■森進一(もり しんいち)
□肩書き
歌手
□本名
森内一寛
□生年
1947(昭和22)11.18(蟹座/O型)
□出身地
山梨県甲府市→鹿児島県
□出身校
鹿児島市立長田中学校
□略歴
66年(19歳)「女のためいき」で歌手デビュー。
68年(21歳)紅白歌合戦初出場(→15年まで48回連続出場)。
74年(27歳)「襟裳岬」で日本レコード大賞。
※他の主なシングル:
「おふくろさん」「冬のリヴィエラ」「紐育物語」
※主な出演:
映画 「夜の歌謡シリーズ 命かれても」「美空ひばり・森進一の花と涙と炎」
ドラマ「S・Hは恋のイニシャル」「古賀政男物語」
テレビ「徹子の部屋」
CM 「日産自動車 ローレル」「資生堂」
□趣味
パソコン 釣り ゴルフ
□サイズ
167㎝
□特記事項
元妻は森昌子
■森進一
□幼少時代〜
・妹と弟がいる。
・海のそばで育った。よく海で釣りをして遊んだ。
・10歳の時、両親が離婚して母親にひきとられた。
・妹と弟の父親代わりを務めた。
・家は裕福ではなかった。生活保護を受けていた。
新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして家計を助けた。
早く一人前になって母親に仕送りをしてあげたいと思っていた。
■森進一
□私生活
・好物…寿司。中華料理。
・嫌いな食べ物…タイ料理。
・得意料理…寿司(自分で握る)。カレーライス。チャーハン。
・65歳を過ぎてからよく自分で料理をするようになった。
・長男が出来た時に禁煙、次男が出来た時に禁酒した。
・健康法…スポーツジム。
・成功率約10%の治療を約1年受けて約30年患っていたC型肝炎が完治(=06年)。
治療中に副作用でうつ状態になり自殺する事をを2回考えた
・好きな作家…ショーペンハウエル(何度も読み返す)。
・自宅のリビングにグランドピアノがある(=15.06現在)。
・住んでいる所…東京都・渋谷(=09.12現在)。
・山中湖とハワイに別荘がある。
・いきつけ…和洋懐石「代官屋」(代官山)。
・飛行機が苦手。
・三重衝突の交通事故でムチウチ症になった(=95年)。
・母親がガス自殺(享年47=73年)。
・弟が腎臓の病気で他界(享年54、世界的に有名な循環器医だった=11年)。
・子供を厳しく躾けて育てた(礼儀、敬語など)。
門限に遅れると鍵を締めて家に入れなかった。
兄弟同士でも年上には敬語を使わせた。
寿司屋で高級なネタは食べさせなかった。
食事のマナーが悪いと食事をやり直しさせた。
・「子守進一」と異名を取るほど長男・次男の子育てに熱中した。
■森進一
□人間関係
・黒柳徹子…家族ぐるみのつきあい。
・細川たかし…友人。「兄貴」「たかし」と呼びあう仲。
よく森の自宅によく遊びに来る。
細川は「森さんが明るくなったのは僕のおかげ」と言っている。
・松山千春、郷ひろみ…友人。自宅によく遊びに来る。
・角田信朗…友人。コンサートに来てくれる。
・森光子…かわいがって貰っていた。
・小倉一郎…親戚。森の母方の曾祖母が小倉の父方の曾祖母と姉妹。
・原辰徳、森進一、二谷友里恵…子供が慶応幼稚舎の同級生。
・高橋真梨子、中本マリ…スクールメイツの同期生。
・香田晋、堺正章、鳥羽一郎、細川たかし、川中美幸、黒柳徹子、
香西かおり、小林幸子、篠原涼子、西田ひかる、森口博子
…森が主宰しているチャリティーコンサート「じゃがいもの会」に参加。
・千昌夫、五木ひろし、布施明…歌手デビュー同期生。
五木ひろしはライバル的存在。
・五木寛之…歌手生活35周年記念アルバムを全曲作詞。
・吉田拓郎…「襟裳岬」を作曲。
・大滝詠一…「冬のリヴィエラ」を作曲。
・細野晴臣…「紐育物語」を作曲。
・五木寛之…芸能生活35周年記念アルバムをプロデュース、全曲を作詞(=00年)。
・シャ乱Q…「夜の無言(しじま)」をはたけが作曲、シャ乱Qがプロデュース。
・長渕剛…シングル「狼たちの遠吠え」を作詞作曲、紅白歌合戦で共演(=03年)。
・猪俣公章…デビュー曲から「おふくろさん」までシングル全30曲を作曲。
・綾小路きみまろ…森進一の専属司会者を9年間務めていた。
・清水アキラ、コロッケ、山寺宏一…森のモノマネが得意。
・チャーリー石黒…師匠。時にひろわれて、内弟子になる。
・鳥越俊太郎…森のファン。
・伍代夏子…不倫交際を噂された。
プロダクションを設立して伍代をバックアップした。
・いしだあゆみ…いしだが交際宣言(=69年)。
「夜のヒットスタジオ」のコンピューター占いで「いしだの理想の恋人は森進一」と出た。
・大原麗子…女優。80.06.25結婚、84年6月離婚。
・森昌子…歌手。86.10.01高輪プリンスホテルで挙式、05.03.28離婚。11歳年下。
披露宴のテレビ中継の視聴率は45.3%。
・子供:
長男…森内貴寛。88.04.17誕生。ONE OK ROCKのボーカル。
次男…智寛。89年6月誕生。テレビ東京社員(=12.09現在)。
三男…寛樹。94年2月誕生。MY FIRST STORYのボーカル。
■森進一
□エピソードなど
・中学卒業後、寿司屋の板前を目指して大阪の寿司屋に集団就職、
少ない給料の中から家に仕送りをした。
・いったん鹿児島に戻ってキャバレーで歌手兼バンドボーイになった。
・初めてテープレコーダーに録音された自分の声を聞いた時、
あまりに変な声に聞こえたので機械が壊れている、と思った。
・テレビののど自慢番組で優勝してデビューのきっかけをつかんだ。
・無名時代、スクールメイツのメンバーだった。
・内弟子時代、レコード会社のオーディションは不合格続きだった。
・デビュー前、当時11歳の妹から来た手紙(2000円が入っていた)を読み、
「田舎に仕送りをしなくてはいけないので、駄目なら駄目とはっきり言ってくれ」
と泣きながら師匠に直段判した。
・デビュー当時、「お前の声は歌手の声じゃない」「ゲテモノ歌手」と言われた。
・デビュー曲「女のためいき」は「歌い方が扇情的だ」と放送禁止曲に指定された。
・紅白歌合戦で初の大トリを務めた時にスボンのファスナーを閉め忘れてしまった。
間奏中に白組歌手陣が囲んで教えてくれた。
・渡辺プロから独立して森音楽事務所を設立(=79年)。
・渡辺プロから独立後にしばらくの間、芸能界から干された。
・森昌子との結婚式の日に自宅に泥棒が入って貴金属類(1500万円相当)を盗まれた。
・チャリティーコンサート「じゃがいもの会」を主宰(=85年〜07年)。
23年間でのべ242組が出演。
出演はアイウエオ順、楽屋は大部屋、ノーギャラ。
10周年の94年に外務大臣賞を受賞。
・芸能生活30周年記念コンサートに1万人を無料招待(=95年)。
・長野五輪国際親善大使(=98年)。
・カンボジアに学校を建てた(=98年)。
・カンボジアで地雷除去作業を実際に体験。
・森昌子とのデュエット曲「ふ・た・り物語」をリリース(=02年)。
・新潟県中越地震の被災地への義援金500万円を新潟県に贈った(=05年)。
・代表曲「おふくろさん」に無断で台詞を加えたとして
作詞家の川内康範から抗議されてトラブルに発展(=07年)。
・著書:
「渚にて」(=90年)
エッセイ集「晴れた日に」(=05年)
主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊文春 00年4月6日号
日刊スポーツ 11年10月2日号
□陳腐化
・森昌子との初のジョイントコンサートに長男・森内貴寛がゲスト出演(=02年)。
・森昌子が買物途中に貧血で意識を失って倒れて救急車で運ばれた(=04年)。
・森昌子が更年期障害の薬により意識を失って救急車で運ばれて入院(=05年)。