スポンサーリンク

松田丈志

■松田丈志(まつだ たけし)

□肩書き
 競泳選手(バタフライ)※16年引退

□本名
 松田丈志

□生年
 1984(昭和59)06.23(蟹座/O型)

□出身地
 宮崎県延岡市

□出身校
 東海東小学校 
 東海中学校 
 延岡学園高校 
 中京大学 
 中京大学大学院

□略歴(満年齢)
 08年(24歳)北京五輪銅メダル(200mバタフライ)。
 12年(28歳)ロンドン五輪銀メダル(男子400mメドレーリレー)。
 16年(32歳)リオ五輪銅メダル(男子800mリレー)。
 ※主な出演:
  テレビ「ごごナマ」「ぽかぽか」

□趣味
 読書 ドラム 大相撲観戦 ゴルフ サーフィン

□資格・免許
 普通自動車免許

□サイズ
 184㎝ 83㎏

■松田丈志

□幼少時代〜
・姉がいる。
・幼稚園の頃から体が大きかった。
・4歳の時、姉の影響で東海SCで水泳をはじめた。
・東海SCが練習に使う中学校のプールは屋外プール、
 冬場の練習の為にプール全体が農業用ビニールシートで覆われていた
 (「ビニールハウスプール」と呼ばれていた)。
 00年に温水施設が設置される以前は冬は水温10度以下の中で泳いでいた。
・小2の時、バルセロナ五輪の岩崎恭子(当時16歳)の金メダルを見て
 「恭子ちゃんを抜くには12歳で金メダルを取るしかない」と思った。
・小学校時代、ガキ大将だった。
・小学校時代、走るのが速かった。クラスで1位か2位だった。
・中学〜高校時代、水泳中心の生活をしていたので修学旅行に行けなかった。
・高校時代、週2〜3日ペースで公欠していたが成績優秀だった。
 普通科約60人の中で1位だった。
・高校時代、県外遠征に行くと必ずクラスメイトへのお土産を買ってきた。
・毎日練習ノートを書いた(約250冊)。

■松田丈志

□私生活
・好物…ラーメン。馬肉。ニンニク。
 コーヒー(ココナッツオイルとバターを入れて飲む)。
・酒が好き。好きな酒は日本酒、ワイン。
・健康法…マヌカハニー。
・太りやすい体質。
・アテネ五輪後に約3年かけて歯を矯正。
 矯正前は超すきっ歯だった。
・好きなミュージシャン…Mr.Children。
・好きな曲…ケツメイシ「夏の思い出」。
・いきつけ…
 「ITALIAN&OYSTER SEASON」(六本木、10年以上通っている=22.02現在)。
 「新宿ホルモン」(競泳選手御用達の店=17.06現在)。
 イタリアン「ラ・ビスポッチャ」(広尾、記念日によく行く=17.06現在)。
・遠征の時の荷物が多い。
・ゴルフは早朝スタートのスループレイが好き。
 現役引退後は月1ペースでラウンド。
・Twitterをやっている(=12.09現在)。
・プライベートでサインや写真撮影に気さくに応じる。
・中学校の同級生10人と2泊3日の熊本旅行に行った(=09年夏)。
・妻(当時交際中)とのお忍びで金沢旅行に行った時、
 北陸中日新聞一面の季節外れの夏日を伝える記事に「Tシャツ姿での観光客」として
 ふたりのツーショットカラー写真が掲載された(記者が全く気付かずに掲載)。

■松田丈志

□人間関係
・奥村幸大…友人。
・入江陵介、北島康介、藤井拓郎、松田丈志
 …ロンドン五輪男子400mメドレーリレーの出場選手。
・寺川綾…ミズノ時代の同僚。
・北口榛花…北口の水泳トレーニングを指導。
・マイケル・フェルプス…ライバル。
・平井伯昌…28歳から師事しているコーチ。
・久世由美子…4歳から28歳まで師事したコーチ。
 松田が中京大学進学時に松田を指導する為に夫や義母を残して愛知県豊田市に単身赴任。
 久世がこれまでの練習内容と泳いだ記録を書き込んだノートの数は約200冊。
 共著「自分超え 弱さを強さに変える」を出版(=12年)。
・甲斐圭祐(一般人)…友人。小学校の同級生。
・山崎洋一(一般人)…地元後援会の事務局長。「おいちゃん」と呼ぶ。
・妻…一般女性。16.09.23結婚。約2年半交際して結婚。
・子供:
 長女…えま。18.01.10誕生。

■松田丈志

□エピソードなど
・大学卒業後、ミズノに所属。
・アテネ五輪400m自由形で8位。日本人として40年ぶりの決勝進出だった。
・北京五輪200mバタフライで自身の日本新記録を大幅に更新して銅メダル。
 所属先のミズノ社ではなくスピード社の高速水着「レーザー・レーサー」を着用した。
・北京五輪の活躍で宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞。
・08年末のミズノと所属契約満了後、レオパレス21(不動産業)に所属するが、
 リーマンショックによる業績悪化で1年で契約を打ち切られた。
 毎夏恒例の高地トレーニングを資金不足で中止。
 「久世コーチとの2人同時契約」「活動拠点は延岡市の東海SC」という条件を
 譲らなかった為、スポンサー探しが難航、一時は真剣に引退を考えた。
・海外遠征費、合宿費などを含む1年間の活動費は約2000万円。
・九州でドラッグストアを展開するコスモス薬品とスポンサー契約(=10年秋)。
 同時に故郷の宮崎・延岡商工会議所の音頭で12社合同の応援スポンサー会が設立された。
・広州アジア大会200mバタフライで金メダル(初の国際大会での金メダル=10年)。
・アメリカ・フロリダ大学の水泳部(通称Gators)のトレーニングに参加(=11年)。
 ライアン・ロクテが基本練習に黙々と取り組む姿を見て帰国後に練習を一から見直した。
 泳ぐ距離を約2割増やし、ドルフィンキックを従来の4回から8回へ義務化、
 体幹を鍛える為にボクシングを始めた。
・ロンドン五輪で2種目メダル。
 200mバタフライで2大会連続で銅メダル(金メダルとの差は0.3秒だった)。
 400mメドレーリレーで銀メダル。
・ロンドン五輪400mメドレーリレーのレース直後のインタビューで
 「3人で康介さんを手ぶら(メダル無し)で帰らすわけにはいかないぞ、と話してました」
 と発言して話題になった。
・練習の節目で東海SCのプールで泳いだ。
・中学時代から毎日手書きの練習ノートを書いた(約250冊)。
・げんかつぎでスキンヘッドにする。

主要参考媒体
宮崎日日新聞 12年7月12日〜7月21日配信
日刊スポーツ 12年8月2日号
松田丈志Twitter 12年9月26日閲覧

松田丈志 1984.06.23 宮崎県延岡市
松田丈志 1984.06.23 中京大学 中京大学大学院
松田丈志 1984.06.23 五輪3大会連続メダル

タイトルとURLをコピーしました