■森昌子(もり まさこ)
□肩書き
歌手 俳優
□本名
森田昌子
□生年
1958(昭和33)10.13(天秤座/A型)
□出身地
栃木県宇都宮市
□出身校
宇都宮市立細谷小学校→港区立御田小学校
港区立港中学校
堀越学園高校
□略歴(満年齢)
72年(14歳)「せんせい」で歌手デビュー。
73年(15歳)紅白歌合戦初出場(当時の最年少初出場)。
83年(25歳)「越冬つばめ」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞。
※他の主なシングル:
「なみだの桟橋」「彼岸花」「哀しみ本線日本海」
※主な出演:
舞台 「コメディ 水戸黄門」
映画 「花の高2トリオ 初恋時代」「どんぐりッ子」「お嫁にゆきます」
ドラマ「風と雲と虹と」「想い出づくり。」「どんど晴れ」
テレビ「オールスターものまね王座決定戦」「ガキの使いやあらへんで!!」
ラジオ「森昌子 心の旅」「森昌子のあったかライフ」
CM 「タケダ ベンザシリーズ」「スズキ ユーディーミニ」「カルビー おさつスナック」
□趣味
読書 映画観賞 ゴルフ
■森昌子
□幼少時代〜
・父親はフタバ食品のサラリーマン(アイスクリーム工場勤務)→鉄工所勤務。
・父親は若い頃に慰問バンドを結成して病院や老人ホームで歌っていた。
・父親はNHKのど自慢で優勝した事がある。
・母親は和裁・洋裁をしていた。
・1ヵ月の早産で未熟児として生まれた。
母親は医者に「出産は危険」と言われたが「命にかえても産む」と言い張った。
・ひとりっ子。
・家は裕福ではなかった。
・家は裕福ではなかった。
6畳ひとまの風呂なしアパート(トイレは外)に家族3人で住んでいた。
・ものごころつく前から父親に言われるままに毎週歌謡曲を覚えて父親の前で歌った。
父親が歌うのを聴いてワンフレーズごとに覚えた。
歌を覚えるのは苦痛以外の何物でもなかった。
歌を覚えると父親がお土産にアイスクリームを買ってきてくれた。
晴れた日曜日には父親の自転車の荷台に乗ってデュエットしながら町内を一周した。
・母親は心臓弁膜症を患っていた。
昌子を出産後に3年間入院、退院後も寝ている事が多かった。
保育園から帰ると母親に薬を飲ませて夕食の支度を手伝った。
・母親が洋服を作ってくれた。
・習いごと…そろばん。
・子供の頃、引っ込み思案な性格で友達がいなかった。
・小学校時代、1年間毎朝牛乳を飲んだふりをしていた(裏の畑に捨てた)。
・小学校時代、1日おきに駄菓子屋に通って1円の煎餅を10枚買った。
・小4の時、父親が転勤を断ってフタバ食品を辞めて叔母が嫁いだ鉄工所に転職、
一家で東京に引っ越した。
・東京の小学校に転校後、勉強に付いていけず、友達もできなかった。
ストレスで円形脱毛症になって登校拒否気味になった。
校門のそばの電柱の陰に下校時間まで隠れていた(お腹がすくとその辺の野草を食べた)。
担任の先生のアドバイスで放課後に校庭を走って性格が明るくなって友達も出来た。
・小学校時代、短距離走が得意だった。
小1から小3まで運動会でリレーのアンカー。
小5の時に港区の連合運動会で優勝。
将来体育教師になりたいと思っていた。
・中1の時、陸上部がなかったのでバレーボール部に入部。
男子部のキャプテンに憧れていた。
・事務所に頼み込んで2日間休みを貰って中学校の修学旅行に参加した。
観光地で他校の生徒に見つかりそうになるとクラスメイトが囲んでガードしてくれた。
※高校の修学旅行に雑誌の取材が同行した。
・高校時代3年間休みが1日もなかった。
・堀越学園高校の修学旅行は飛行機をチャーターして取材スタッフ同行だった。
・高3の時、仕事での早退と欠席による単位不足を補う為に
毎日朝6時に登校して授業が始まるまでの2時間でレポートを書いた。
・高3の時、歌手を辞めて大学に行って教職を取る事を真剣に考えた。
■森昌子
□私生活
・好物…おにぎり。麺類。うどん(大好物、毎日うどんでもOK)。
タマゴサンド。イカリング(大好物)。醤油系の煎餅。
・嫌いな食べ物…肉。生魚。生クリーム。
・食べ物の好き嫌いが多い。
以前は肉を一切食べなかった。
50代後半で初めて焼肉やとんかつを食べた。
・好きな酒…麦焼酎。
・健康法…水をたくさん飲む。
・持病…低血圧。貧血。過呼吸症候群。
・買物途中に貧血で意識を失って倒れて救急車で運ばれた(=04年)。
・更年期障害の薬の影響で意識を失って救急車で運ばれて入院(=05年)。
・急性肺炎で緊急入院してコンサートを中止(=07年)。
・子宮筋腫で子宮を全摘出する手術を受けた(=10年)。
・重い更年期障害、更年期うつ病を患った。
・眠れないと体調を崩す。安定剤を常用している。
・指と手首の関節が柔らかい。
・13歳から21歳頃までの事をあまり覚えていない。
・韓国ドラマが大好き。TSUTAYAの韓国コーナーを制覇。
「冬のソナタ」はブームになる前からチェックしていた。好きな俳優はウォンビン。
渋谷で偶然見かけたユン・ソクホ監督に声をかけて握手をして貰った。
特に好きなドラマは「コッチ」「秋の童話」「ごめん、愛してる」。
・テレビショッピングが好き。制限時間を示されるとつい電話してしまう。
・化粧をするのが嫌い。
・宝石や貴金属類に興味がない。
・掃除が大好き。深夜の通販番組を見て掃除用品を多数購入。
・住んでいる所…3LDKの賃貸マンション(=06.04現在)。
・いきつけ…
和洋懐石「代官屋」(代官山)。
ジャスコ(ポイントカードを利用)。
・50歳を過ぎてから初めてひとりでコンビニに行った。
・3回練習した後の初ラウンドで108で廻った。
・モノマネしながらひとりカラオケをした事がある。
・点数カラオケで自分の歌を歌って65点だった事がある。
・家の中の何もない平らな所でよく転ぶ。
転んで肩を脱臼した事がある。
両手に持った洗濯物をかばってタンスに顔を強打した事がある。
両手に荷物を持った状態で転んで胸を打って肋骨を骨折した事がある。
顔から転んで顔面がパンパンに腫れた事がある。
・自宅のドアにはさまってアゴが外れた事がある。
・19歳の時、ひとりでアメリカに行ってサンディエゴの友人の家に約1ヵ月滞在した。
・よく人から「天然」と言われる。
・ガラケーを愛用(=18.04現在)。
・歌手復帰を表明した日の深夜に父親が肝不全で他界(享年75=06年)。
※父親の命日に引退会見(=19.03.28)
・母親と同居中(=17.02現在)。
・子供を厳しく躾けて育てた(礼儀、敬語など)。
門限に遅れると鍵を締めて家に入れなかった。
兄弟同士でも年上には敬語を使わせた。
寿司屋で高級なネタは食べさせなかった。
食事のマナーが悪いと食事をやり直しさせた。
・毎年母の日と誕生日に子供が手作りのカードをくれた。
・子供3人を全員18歳で自立させた。
・長男はジャニーズJr.の一員として活動していた。
・森進一は長男・次男の子育てに積極的だった。
自らを「子守進一」と呼んでいた。
・離婚原因のひとつは子供の教育方針の違い。
■森昌子
□人間関係
・山口百恵、桜田淳子…友人。同学年。メールで連絡を取り合う。
デビュー当時に3人で「中3トリオ」と呼ばれた。
77年春に日本武道館で解散コンサート。
デビュー前の山口と約1ヵ月同居(一緒に入浴、シングルベッドで一緒に寝た)。
3人だけで話す時に早口の「バビ語」を使っていた(若者の流行になった)。
3人の中で山口がリーダー格だった。
・森光子…友人。
・八代亜紀…共演した時に八代のおっぱい触る(若い頃からやり続けている)。
・伊丹幸雄、あおい健(田中健)、郷ひろみ、西城秀樹、三善英史、
麻丘めぐみ、松任谷由実、チェリッシュ…歌手デビュー同期生。
・藤正樹、城みちる、新沼謙治、渋谷哲平、
桜田淳子、山口百恵、伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、黒木真由美、
神保美喜、清水由貴子、ピンク・レディー、石野真子、井上望、
柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、吹田明日香、松尾久美子、松本明子、
太田貴子、高橋美枝、岡田有希子…「スター誕生!」出身(男女別合格順)。
・岩崎宏美、池上季実子…堀越学園高校の同級生。岩崎と同じクラス。
・和田アキ子、榊原郁恵…同じ事務所。
・円弘志…「越冬つばめ」を作曲(=83年)。
・秋川雅史…近所に住んでいる(=10.06現在)。
・美空ひばり…高1の頃に年間約200日美空の自宅に泊めて貰った。
歌のレッスンを受けてひとつのベッドで一緒に寝た。
着替えや洗面用具を置いてあった。
美空から様々な事を教えて貰ってプロ意識が芽生えた。
「まちゃこ」「お姉ちゃま」と呼びあった。
・村野武範…デビュー当時、村野に憧れていた。
・中居正広…憧れている芸能人。
・広瀬光治…森昌子の大ファンだった。
・堀威夫…所属事務所元社長(歌手デビュー時の社長)。
06年の再デビュー時に相談に乗って貰った。
・小池幸子…20歳の頃からの親友。家族ぐるみのつきあい。
いきつけのブティック経営(=10.09現在)。
※「ウチくる!?」に出演(=10年10月3日放送分)
・森進一…86.10.01新高輪プリンスホテルで挙式、05.03.28離婚。11歳年上。
披露宴のテレビ中継の視聴率は45.3%。
離婚後子供3人分の養育費(ひとり当たり月13万円)を貰っている。
・子供:
長男…森内貴寛。88.04.17誕生。ONE OK ROCKのボーカル。
次男…智寛。89年6月誕生。テレビ東京社員(=12.09現在)。
三男…寛樹。94年2月誕生。MY FIRST STORYのボーカル。
■森昌子
□エピソードなど
・オーディション番組「スター誕生!」初代グランドチャンピオン(=71年)。
歌手に興味はなかったが叔母に誘われて既製服の洋服に釣られて予選を受けた。
都はるみの「涙の連絡船」を歌って合格した。
・学業優先という条件でホリプロを選んだ。
・デビューに際して父親に「高校卒業まではダメ」と猛反対された。
ホリプロ社長・堀威夫が自ら自宅まで説得に来た。
・デビュー前に学園三部作3曲が完成していた。
※「せんせい」「同級生」「中学三年生」
・デビュー曲のジャケットは四谷の土手で撮影した。
・父親がダメ出しをしてデビュー曲を再レコーディングした。
父親がスタジオまでついて来て歌唱指導をした。
・デビュー当時のキャッチフレーズは「あなたのクラスメート」。
・デビュー当時のショートカットの髪型が話題になった。
・デビュー当時の衣装は洋服も和服も母親の手作りだった。
・事務所に頼み込んで2日間休みを貰って中学校の修学旅行に参加した。
・収録の合間によく原宿のトラッドショップ「バークレー」で買物をした。
・地方のコンサートの合間にひとりで名所見物をするのが好きだった。
会場に戻るのが遅れて2回目の開始を遅らせた事があった。
・イタズラが好きだった。
バックバンドの譜面を隠した。
スタッフの布団にコンニャクを入れた。
生放送の歌番組で桜田淳子、山口百恵と一緒に本番直前までトイレに隠れた。
・大河ドラマ「風と雲と虹と」に出演(=76年)。
・新宿コマで史上最年少座長として1ヵ月公演(=77年)。
・ストレスで声が出なくなった事がある。
・前日に一日中曲を聴いて自分のモノにした上でレコーディングに挑む。
本番では1回か2回しか歌わない。
・映画やドラマの仕事の時は自分の台詞だけでなく台本をまるごと全部覚える。
・ドラマ「想い出づくり」に主演(=81年)。
・紅白歌合戦で初の紅組トリ(=81年)。
・NHK「みんなのうた」で「海へ来て」を歌った(=84年)。
・紅白歌合戦で紅組司会と2回目のトリ(=85年)。
美空ひばり以来史上2人目の司会&トリ。
鈴木健二アナウンサーに肩を抱かれながら泣きながら歌った。
・森進一と結婚して歌手活動を休止(=86年〜)。
・長野五輪国際親善大使を務めた(=98年)。
・16年ぶりに紅白歌合戦に出場(=01年)。
・森進一との初のジョイントコンサートに長男・森内貴寛がゲスト出演(=02年)。
・森進一との初のデュエット曲「ふ・た・り物語」をリリース(=02年)。
・自伝エッセイ集「明日へ」を出版(幻冬舎=06年)。
・20年ぶりの新曲「バラ色の未来」をリリース(=06年)。
・再デビューに際して初めてボイトレを受け、新しいサインを考案して、名刺を作った。
若い頃のように声が出るようになるまで再デビューから約8年かかった。
・池袋サンシャイン噴水広場で歌手生活初のキャンペーンライブを行った(=06年)。
・朝ドラ「どんど晴れ」に出演(25年ぶりのドラマ出演=07年)。
・コスプレ風の衣装が好き。コンサートでセーラー服、バスガイドの衣装を着た事がある。
・コンサートの1部は「ま〜ちゃん」というキャラでコントと昭和歌謡(約1時間)。
「ま〜ちゃん」は「森昌子」の8歳の姪という設定。
・仕事をセルフプロデュースする。
・とちぎ未来大使(=14年)。
・モノマネのレパートリー:
アグネス・チャン。浅田美代子。あべ静江。天地真理。
桜田淳子。瀬川瑛子。中島みゆき。仲間由紀恵。
松任谷由実。美空ひばり。山口百恵。森進一。
・歌っている最中に外側にズレた膝を歌いながら自分で叩いて元の位置に戻した事がある。
・テレビ「ダウンタウンなう」のナレーションを担当。
・年間約100本全国各地でコンサート。
・年内のコンサート活動を最後に芸能界を引退する事を公式サイトで発表(=19.03.25)。
主要参考媒体
日刊スポーツ 06年3月28日号
明日へ 06年発行
森昌子 1958.10.13 歌手
森昌子 1958.10.13 栃木県宇都宮市
森昌子 1958.10.13 想い出づくり
森昌子 1958.10.13 女性芸能人(1980年代)
森昌子 1958.10.13 女性芸能人(1970年代)若い頃
森昌子 1958.10.13 スター誕生