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森田芳光

■森田芳光(もりた よしみつ)

□肩書き
 映画監督

□生年
 1950(昭和25)01.25(水瓶座)

□没年
 2011(平成23)12.20(享年61)

□出身地
 東京都渋谷区円山町

□出身校
 鉢山幼稚園
 大向小学校
 松濤中学校
 日大桜丘高校
 日本大学芸術学部放送学科卒業

□略歴(満年齢)
 83年(33歳)映画「家族ゲーム」監督・脚本。
 84年(34歳)映画「メイン・テーマ」監督・脚本。
 06年(56歳)映画「間宮兄弟」監督・脚本。
 ※他の主な監督作品:
  映画「の・ようなもの」「そろばんづく」「キッチン」

□趣味
 競馬

■森田芳光

□幼少時代〜
・実家は円山町の料亭「銀月」。
 隣はソープランド、向いにラブホテルがあった。
・父親は保険会社勤務。
・ひとりっ子。
・両親は仲が良くなかった。
 親子3人で遊びに行った事がなかった。
 親子3人で写っている写真は1枚もない。
・父親と一緒によく映画を観に行った。
・両親は子育てに関して放任主義。
 褒められた事も叱られた事もなかった。
・祖母と仲が良かった。
 花札や馬券の買い方を教えて貰った。
 一緒に歌舞伎や新国劇を観劇。
・帳場で祖母や芸者衆と一緒にテレビを見た。
 芸者衆から「若旦那」と呼ばれた。
・自分の部屋の廊下の向こうの部屋は料亭の客室だった。
・習いごと…日舞。バレエ。
・小学校時代、学芸会のクラス代表に選ばれたが、
 インフルエンザで本番が中止になった。
・小学校時代、ドラマ「事件記者」を見てジャーナリストに憧れた。
・中3の時、混線電話で知り合った女の子をデートに誘った。
・大学時代、全共闘の大学封鎖で休講が続き、
 暇つぶしに自主映画を撮り始めた。
・大学時代、全共闘に体験参加、3日で嫌になってやめた。

■森田芳光

□私生活
・好きな音楽…ジャズ。
・若い頃は競馬で生活費を稼いでいた。
・両親は離婚。

■森田芳光

□人間関係
・石井岳龍(石井聰亙)、井筒和幸、大森一樹、
 黒沢清、周防正行、森田芳光
 …自主映画出身の映画監督。
・大友克洋…大好きな漫画家。
 自主映画上映会のポスターを大友にノーギャラで描いて貰った。
・宇多丸…森田芳光のファン。
 著書「森田芳光全映画」出版(=21年)。

□エピソードなど
・小学校時代、舞台やドラマに子役として出演。
 東宝芸能学校に通っていた。
 子役の縦社会になじめなかった。
・大学卒業後、コピーライター養成講座、大宅壮一マスコミ塾に通った。
・大学卒業後、自主映画を撮り続けた。
・映画館(ギンレイホール)でアルバイト。
 モギリ、コーヒー販売、ポスター受領、清掃など。
 映写もやりたかったが教えて貰えなかった。
・自主映画「ライブイン茅ヶ崎」がぴあフィルムフェスティバル入選(=78年)。
・30歳の時、世間の信用を得る為に事務所「ニューズコーポレーション」を設立。

主要参考媒体
週刊文春 07年10月11日号

森田芳光 1950.01.25 – 2011.12.20(享年61)家族ゲーム
森田芳光 1950.01.25 – 2011.12.20(享年61)東京都渋谷区円山町出身
森田芳光 1950.01.25 – 2011.12.20(享年61)日本大学芸術学部放送学科卒業

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