■有森裕子(ありもり ゆうこ) □肩書き 陸上選手(マラソン)※07年引退 □本名 有森裕子 □生年 1966(昭和41)12.17(射手座/AB型) □出身地 岡山県岡山市 □出身校 岡山市立牧石小学校 岡山市立岡北中学校 私立就実高校 日本体育大学 □略歴 92年(26歳)バルセロナ五輪銀メダル。 96年(30歳)アトランタ五輪銅メダル。プロ転向宣言。 07年(41歳)プロランナー引退。 ※主な出演: テレビ「スタジオパークからこんにちは」 □趣味 絵画(イラスト) アンティークカップ収集 ショッピング □特技 英会話 □特記事項 ・五輪2大会連続メダル(バルセロナ銀、アトランタ銅) ■有森裕子 □幼少時代〜 ・父親は高校教師。 ・母親は看護学校職員。 ・兄がいる。 ・父親が家族新聞「ラ・ポルト」を作っていた。 ・先天性股間節脱臼の為に矯正バンドを着けていたので立って歩くのが遅かった。 ・山や川で遊ぶのが好きなお転婆だった。よく怪我をした。 実家の裏に小さな川が流れる山があった。 ・小学校時代、勉強しようとして机に向かうと眠くなった。 主要科目の成績は良くなかったが体育と図工だけトップクラス。 ・小学校時代、ミニバスケ(ポートボール)をやっていた。 ・小学校時代、将来体育教師になろうと思っていた。 ・小2の時、ダンプカーにはねられて右足を骨折。 ・小5の時、好きな先生が顧問だったので新設された陸上クラブに入った。 ほめ上手の先生のおかげで陸上が好きになった。 ・中学時代、陸上をやりたかったが陸上部が盛んでなかったのでバスケットボール部に入部。 試合中に一度ボールを持つとひたすらドリブルをしてゴールを目指した。 ・中学時代、毎晩自主的に走っていた。 ・中学時代、体育祭の800m走で3年連続優勝。 ・中学時代、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈が大好きだった。 部屋中にポスターを貼っていた。矢吹丈の絵を描いた。 矢吹丈を真似て猫背で歩いた。矢吹丈に似ている男の子に片思い。 ・高校は陸上の名門校。 ・高校時代、体調不調で良い記録を出せなかった(3年間補欠だった)。 貧血で半年間ドクターストップ、子供の頃の脱臼の後遺症の腱鞘炎に悩まされた。 ・日本体育大学入学試験の実技試験の成績はビリから2番目だった。 ・大学時代、1年の時に関東インカレ3000mで2位になったが、 それ以降は右足の故障に悩まされて良い記録を出せなかった。 ・大学時代、トライアスロン転向を考えて練習をするが、 無理して購入した高価な自転車を盗まれたのをきかっけに断念。 ・大学4年の時、寮を出て大家が酒屋をやっているアパートに入居。 入居条件として大家の酒屋でアルバイトをした(ビールケース2箱同時に運んだ)。 ・大学時代、教育実習を受けた。 ・学生時代、絵で賞を貰った事があった。 ■有森裕子 □私生活 ・好物…寿司。おにぎり。スープ。 チーズケーキ(若い頃は目標達成のごほうびにワンホール食べた)。 コーヒー。 ・健康法…自家製梅ジュース。スズメバチドリンク。 ウォーキング(品川から新宿まで歩く事がある)。 ・足底腱膜炎の手術を受けた(=94年)。 ・視力は0.03。 ・扁平足。 ・歯磨きが嫌い。気が向かないと磨かない。虫歯が多い。歯医者が嫌い。 ・モノを片付けるのが大好き。 ・好きなマンガ…「あしたのジョー」。 ・好きなミュージシャン…エンヤ。ホリー・コール・トリオ。 ・アンティークカップが好き。たくさん持っている。 高いモノは1個30万円(基本的に1脚だけ買う)。 高いモノも飾っておかずに普通に使う(来客に選んで貰う)。 ・ペット…熱帯魚。 ・アメリカに住んでいた。 ・カラオケの十八番…荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」。 ・父親が胃がんで他界(享年73=08年)。 ・借金問題で一時的に別居する事を釈明する記者会見で元夫がゲイだった事を明らかにした。 ・元夫と会話は普段はたいてい日本語、ケンカをする時は英語だった。 英語の方がストレートな表現が出来るのでケンカをしやすかった。 ■有森裕子 □人間関係 ・谷川真理、渡辺美里…友人。 ・松野明美…バルセロナ五輪マラソン代表の最後の1枠をめぐって争った。 ・市橋有里、鈴木博美、高橋尚子、谷川真理、千葉真子、土佐礼子、野口みずき、 弘山晴美、増田明美、松野明美…主な女子マラソン選手(引退を含む)。 ・野口みずき…アテネ五輪女子マラソン金メダル。 ・人見絹枝…28年ロス五輪の女子800m銀メダル(日本陸上界初の女子銀メダル)。 同じ岡山県出身の陸上選手として尊敬している。 ※バルセロナ五輪での銀メダルは人見以来の女子陸上のメダル ・小出義雄…リクルートの元陸上部監督。自ら売り込んで頼み込んで入社させて貰った。 リクルートに入社した秋に小出のアドバイスでマラソンに転向。 ・市原悦子、市原悦子、魚柄仁之助、高畑淳子、宅麻伸、ダンカン …マラソン観戦が好きな有名人。 ・古舘伊知郎…憧れている人。古舘のトークライブに3回行った。 ・ロザ・モタ…尊敬するマラソン選手。 ・ガブリエル・ウィルソン…学校職員。98.01.14結婚、11年7月離婚。 アメリカで婚姻届を出した。 ■有森裕子 □エピソードなど ・リクルート入社以後、男子以上の猛練習で次第に力をつけた。 ・国体予選で優勝するが登録ミスで国体に出場できなかった。 ・マラソンを走るには邪魔だったので短髪にした。 ・ドラマ「早春物語」にエキストラ出演。 ・大阪国際女子マラソン6位(当時の初マラソン日本最高記録=90年)。 ・大阪国際女子マラソンで日本記録をマークして2位(=91年)。 ・世界陸上4位(=91年)。 ・バルセロナ五輪のマラソンのエピソード: エゴロワ(金メダル)とデッドヒートを演じた。 当日の朝、洗面所でコンタクトレンズを流してしまい、右目だけコンタクトを付けて走った。 沿道のスペイン人が「アリモ」と声をかけてくれた気がして大感激したが、 実は「アニモ」だった(スペイン語で「頑張れ」)。 禁煙を約束した小出監督の気持に応える為にパンツにショートホープを縫い付けて走った。 ・足底筋膜炎によるスランプ中に自殺を真剣に考えた事があったらしい。 ・アトランタ五輪マラソンの前日は一睡もできなかった。 ・アトランタ五輪のレース直後のインタビューの発言 「メダルの色は銅ですが自分で自分をほめたいと思います」が話題になった。 ※流行語大賞に選ばれた ・プロ宣言して約2年間JOCと肖像権などの権利に関して争った。 ・マラソン当日の朝はお雑煮とカステラを食べた。 ・アメリカ・コロラド州ボルダーの英語学校に留学(=97年〜)。 ・カンボジアの地雷被害者救済の為のNPO「ハート・オブ・ゴールド」を設立(=98年)。 トレードマークをデザイン。アンコールワットのハーフマラソン大会を主宰。 ・ボストンマラソン3位(=99年)。 ・大阪国際マラソン(シドニー五輪の選考レース)で99位(=00年)。 ・著書「わたし革命」を出版(=03年)。 ・スポーツイベントを手掛ける会社ライツを設立。 ・国連人口基金親善大使に就任。 ・日本陸上競技連盟の理事に新しく就任(=07年)。 ・認定特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本の理事長に就任(=08年)。 ・多数の団体の委員、評議員、理事を務めた。 主要参考媒 スポーツ人名辞典(日外アソシエーツ) 週刊文春 00年4月6号 有森裕子 1966.12.17 岡山県岡山市出身