読売ジャイアンツの遊び仲間「アホ会」のメンバー。
 オフに一緒に韓国旅行(=04年)。高橋と清原の子供は同じ幼稚園。
・イチロー…友人。一緒に自主トレをした。
・長渕剛…友人。一緒に食事、酒、トレーニング。
 兄貴分として慕っている(昔から長渕のファンだった)。
 己を励ます為に自宅の壁に長渕直筆の色紙「まだ9回の裏じゃねえ」を飾ってある。
 打てない時に長渕の歌を何度も聞いた。
 打席に入る時のテーマソングとして長渕の「とんぼ」を使用。
 長渕の母親の告別式に出席した日の試合で本塁打(=00年)。
 現役引退試合後のセレモニーで長渕が「とんぼ」を熱唱。
・梅田淳…友人。清原がプロ入りした当時からのつきあい。
 清原から誕生日プレゼントして貰った高級時計を大切にしている。
・川合俊一、真田広之、中井貴一、佐藤浩市、東山紀之…友人。飲み友達。
・中山秀征、佐々木主浩、元大嶽親方(元貴闘力)…友人。昭和42年会の飲み仲間。
・糸井重里、河口正史、武田修宏、三浦知良…友人。
・和田アキ子…友人。
・松方弘樹…飲み比べをした事がある。
・東尾修、工藤公康…西武の先輩。
 よく銀座のクラブに連れて行って貰った。
・山田久志…新人時代に山田から肘にデッドボールを受けた時に
 「ちゃんとよけんかい!」と逆に怒られた。
・野茂英雄…清原からプロ初奪三振(無死満塁で内角高め速球で三振)。
 大事な場面では必ず速球で勝負を挑まれた。
・落合博満…打撃の師匠的存在。
 バッテイングに関してよくアドバイスを貰った。
 「清原のバッテイングフォームは高校時代がベスト」と言われた。
・王貞治…子供の頃から憧れていたプロ野球選手。
 ジャイアンツで王からバッティング指導を受ける事を夢見ていたが叶わなかった。
 現役最後のソフトバンク戦の試合前に王から花束を渡されて
 「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう」と言われた。
・野村克也…野村が西武時代に使っていたヘルメットを長年使っていた。
 巨人移籍後も黒く塗って使い続けていた。
・長島茂雄、衣笠祥雄、落合博満…目標としていたプロ野球選手。
・土井正博…打撃の師匠。
・高野進…高野から走法の指導を受けた(=05年)。
・岡田圭右…リトルリーグの大会で清原のチームと1回戦で対戦、
 ピッチャー清原に対して2アウトからセーフティーバントを試みて失敗
   (開会式の入場行進で一緒に映っている写真が残っている)。
・小野ヤスシ…顔が似ているとよく言われる。
・山瀬まみ…妻の高校時代の同級生。
・堂珍嘉邦…同じマンションに住んでいた。
 台風の時にマンションのエントランスで転倒して頭を打って意識朦朧の状態になっていた
 堂珍の妻(当時妊娠中)を助けて自分のクルマで病院に運んだ(=04年)。
・秋山成勲…秋山の格闘家デビュー戦でセコンドを務めた(=04年)。
・リトル清原…清原のモノマネをする。
・ケビン山崎…トレーナー。
 ケビンの指示で最新トレーニングと食事療法で肉体改造(=99年〜)。
 筋肉を付けて90㎏台だった体重を約120㎏まで増やした。
・平石貴久…主治医。清原の大ファン。試合前ににんにく注射を打って貰っていた。
・秋山幸二…西武時代にクリーンアップを組んで「AK砲」と呼ばれた。
・橋本清(元プロ野球選手)…高校の2年後輩。高校の寮で相部屋だった。
・栄川良秀…岸和田リトルリーグの監督。
・及川宣士…岸和田シニアリーグの監督。
 野球選手としての心構えを及川から学んだ。
・小倉智昭…清原の大ファン。アンチ巨人だが清原だけは応援する。
・森公美子…清原のファン(清原のお尻が好き)。
・小泉孝太郎、坂口憲二、ピエール瀧、波田陽区、城咲仁、森島康仁、
 菅山かおる、東尾理子…清原のファン。
・江藤智…中学時代から清原に憧れている。
・中森明菜…憧れている芸能人。
・雨野夕紀(俳優)、稲葉千恵子(モデル)、斎藤陽子、吉野公佳…交際を噂された。
・辺見えみり…交際を噂された(=99年)。
・木村亜希…タレント。00.12.08奈良の神社で挙式、14年離婚。
 セブンティーンクラブの一員として「ス・キ・ふたりとも」で歌手デビュー(=85年)。
・子供:
 長男…正吾。02.08.23誕生。慶応大学野球部。
 次男…勝児。05.05.01誕生。慶応高校野球部。

■清原和博

□エピソードなど
・ドラフトで巨人から指名を受けなかった事で記者会見で涙を見せた。
 ※巨人はチームメイトの桑田真澄を1位指名
・開幕2戦目の南海ホークス戦でプロ初本塁打(=87年)。
・オールスターで本塁打(高卒ルーキー史上初)。
・日本シリーズを3連敗4連勝で優勝(=87年)。
 最終戦の最終回、巨人の攻撃が2アウトになった時に守備位置で涙を流した。
 ※ドラフトで指名してくれなかった巨人に勝つ事ができる嬉し涙、と報じられた
・.304、31本、78打点で新人王。31本塁打は新人最多タイ記録。
・1年目のオフ、門限破りなどで徴収された罰金を定期預金にした通帳を森監督から渡されて
 「いいプレイをしてくれればいい」と言われた。
・警察庁の覚醒剤追放キャンペーンのポスターに起用された(=87年)。
 キャッチコピーは「覚せい剤うたずにホームラン打とう」。
・日本シリーズで超特大の場外本塁打(ナゴヤ球場場外の新幹線高架直撃=88年)。
・史上最年少で通算100本塁打(=89年)。
・デッドボールに激高してロッテ・平沼定晴にバットを投げつけてヒップアタック
 (2試合出場停止、罰金30万円=89年)。
・日本シリーズ第5戦で桑田からバックスクリーンに2打席連続本塁打(=94年)。
・史上最年少(23歳)で年俸1億円(史上初の20代の1億円プレイヤー=91年)。
・史上最年少で通算200本塁打(=92年)。
・左ひざ骨軟骨損傷、左手甲骨折、右足内側側副じん帯損傷(=99年)。
・鹿児島の最福寺で護摩行(=99年)。
・阪神戦で3イニング連続本塁打(=01年)。
・日本シリーズで松坂(西武)から看板直撃の超特大ホームラン(=02年)。
・4年連続で妻の誕生日に本塁打(=01年〜04年)。
・本塁打後に小川直也のハッスルポーズで喜びを表現(プロスポーツ界で流行=04年)。
・敬愛するバリー・ボンズを意識して耳にピアスをいれた(=05年)。
・史上初の200人の投手から本塁打(200人目は阪神・福原=05年)。
・交流戦の横浜戦でクルーンから逆転サヨナラ満塁本塁打(=06年)。
・サヨナラ本塁打数12、サヨナラ安打数20の日本新記録を樹立(=06年)。
・左膝の軟骨組織の修復手術を受けた(スポーツ選手として成功前例のない手術=07年)。
・オールスターゲームで好成績を残した。
 18回出場、.365、13本(歴代2位)、34打点(歴代1位)、MVP7回(歴代1位)。
・所属チームが日本シリーズに10回出場して8回優勝(西武6回、巨人2回)。
・センターへの本塁打117本は歴代最多。
・通算196死球と通算1955三振は日本記録。
・内角球をよけなかったので死球で何度も怪我をした。
 投手にナメられたくなかったのでグラウンド内では絶対に痛がらなかった。
・詰まった内野ゴロをよりはフルスイングの空振り三振のほうがよほどマシだと思っていた。
 内野ゴロで一塁に走るのは罰走をやらされている気分だった。
 現役最終打席はフルスイングの空振り三振。
・よくチームメイトにイタズラをした。
 カンチョーで尾てい骨を骨折させてカンチョー禁止令が出た。
・現役時代の推定年俸総額は50億円以上。
・PRIDE17でアントニオ猪木から闘魂注入ビンタを受けた(=01年)。
・雑誌「週刊ポスト」の記事「自主トレ清原が金髪ストリップ通い」を名誉毀損で提訴、
 自ら証人として出廷して損害賠償金と謝罪文掲載を勝ち取った(=01年)。
・吉本新喜劇の舞台にゲスト出演(=06年)。
・ドラマ「和田アキ子殺人事件」に本人役で出演(ドラマ初出演=07年)。
・自伝「男道」出版(幻冬舎=09年)。
・日本シリーズ第2戦の解説で共演した新庄剛志とともに奔放な発言を連発(=09年)。
・テレビ「逃走中」の収録中に転倒して左手小指を脱臼骨折(=12年)。
・上下純白のスーツで巨人のキャンプ地を訪問(=14年)。
・テレビ「金曜日のスマたちへ」で「自殺を考えた」と発言(=15年)。
・名球会フェスティバルで2打数2安打(=16年)。 
・覚醒剤取締法違反の疑いで自宅で現行犯逮捕(裁判で使用を認めた=16年)。
 判決は懲役2年6ヵ月(執行猶予4年)。
・現役時代に興奮剤(グリーニー)を使っていた事を告白(当時は合法だった=16年)。
・厚労省主催のイベントで薬物依存に関して語った(=19年)。
・WorldTryout2019に監督として参加。
・公式YouTubeチャンネル「清ちゃんスポーツ」開設(=20年)。
・学生野球資格を回復(=21年2月)。


主要参考媒体
女性セブン 86年9月18日号 
FLASH 91年1月1日号 
ザ・ベスト 00年11月号
男道 09年1月15日発行
FRIDAY 15年10月30日号
日刊スポーツ 16年2月4日号

清原和博 1967.08.18 野球選手
清原和博 1967.08.18 大阪府岸和田市
清原和博 1967.08.18 525本 2122安打
清原和博 1967.08.18 スポーツ選手男性(2000年代)
清原和博 1967.08.18 スポーツ選手男性(1990年代)
清原和博 1967.08.18 スポーツ選手男性(1980年代)若い頃

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