■桂文枝(かつら ぶんし)(6代目)
□肩書き
落語家
□本名
河村静也
□旧芸名
桂三枝
□生年
1943(昭和18)07.16(蟹座/O型)
□出身地
大阪府堺市
□出身校
大阪市立北恩加島小学校
大阪市立市岡中学校
大阪市立市岡商業高校
関西大学商学部卒業
□略歴
69年(26歳)テレビ「ヤングおー!おー!」司会。
71年(28歳)テレビ「新婚さんいらっしゃい!」司会。
74年(31歳)テレビ「パンチDEデート」司会。
※他の主な出演:
舞台 「出囃子女房」
映画 「あゝ独身」「帝都物語」「ゴルフ夜明け前」「帝都物語」
ドラマ「和っこの金メダル」「ほんまもん」「ナニワ金融道」
テレビ「三枝の爆笑美女対談」「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」「クイズDEデート」
CM 「象印マホービン」「資生堂 uno」「キリンビール タルチョ」
□趣味
ウクレレ 絵画 パソコン ゲーム 将棋 麻雀 競馬
オペラ観劇 宝塚観劇 プロ野球観戦 プロレス観戦
水族館巡り 米作り
□特技
中国語 社交ダンス
□資格・免許
将棋アマ初段
□資格
小型4級船舶
■桂文枝
□幼少時代〜
・ひとりっ子。
・0歳の時、銀行員だった父親が病死(戦争に行く前の訓練中に他界)。
・母親は食事のマナーに厳しかった。
・子供の頃、母親が材木工場や旅館で住み込みで働いていた。
・子供の頃、遊びに来た友人を帰さない為に様々な新しい遊びを考案。
・小1の時、母親と一緒に住んでいた所が火事になって叔父の家に預けられた。
その後親戚の家を転々とした。嫌われないように人の顔色を伺う子供だった。
・小学校時代、材木の下じきになって腕を大ケガした。
・小学校時代、週に1回母親に会って外食でいいモノを食べると毎回必ずお腹を壊した。
普段の食生活が貧しかったので体が異変を感じたらしい。
・小学校時代、スポーツが大の苦手だった。
運動会の徒競走はいつもビリ、野球のキャッチボールが出来なかった。
・小学校時代、ラジオでお笑い番組を聞くのが大好きだった。
・小6の時、生徒会長。
・中1の時、母親が再婚。
・中学時代、成績はトップクラス。
・中学時代、コーラス部。
・高校時代、何事にも悩んでしまう性格を自分で意識して変えた。
・高校時代、演劇部(部長)。
1年先輩のレツゴー正児の影響を受けて自らネタを書いて漫才をやった。
・高校卒業後半年間、郵便局の簡易保健課に勤め、夜は予備校に通う。
郵便局の仕事は毎 日同じ事の繰り返しで、サラリーマンには向いていないと痛感。
・大学時代、様々なアルバイトで学費を稼いだ。
ビアガーデン、デパートの洋酒売り場、デパートの食品売り場、など。
・大学時代、講義に全然出席せず、後輩に試験やレポートをやらせた。
・大学時代、本命の彼女の他に常に何人かの遊び相手がいた。
・大学1年の時、落語研究会・落語大学を設立。高座名は浪漫亭ちっく。
漫才コンビ・港屋フラレ・福島ステラレを結成して学園祭で好評を得た。
・大学4年の時、東西学生落語会を企画。
■桂文枝
□私生活
・好物…かやくごはん。おじやうどん。うどん(大好物)。
なめこのみそ汁(2日に1回)。チーズ入りチキンカツ。
魚。さばの塩焼き(大好物)。あわびのキモあえ。
温泉玉子。じゅんさい。寒天。なめ茸。
お茶(仕事部屋に何十種類ものお茶を常備)。
・嫌いな食べ物…ナスの浅漬け。タコ。
・得意料理…鍋物(鳥すき、水炊き、ちゃんこ鍋など)。ぶり大根(週に3回作る)。
・健康のため食事には気を使う。
油分をなるべく取らない。21:00以降は食べない。
仕事部屋にいる時は弟子に料理をして貰って魚、納豆、豆腐、もずくを摂る。
・自分流のアレンジを加えて料理を作るのが好き。
・タバコを吸わない。
・健康法…水中ウォーキング。ウォーキング。リカンベント(腹ばいで乗る自転車)。
・右目眼瞼下垂の手術を受けた(=21年)。
・自律神経失調症を患った事がある。
・韓国でかたつむりパックを体験した事がある。
・体毛が薄い。スネ毛がほとんどない。
・好きなアーティスト…EXILE(ライブに行く)。
・好きな映画監督…スティーブン・スピルバーグ。
・テレビに出ている自分を見るのが嫌い。
・基本的に新しもの好き。
・メモ魔。気になった事は全てiphoneに記録する。
・住んでいる所…大阪府池田市(=01.06現在)。
・いきつけ…
イタリア料理「レシーナ」(大阪)。
割烹「大黒」(大阪・道頓堀)。
「松葉家」(大阪・南船場)。
・中国語の個人レッスンを受けた事がある。
・ボクシングジムに通った事がある。
・運転免許を持っていない(=01.09現在)。
・夜の道頓堀川をボートやカヌーで下って遊ぶ。
・UFOキャッチャーが大好き。多い時は週に3〜4回行く。
仕事部屋のマンションの一室に戦利品のぬいぐるみがたくさんある。
・ホテルに泊まる時はまず最初に避難経路を自分の足で確認する。
・競馬が好き。
自分で語呂あわせなどから考えて穴狙いで買うので当たると大きい。
・淡路島が大好き。
・熱烈な宝塚ファン。中3の頃から観ている。
宝塚のファンクラブ・愛宝会の会員。
・好きな言葉は「夢から始まる」。
・やりたいことを多数考えて実現に向けて努力する(そのうちひとつでも実現すれば幸せ)。
・根は恥ずかしがり屋で赤面症。舞台に立つとひらきなおれる。
・LINEをやっている(=17.04現在)。
・楽屋でよく将棋をさす。15分で5局という早い将棋、相手が長考すると怒る。
・弟子を相手にプロレスごっこをする。
・宴会でゲームを考えて音頭を取って皆を喜ばせるのが好き。
・家族で海外旅行に行く時は自分はファーストクラスで家族はエコノミー。
・妻が他界した翌日に母親が他界(母親は享年99=21年1月)。
■桂文枝
□人間関係
・笑福亭鶴瓶…親友。
・桂三度(世界のナベアツ)…弟子。
・笑福亭仁鶴、月亭可朝…3人で「若手三羽ガラス」として売り出された。
・明石家さんま、桂文珍、島田紳助…バラエティ「ヤングOH! OH!」で売り出した。
・関根勤…文枝は「ラビット関根」という芸名の名付け親。
・西川きよし…バラエティ「パンチDEデート」の司会で長年コンビを組んだ。
西川の姉・節子は中3の時のクラスメート。
・レツゴー正児…高校の演劇部の1年先輩。
・うつみ宮土理…同い年で同時期にデビュー。とても仲が良い。
・梓みちよ、ジョーン・シェパード、片平なぎさ、岡本夏生、渡辺美奈代、山瀬まみ
…「新婚さんいらっしゃい!」の歴代アシスタント。
・加賀まりこ…同い年で「十八年ひつじの会」の仲間。麻雀仲間。
・出光ケイ…競馬を教えて貰った(=91年頃)。
・明石家さんま…新人だったさんまを見い出した。不仲を噂されている。
・池乃めだか…三枝が「池乃めだか」という芸名を命名。
・八代亜紀…親友。デュエット曲「熱海あたりで」を出す(=91年)。
・田中直樹(ココリコ)…天体望遠鏡をプレゼントしてあげた。
・さとう珠緒…三枝の創作落語のファン。
・朝丘雪路…舞台で多数共演。学生時代に朝丘のファンだった。
・加山雄三…憧れている芸能人。
・ダウンタウン…好きなお笑いタレント。
・桂小文枝…師匠。大学4年の時に内弟子になった。
・桂三若…弟子。※「素顔が一番」に出演(=03年)
・山崎勇祐…古くからの友人。一緒にボートで遊ぶ。※「素顔が一番」に出演(=03年)
・?…個人事務所の東京支社長。雑誌「女性セブン」99.09.09発売号が「東京妻」と報じた。
・真由美…72.03.02挙式。「ヤングOH! OH!」に素人として出演して知り合った。
結婚当時19歳の女子大生。10歳年下。※21年他界(享年67)
・子供:
長男…雄宇。
長女…真衣。作曲家。
■桂文枝
□エピソードなど
・「3年で一人前になれなかったら就職する」と母親に約束して入門を許して貰った。
・入門1年目にラジオ「ヤングタウン」のDJでブレイク。
・売り出しの頃に流行語になったギャグ:
「いらっしゃ〜い」「オヨヨ」「グー」「ありゃりゃんりゃん」
・テレビ「ヤングOH! OH!」で様々なバラエティ企画を全国に流行らせた。
「あっち向いてホイ」を紹介(元は花柳界の遊び)。
「箱の中身はなんだろな」「たたいて かぶって ジャンケンポン」を考案。
・創作落語「ゴルフ夜明け前」で文化庁芸術祭大賞を受賞(=83年)。
・桂文珍らと創作落語のグループ・落語現在派を結成(=81年)。
・処女小説「ゴルフ夜明け前」を上梓(=87年)。
・映画「ゴルフ夜明け前」を脚本・監督(=87年)。
・長者番付関西タレントの部でトップ(=82〜86年、88〜92年)。
・阪神が優勝出来なかった為に丸刈りになる(=92年)。
・アニメ映画「紅の豚」に声優として出演(=92年)。
・水族館好きがこうじて鳥羽水族館の名誉館長に任命された(=93年)。
・破産した英会話教室の生徒として再発防止を求める要望書を通産大臣に提出(=98年)。
・ミニ連続ドラマ「ワンシーン」監督(=98年)。
・「桂三枝のドリーム田んぼ」をプロデュース。
・オリジナルの名刺を作成。
・アメリカ各地で現地在住の日本人を対象に落語会を開催。
・吉本興業の女子プロレスJd’の初代覆面コミッショナーを務めた。
・パソコンを使ってネタを整理。
・ここぞという大事に日は下着にふんどしを使う。
・自分のギャラや貯金額を把握していない。
・新作落語を毎月2本作る(※要確認)。
・創作落語125撰を毎月1回、3年半かけて上演(=00年〜03年)。
後世に残すために全てビデオに撮影してCD化した
・上方落語協会会長を8期15年務めた(歴代最長=03年〜)。
大阪・天満に落語専門寄席「天満天神繁昌亭」を開設(=06年)。
・母校・関西大学文学部客員教授に就任、「笑いの人間学」を担当(=05年)。
・着物、着物の帯、手拭い、扇子をたくさん所有。
・6代桂文枝を襲名(=12年)。
・フランス・パリで落語を公演(=12年)。
・弟子が19人いる(=13.01現在)。
・テレビ「新婚さんいらっしゃい!」司会を51年務めた(=71年〜22年)。
新鮮なやりとりを見せたいので殆ど打ち合わせをしない。
ゲストの回答に対するリアクションで椅子ごと倒れるのがお約束、
椅子は角を削って倒れやすい形に改造、じゅうたんの下に畳を敷いてある。
「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定された。
・自叙伝「風に戦いで」を出版(=18年)。
・創作落語の制作本数が300本に到達(=19年)。
・副業…お好み焼き「いらっしゃい亭」(神戸市)。
桂文枝 1943.07.16 落語家
桂文枝 1943.07.16 大阪府大阪市出身
桂文枝 1943.07.16 関西大学商学部卒業
桂文枝 1943.07.16 男性芸能人(1970年代)若い頃
桂文枝 1943.07.16 新婚さんいらっしゃい!