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毒蝮三太夫

■毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)

□肩書き
 タレント 俳優 ラジオパーソナリティー

□本名・旧芸名
 石井伊吉(いよし)

□生年
 1936(昭和11)03.31(牡羊座/O型)

□出身地
 東京都台東区

□出身校
 台東区立下谷中学校
 東京都立大森高校
 日本大学芸術学部映画学科卒業

□略歴(満年齢)
 67年(31歳)テレビ「笑点」出演。
 69年(33歳)ラジオ「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」出演。
 73年(37歳)映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」出演。
 ※他の主な出演:
  映画 「潮騒」「青い山脈」「小さなスナック」
  ドラマ「ウルトラセブン」「峠の群像」「ひらり」
  テレビ「談志専科」「笑点」「3時にあいましょう」
  CM    「強力わかもと」「ミツカン酢」「森永乳業 Pino」
  著書   「老人学」「ラジオの鉄人 毒蝮三太夫」

□趣味
 野球観戦 草野球

□サイズ
 170㎝ 78㎏

■毒蝮三太夫

□幼少時代〜
・父親は大工。
・種違いの兄が2人いる。
・関東大震災で焼け出された避難先の大阪で生まれ、すぐに東京に戻った。
・中延の同潤会アパートに住んでいた。
 外から中が丸見えの落語に出てくる長屋のような部屋だった。
・子供の頃は病弱だったらしい。
・子供の頃、よく兵隊ごっこをして遊んだ。
 体が小さかったのでいつも斥候兵の役をやらされた。
 大将役のガキ大将に取り入る為に面白い事を言うようになった。
・空襲による類焼を防ぐ為に住んでいたアパートが取り壊された。
・父親の方針で集団疎開に参加しなかった。
・45年5月24日の空襲で死にかけた。
 辺り一帯が炎に包まれる中を母親に手をひかれて逃げた。
 煙で呼吸が苦しくて「死んだほうがましだ」と思った。
・空襲の焼け跡で切断された足首が入ったままの靴を拾って足首を引き抜いて履いた。
・父親の実家がある神奈川県横浜市戸塚区に縁故疎開、
   父親が山の窪地に立てた小屋で生活した。
・父親が浅草・竜泉寺に家を建てて、喫茶店「たぬき」を経営。
 終戦直後は掘っ立て小屋だった。
   材料のズルチンやサッカリン(砂糖の代用品)の買い付けを手伝った。
・吉原の女郎屋の息子と仲良くなって上野の山で野球を教えて貰った。
 家に遊びに行くと色っぽい女郎さんがたくさんいてドキドキした。
・中学時代、生徒会副会長。
・中学の卒業式で全校生徒の前で落語をやった。
・高校時代、教師になりたいと思っていた。
・発疹チフスにかかって救急車で運ばれた(時期不詳)。

■毒蝮三太夫

□私生活
・好物…そば。「アンゼリカ」(下北沢)のカレーパン。
 「芋十」(埼玉県川越市)の芋十せんべい。
・酒が好き。
・健康法…コブラの粉末。
・腸閉塞の手術で大腸がんが見つかった(約1ヵ月半休養=06年)。
・カニが怖い。
・住んでいる所…東京都世田谷区(=00.02現在)。
・住んでいた所…荏原中延。
・結婚当初はお金がなかったので父親が建てた木造アパート「たぬき荘」に住んでいた。
・いきつけ…
 そば屋「久寿屋」(尾山台)。
 バッティングセンター「駒沢バッティングスタジアム」。
・愛車はベンツCLA(=21.09現在)。
・電動自転車を愛用。
・電車、バスが好き。
・巨人ファン。
・寺、神社が好き。世田谷観音の住職は友人。
・結成40年以上の草野球チーム・スターズのメンバー。
 結成当時のメンバーは毒蝮を含めて数人。※03.04現在
・妊婦の女性に頼まれると安産を祈願して法華経を唱えながらお腹を撫でてあげる。
・妻に初めて会った時に結婚する予感があった。
・有楽町駅の改札で妻に結婚前提の交際を申し込んだ。
・愛妻家。
 妻に手書きで年賀状を出す。
・妻が「ミュージックプレゼント」をチェックしてダメ出ししてくれる。

■毒蝮三太夫

□人間関係
・大山のぶ代…家族ぐるみのつきあい。10代の頃からの仲。
 大山の別荘に毒蝮夫妻専用のベッドルームがある。
・立川談志…親友。同い年。
 毒蝮の結婚式の司会を談志が務めた。
 立川の勧めでテレビ「笑点」に座布団運びとして出演。
 立川の勧めで本名から「毒蝮三太夫」に改名。
 談志の長女の結婚式で談志の代理で長女と一緒にバージンロードを歩いた。
・十朱幸代…親友。一緒に温泉旅行。
・立川談志、中尾彬、ミッキー・カーチス
 …友人。飲み友達。銀座のバーで一緒に飲む。
・黒部進…友人。飲み友達。ドラマ「ウルトラマン」で共演。
・唐沢寿明…小学校・中学校の後輩。
・大沢悠里…Podcast「大沢悠里と毒蝮三太夫のGG放談」で共演。
・みさを…62年結婚。三越デパート勤務。

■毒蝮三太夫

□エピソードなど
・中1の時、学校推薦で受けた舞台「鐘の鳴る丘」のオーディションに合格、
 約3ヵ月山陰や四国を巡った。
・巡業劇の縁で劇団こけし座に入団。
・大学時代、劇団山王を旗揚げ。
 幕があくと4組のカップルが全員抱き合ってキスしている不条理劇をやっていた。
 赤字続きで公演4回で解散したが、解散後も劇団仲間との交流は続いた。
・脇役で多数の作品に出演。
 1日で3作品の現場をかけもちした。
・ドラマ「ウルトラマン」にアラシ隊員役、
 ドラマ「ウルトラセブン」にフルハシ隊員役で出演。
・ドラマ「ウルトラマン」は視聴率40%を超える大人気。
 住んでいた6畳のアパートを子供たちが囲んで「アラシ! アラシ! 」の大合唱。
 アラシ隊員の衣装のままで立ち小便をしてスタッフに注意された。
・「ウルトラセブン」の収録中に休憩時間に酒を飲んでベロベロになり、
 自分の台詞を言えなくなって他の隊員にかわりに言って貰った。
・テレビ「笑点」の大喜利コーナーに2代目座布団運びとして出演。
・芸名を「毒蝮三太夫」に改名(=68年)。
・株式会社まむしプロダクションを設立して社長に就任(=73年)。
・映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で浅丘ルリ子が結婚する寿司職人を演じた。
・TBSラジオ「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」に長年出演。
 店、工場、商店などに出向いて現場に集まった人とのやりとりを毎日生中継。
 お年寄りに「ババア、元気だねえ。まだくたばんないのかい?」と毒舌を吐く。
 「おばあちゃんのアイドル」「巣鴨のスター」と呼ばれる。
 本番終了後も話をして握手をする。
 訪れた店、工場、商店などの数は1万軒以上、出会った人は60万人以上。
・日本老年行動科学会の特別顧問を務める(=93年)。
・「ウルトラセブン」の新作オリジナルビデオに出演(=98年)。
・ゆうもあ大賞グランプリ(=99年)。
・NHK教育の福祉番組「めざせ介護の達人」司会(=03年)。
・聖徳大学短期大学部客員教授として介護福祉コミュニケーションを教えた。
・日本雑学大賞を受賞(=05年)。
・浅草公会堂前「スターの広場」に手形を公開(=05年)。


主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊文春 00年2月24日号,03年9月25日号
週刊現代 17年6月17日号,22年10月1日号
毒蝮三太夫公式サイト 11年10月5日閲覧

毒蝮三太夫 1936.03.31 タレント
毒蝮三太夫 1936.03.31 東京都台東区出身
毒蝮三太夫 1936.03.31 日本大学芸術学部映画学科卒業

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