■江夏豊(えなつ ゆたか)
□肩書き
野球選手(85年引退)
野球解説者
□主な所属チーム
阪神(67年〜75年)
南海(76年〜77年)
広島(78年〜80年)
□本名
江夏豊
□生年
1948(昭和23)05.15(牡牛座/A型)
□出身地
兵庫県西宮市
□出身校
園田中学校
大阪学院高校
□略歴(満年齢)
67年(19歳)ドラフト1位で阪神タイガースに入団。
71年(23歳)オールスターゲームで9連続三振。
78年(30歳)金銭トレードで広島東洋カープに移籍。
※入団、移籍、引退は野球シーズン年度
※通算成績:
829試合、206勝158敗193S、防御率2.49、2987奪三振
※主なタイトル・表彰:
最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手5回、
沢村賞1回、MVP2回
※主な出演:
映画 「最後の博徒」「塀の中の懲りない面々」「刑事物語5 やまびこの詩」
ドラマ「服部半蔵 影の軍団」「独眼竜政宗」「混浴露天風呂連続殺人」
□趣味
読書 俳句 麻雀 ゴルフ
□サイズ
179㎝
■江夏豊
□幼少時代〜
・両親の疎開先で生まれた。
・3人兄弟の末っ子。上の兄は14歳年上。3人とも父親が違う。
・母親は昼は大衆食堂、夜は料理屋で働いていた。
・母親は踊りと長唄の師匠だった。
・母子家庭で育った。
・長兄が父親がわりだった。
・下町の6畳1間のアパートに親子で住んでいた。
・熱烈な野球マニアだった兄に野球に有利なように左利きにさせられた。
・小学校時代、相手チームとケンカをするので野球仲間に入れて貰えなくなった。
・小学校時代、兄と一緒に木製の野球盤で遊んだ。
セリーグ6球団を3球団づつ持ってシーズン全試合を戦い、
勝敗・順位・選手のデータをノートにつけた。
・中学時代、上級生とケンカして野球部を3日で退部。
・中学時代、兄の会社の野球部の試合に特別出場して連戦連勝、
勝つ度にたらふく串カツを食べて貰っておこづかいを貰った
(「野球は金になる」と思った)。
・中学時代、陸上部。砲丸投げで近畿大会2位。
・高校時代、球種はストレートだけで牽制はできなかったが1年からエース。
大阪府予選で1試合平均15奪三振。甲子園には出場できなかった。
・高校時代、江夏のストレートをきちんと捕る為にキャッチャーが砲丸を受けて手首を鍛えた。
■江夏豊
□私生活
・タバコが好き。
・若い頃から心臓に持病があった(心室性期外収縮)。
現役時代はニトログリセリンを持って試合に挑んでいた。
球場に医者が待機して試合後すぐに診察を受けた事があった。
40代に何度も発作で倒れて92年に手術を受けた。
・暑がり。
・寝付きが悪かったので睡眠薬がわりに読書をするようになった。
いったん読み始めた本はどんなにつまらなく感じても最後まで読む。
・好きな作家…池波正太郎。司馬遼太郎。黒岩重吾。藤沢周平。船戸与一。山崎豊子。
・宮本武蔵、土方歳三が好き。
・100円玉貯金をしていた。
・カラオケの十八番…アリス「陽はまた昇る」。
・草野球チーム「びっくりサマーズ」の監督(=96年現在)。
・生まれる前に死んだと聞かされていた実父と79年日本シリーズの最中に再会。
■江夏豊
□人間関係
・衣笠祥雄…親友。3日に1回は電話。よく一緒にカラオケ。
・山口洋子…友人。
・木割大雄(俳人)…友人。
・王貞治…ライバル。日本新記録の354奪三振を狙って王から奪った。
王から奪う為にわざと他の以外の打者を打たせて取った。
王に対してはカーブを使わず、直球の握りをかかげて見せた上でストレートを投げた。
その試合は0-0の延長12回に自らサヨナラヒット(=68.09.13)。
・野村克也…恩人。南海時代の監督。
野村と話をして野球に対する考え方が変わった。
野村に「抑えの切り札として野球の革命児になって欲しい」と説得されてリリーフに転向。
・広岡達朗…管理野球を進める広岡達朗監督との確執から西武を自由契約になった。
・山本浩二、落合博満、福本豊、大杉勝男、江藤慎一
…大リーグ挑戦を決意して開催した「たった一人の引退式」に出席したメンバー。
・レジー・ジャクソン…憧れていたメジャーリーガー。
メジャー挑戦中に対戦してセンター前ヒットを打たれた。
試合後にレジーから記念に貰ったバットは宝物。
・欧陽菲菲…好きな歌手。ゴルフ&麻雀仲間の会を「フィフィ会」と命名。
・大信田礼子、石田えり…交際を噂された。
・枝元美由紀…元コンパニオン。同棲中に一緒に覚醒剤をやって逮捕された。
・元妻…?年結婚、?年離婚。
・子供が2人いる(離婚後に元妻が引き取った)。
■江夏豊
□エピソードなど
・プロ入りの契約金は800万円は全額親にあげた。
・プロ1年目は直球しか投げられなかった。
・150㎞/hを超える直球と2種類のカーブとフォークで多数の三振を奪った。
・1年目から5年連続で最多奪三振。
・シーズン401奪三振(史上最多=68年)。
記録達成の三振を狙って王貞治から奪った。
・25勝12敗(8完封を含む21完投)で最多勝など投手部門のタイトルを総ナメ(=68年)。
・防御率1.81で最優秀防御率(=69年)。
・オールスターゲームで6連続奪三振。
・オールスターゲームで9者連続奪三振、打者として右翼席上段に3点本塁打(=71年)。
・ノーヒットノーランを達成した試合で11回裏に自らサヨナラ本塁打(=73年)。
・ONと名勝負を繰り広げた。
・打者に球種が見破られないように手首全体が隠れる特注グラブを使用。
・リリーフに転向した当時、日本の野球にはリリーフエースという概念がなく、
江夏のリリーフ8連投や全試合ベンチ入りは大きな革命だった。
・3勝3敗の日本シリーズ第7戦、1点リードの9回裏無死満塁のピンチを抑えた(=79年)。
※三振、スクイズを見抜いてピッチドアウトして走者アウト、三振(江夏の21球)
・広島、日本ハムでリーグ優勝に貢献して「優勝請負人」と呼ばれた。
・自分が投げた1球1球に関して詳細なメモをつけていた。
・シングル「俺の詩」をリリース(=80年)。
・プロ野球史上初の両リーグMVP(=81年)。
・ブリュワーズのキャンプにテスト生として参加してメジャーに挑戦(=85年)。
メジャー契約は得られず、マイナー契約を拒んで現役引退。
・現役引退後に芸能プロダクションを設立、自らも映画やドラマに出演。
・暴力団との交際を噂された。
・覚醒剤取締法違反で逮捕されて2年4ヵ月の実刑判決(=93年)。
・東京ドリームスの一員としてマスターズリーグに出場(=01年)。
主要参考媒体:
BIG tomorrow 85年8月号
女性自身 95年7月25日号
週刊現代 05年1月22日号,05年11月5日号