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東海林のり子

■東海林のり子(しょうじ のりこ)

□肩書き
 アナウンサー キャスター リポーター

□所属
 ニッポン放送(57年〜70年)

□本名(旧姓)
 青羽のり子

□生年
 1934(昭和09)05.26(双子座/A型)

□出身地
 埼玉県浦和市

□出身校
 埼玉師範付属小学校 
 埼玉師範付属中学校 
 埼玉県立浦和第一女子高校 
 立教大学文学部英米文学科卒業

□略歴
 57年(23歳)アナウンサーとしてニッポン放送に入社(→70年退社)。
 79年(44歳)テレビ「3時のあなた」事件リポーター。
 95年(60歳)テレビ「パワーワイド」メイン司会。
 ※他の主な出演:
  テレビ「タイム3」「いただきます」「徹子の部屋」
  ラジオ「ベストヒットパレード」「テイチクショー」

□趣味
 映画鑑賞 音楽観賞 パチンコ

□サイズ
 175㎝

■東海林のり子

□幼少時代〜
・代々岩槻の藩士の家系。
 曾祖父が明治に浦和に出て質屋を始めた時に岩槻の屋敷の門を移した。
 その門が残る家で生まれ育った。
・4人姉妹の末っ子。長姉は約20歳年上。
・父親はおぼっちゃんで商売下手だった。
・母親はしっかり者だった。
・家に書生とお手伝いさんがいた。
・子供の頃、演歌が好きだった。近所の人にせがまれると皆の前で歌った。
・歌舞伎好きの母親の勧めで4人姉妹全員が長唄と踊りを習わされた。
 ※姉妹の1人は長じて師匠になった
・法事で人が集まると親戚のモノマネを皆の前で披露した拍手喝采を貰った。
・小学校時代、身体が弱かった。体育の授業をよく見学した。
・小学校時代、前線の兵隊向けのNHKのラジオ番組で歌を歌った。
・戦時中、浦和の家の一部を供出して北浦和に移転。
 空襲警報が鳴ると庭に掘った防空壕に入った。
・中学時代、水泳部。50m自由形で県の新記録。
・高校は県下有数の名門女子校。
・高校時代、ボート部に入るが足が太くなると言われて退部。
・高校時代、ハワイアンが大好きだった。ウクレレを練習した。
・高校時代、近所の男子校の野球部の男の子に初恋。
・高校時代、よくクラスメイトの前で落語やモノマネを披露した。
・大学時代、ESS。英語劇に出演(野際陽子と共演)。
・好きな英語を生かしてスチュワーデスになりたかったが身長が低かったので断念。

□私生活
・好物…ラーメン。
・健康法…ストレッチボード(前屈)。
・健康法オタク。体に良いと言われたもの何でも試す。
 キョーレオピン、コンフリーの葉っぱ、紅茶キノコ、
 ヨーグルトキノコ、コンニャク玉、バナバ茶、アロエなどを試した。
 アロエはベランダで栽培、生のまま食べる。
・一番の健康法は「私は元気なんだ」と信じる事だと思っている。
 風邪で熱が出て寝込んでいても仕事の為に着替えて玄関を出る時になぜか熱が下がる。
・先天性股関節脱臼で左足が右足より4㎝短い。
・刑事モノの小説が好き。
・好きな音楽…ハードロック。
・韓国ドラマが好き。
・ペット…猫(=19.05現在)。
・いきつけ…「バーガーキング」(月2回ペースで行く=17.03現在)。
・いつでも現場に駆けつけられるように近所に行く時もパンツスーツを着用。
・ロックのライブで騒ぐのがストレス解消法。
 若い女の子に混じって飛び跳ねる。小さなライブハウスにも足を運ぶ。
 多い時は週3回行く。X-JAPANの大ファン。
 仲が良いロックバンドのメンバーがたくさんいる。
 ※ミュージシャンとの対談集「東海林のり子と10人のロッカー達」を出版
・アバウトな性格。
・長男一家が同じマンションの別の部屋に住んでいる(=21.12現在)。
・長女夫婦が近所に住んでいる(=21.12現在)。
・若い頃、ダンスホールなどで夜遊びした。
・夫は結婚当初から家事をする人だった。特に料理が得意だった。

■東海林のり子

□人間関係
・東海林のり子…親友。「ノギ」「ノッコ」と呼び合う。
 大学の英語研究会ESSの1年後輩。ESSの英語劇で共演。
 大学時代によく一緒に六大学野球を観に行った
 (当時の立大野球部は長嶋茂雄が活躍した黄金時代)。
 東海林司会のテレビ「パワーワイド」に野際が準レギュラー出演。
・GACKT…友人。
・TOSHI(X-JAPAN)…コンサートの打ち上げで朝まで一緒に飲む。
・研ナオコ、徳光和夫…一緒にミュージシャンのライブに行く。
・大沢啓ニ…立教大学の1年先輩。
・長島茂雄…立教大学の1年後輩。
・及川光博…東海林は「業界内ミッチーファンクラブ」の会長。
 毎年誕生日におこづかいをあげる。
・なにわ男子、Snow Man…憧れている芸能人。
・東海林誠…61年結婚。外資系企業のサラリーマン。3歳年下。
 大学の英語研究会ESSの3学年後輩。※18年他界
・子供:
 長男…健。68年誕生。
 長女…亜紀。71年誕生。
 ※孫…小1(=19.05現在)

■東海林のり子

□エピソードなど
・小6の時、オーディションに合格して映画「そよかぜ」に出演。
 並木路子の「りんごの唄」のバックコーラスを務めた(声だけの出演)。
・ニッポン放送のアナウンサー入社試験の倍率は200倍だった。
・ニッポン放送時代、他の人は大学時代に放送研究会でキャリアを積んでいて、
 同期の中で一番下手だった。
・長男の育児に専念する為にニッポン放送を辞めてフリーになった。
・一番印象に残っている事件は浪人生が両親を金属バットで撲殺した事件。
・「おはようナイスデイ」のギャラは拘束料1日1万円、取材に出ると1件6万円。
 いつ依頼が来てもすぐ出かけられるように常にスーツを着ていた。
・阪神大震災の取材後に「これ以上の現場を見る事は今後もうないだろう」と思って、
 現場取材の仕事にひと区切りをつけた。
・セガのゲームソフト「JULY」に本人役で出演(=98年)。
・現場中継の待ち時間に暇つぶしを兼ねてリポーター仲間と「足指じゃんけん」をする。
・仕事がいきがい。89歳まで現役リポーターでいたい。
 リポート中に倒れて死んで幽体離脱して自分の死をリポートしたい。

主要参考媒体
週刊文春 99年7月15日号

東海林のり子 1934.05.26 アナウンサー リポーター
東海林のり子 1934.05.26 埼玉県浦和市
東海林のり子 1934.05.26 立教大学文学部英米文学科卒業

リポーター
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