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橋幸夫

■橋幸夫(はし ゆきお)

□肩書き
 歌手

□本名
 橋幸男

□生年
 1943(昭和18)05.03(牡牛座/A型)

□出身地
 東京市滝野川区

□出身校
 城西大学附属高校

□略歴
 60年(17歳)「潮来笠」で歌手デビュー。紅白歌合戦初出場。
 62年(19歳)「いつでも夢を」で日本レコード大賞。
 66年(23歳)「霧氷」で日本レコード大賞。
 ※他の主なシングル:
  「恋のメキシカンロック」「子連れ狼」「ゆるキャラ音頭」
 ※主な出演:
  映画 「潮来笠」「花の舞妓はん」「ひばり・橋の花と喧嘩」
  ドラマ「ご存じ金さん捕物帳」「水戸黄門」「あまちゃん」
  テレビ「クイズ!年の差なんて」「THE夜もヒッパレ」「徹子の部屋」
  CM 「クボタ トラクター」「サッポロ一番」
 
□趣味
 書 パソコン ドライブ ゴルフ 

□特技
 絵画

□特記事項
 長男は橋龍吾

■橋幸夫

□幼少時代〜
・両親は染物屋「福屋」経営(東京大空襲で焼失)。
 父親は越後屋の丁稚だった。
・9人兄弟(6男3女)の末っ子。
・24歳年上の長兄が洋品店「みどりや」を池袋西口で経営。
 長兄が建てた土地200坪、建坪100坪の豪邸に家族12人で住んでいた。
・母親と兄弟全員が音楽が好きだった。
 自宅にあった蓄音機で大人の歌を聴いていた。
 遠足のバスの中で織井茂子「黒百合の歌」を歌ってびっくりされた(大人の歌だったので)。
・小4の時、会社の専務の不正で長兄が多額の負債を負って自宅が差し押さえられた。
 自分の自転車も差し押さえられた。
・長兄が残してくれたお金で両親が中野に呉服屋を開店した。
・小学校〜中学時代、ワルガキだった。「親分」と呼ばれてよくケンカの仲裁を頼まれた。
・小学校時代、空手、柔道、ボクシングをやっていた。
・中学時代、本格的な不良になりかけたが毋親の勧めで歌謡教室に通って仲間と疎遠になった。
・中学時代、ギターをはじめた。
・中学時代、製図が大好きだった。
・中学時代、ボクシングに熱中。

■橋幸夫

□私生活
・好物…コロッケ。漬物。クレームブリュレ。
 こぶ茶。フレーバーコーヒー。
・好きな酒…ビール、ワイン。
・健康法…水分摂取。自己流ストレッチ(毎朝5分)。
 ウォーキング(妻と一緒に歩く)。
・タワシで全身をマッサージして花粉症を克服した。
・料理、洗い物、アイロンがけなどの家事が得意。
 自分の普段着は全部自分でアイロンをかける。
・新しもの好き。
 パソコンをいちはやく始めた(パソコンでイラストを描く)。 
 ネットショッピングが好き。
・アロハシャツが好き。
・ユニクロの服が好き。
・住んでいる所…静岡県熱海市(温泉付き=22.01現在)。
・住んでいた所…東京都渋谷区神宮前(一軒家)。
・住んでいた所…川口アパート(東京都文京区、20代半ばから約5年間)。
・自宅をリフォームした時に自分で図面を描いた。
・いきつけ…ビアレストラン「銀河高原ビール」(御徒町)。
・ファミレスが好き。家の近所の「ジョナサン」によく行く。
・書道を習っていた(草書、行書、楷書と全部習った)。
・カラオケの十八番…「I LOVE YOU」「シクラメンのかほり」。
・認知症の母親を数年間介護した(90年他界)
 当初は苦労したが「母親は宇宙人なんだ」と思ったら平気になった。
 介護に関するエッセイ集「お母さんは宇宙人」を上梓(=89年)。
 経験をいかして認知症に関して全国で講演。
・「男性にとっての浮気はスポーツ」と発言(=96年)。
・若い女性よりも40歳過ぎの女性が好き。
・浮気がバレて「このままなら離婚」と言われて妻に謝罪、
 約1年間徹底的に話し合った(=00年頃)。
・妻との共著「別れなかった理由」で過去の浮気や離婚の危機を告白(=01年)。

■橋幸夫

□人間関係
・西郷輝彦、舟木一夫…デビュー当時に3人で「御三家」と呼ばれた。
 期間限定ユニット・G3Kで御三家メモリアルコンサートを開催(=00年〜01年)。
 舟木が狭心症の疑いで緊急入院した時に西郷と橋がコンサートの代役(=02年)。
・吉永小百合…デュエット曲「いつでも夢を」で日本レコード大賞(=62年)。
 レコ大授賞式で初めて実際に一緒に歌った(お互い多忙でレコーディングは別々だった)。
・尾崎紀世彦、西郷輝彦、清水アキラ、錦野旦、幸夫、布施明、三田明、
 小川知子、金沢明子、今陽子、ジュディ・オング、黛ジュン、山本リンダ
 …阪神大震災の被災者救済のチャリティーコンサートを開催(発起人は橋幸夫)。
・遠藤実…師匠。中2から3年間「遠藤学校」に通った。
 息子のようにかわいがってくれた。
 遠藤はコロムビアの専属だったがビクターのオーディションについてきてくれた。
・吉田正…師匠。デビュー曲「潮来笠」を作曲。
 ビクターのオーディション合格後に約4ヵ月師事。
 東京佐川事件後にビクターに戻れるように尽力してくれた。
・清水アキラ、天津木村、ぼんちおさむ、宮本隆治…橋のモノマネが得意。
・益子卓郎(U字工事)…橋の大ファン。
・三遊亭小遊三、ヨネスケ…橋のファン。
・石原裕次郎…憧れの存在だった。
・三橋美智也…向島の芸者遊びをてほどきしてくれた。
・美空ひばり…若い頃によく一緒に遊んだ。お互いの自宅に遊びに行った。
 交際を噂された。
・凡子…元客室乗務員。71年結婚、17年12月離婚。
 ハワイ公演から移動する機内で知り合った。もともと橋のファンだった。
・妻…一般女性。?年結婚。元妻と離婚直後に再婚。再婚当時50代後半。
・子供:
 長女…奈央。28歳(=02.10現在)。弁護士。
 長男…橋龍吾。77.09.20誕生。俳優。
 ※孫…慧光(えこう)。00.10.18誕生。長女・奈央の長男。
 ※孫が3人いる(=16.07現在)

■橋幸夫

□エピソードなど
・デビュー前に受けたコロムビアのオーディションは不合格だった。
・ビクターレコードのオーディションとボクシングのプロテストの受験日が重なり、
 迷った末に母親の期待に応える為に歌を選んだ。
・ブルース歌手志望だった。
・イキな着流し姿の股旅もの歌手としてデビュー。
・「潮来笠」を歌っていた頃の髪形は「潮来カット」と呼ばれ評判になった。
・「潮来笠」で第1回日本レコード大賞新人賞。
・デビュー半年で紅白歌合戦に初出場。
・デビュー当時、姉がマネージャー、兄が経理を担当。
 地方で興業元が用意してくれた女性を姉にブロックされて姉と将棋をして過ごした。
・デビュー当時、ファンレターが1日600通来た(できるだけ返事を書いた)。
・デビュー翌年のワンマンショーで7日間で7万人を動員。
 客が入りすぎて危険な状況になって機動隊が客を整理。
・デビュー当時の平均睡眠時間は3〜4時間。
・ 63年に16曲、64年に15曲の新曲を発表。
・雑誌のインタビュー記事に住所が掲載されていたので実家にファンが押しかけて来た。
 ※雑誌のインタビュー記事にタレントの住所が掲載されるのは当時は当たり前だった
・18歳の時、レコード会社から借金して杉並区善福寺に両親に家を買って一緒に住んだ。
 借金額は当時の価格で約5000万円(20年で返済)。
 その家ははとバスの観光コースになっていた。
 ファンが遊びに来ると親が家にあげて歓待してポチ袋で1000円を渡していた。
・橋の人気で10代のファンが急増した為、業界が低年齢層をターゲットにするようになった。
・21歳の時、金沢で開催したコンサートのフィナーレで大きな軍刀を持った暴漢に襲われた。
 一太刀二太刀を咄嗟にかわして血まみれになりながら両手で刃を必死で押さえた。
 ※「格闘技をやっていなかったら最初の一太刀で絶命していた」と思っている
・ドラマ「遠山の金さん」に3代目金さんとして出演(=74年)。
・リバスター音産副社長に就任(=84年)。
 親会社(佐川急便)の社長は橋の後援会長だった。
 歌手活動を休業して毎朝9:00に出勤、本名で名刺を作って頭を下げて挨拶をして廻った。
・東京佐川急便事件で親会社の社長が逮捕されてリバスター音産が解散(=93年)。
 新聞に「橋幸夫逮捕か?」と書かれた。
・紅白歌合戦に8年ぶりに出場(=98年)。
・水戸に盆踊りを立ち上げるイベント「燃えろ! 元気水戸まつり」で毎年歌う(=03年〜)。
・会場や曲目を全てセルフプロデュースしたライブ「黄昏の宴」を開催(=03年)。
 自分が歌いたい曲を歌うライブなので8割は人の曲。
・エッセイ集「シオクルカサ(潮来笠)の不思議な世界」出版(=07年)。
・脳のトレーニングの為に衣装のコーディネートを自分で考える。
・YouTube「橋幸夫ちゃん!ネル」開設(=20年)。
・23年5月3日(80歳の誕生日)に歌手を引退する事を発表(=21年)。
浅草公会堂でラストコンサート(=23.05.01)。
 歌手引退を撤回する謝罪会見(=24.04.15)。
・初の書画個展を開催(=23年)。


主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊文春 07年6月7日号
週刊現代 16年1月23日号

橋幸夫 1943.05.03 歌手
橋幸夫 1943.05.03 潮来笠
橋幸夫 1943.05.03 男性芸能人(1970年代)紅白7回
橋幸夫 1943.05.03 男性芸能人(1960年代)レコ大
橋幸夫 1943.05.03 静岡県熱海市在住


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