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平幹二朗

■平幹二朗(ひら みきじろう)

□肩書き
 俳優

□所属
 俳優座(56年〜68年)

□本名
 平幹二朗

□生年
 1933(昭和08)11.21(蟹座/B型)

□没年
 2016(平成28)10.23(享年82)

□出身地
 広島県広島市小網町

□出身校
 広島県立上下高校

□略歴(満年齢)
 63年(30歳)ドラマ「三匹の侍」主演。
 68年(35歳)舞台「ハムレット」主演。
 70年(37歳)大河ドラマ「樅の木は残った」主演。
 ※他の主な出演:
  舞台 「貸間探し」「四谷怪談」「ファウスト」「リア王」
  映画 「他人の顔」「天城越え」「帝都物語」
  ドラマ「国盗り物語」「新選組始末記」「けものみち」

□趣味
 ウォーキング

□サイズ
 180㎝ B97W87H101 靴のサイズ26㎝

■平幹二朗

□幼少時代〜
・0歳の時、父親が赤痢で他界。
・ひとりっ子。
・家は裕福ではなかった。
・小学校時代、山奥に縁故疎開して原爆被害を逃れた。
・爆心地にいた母親は偶然ビルの陰で靴紐を結び直してい
 て原爆の光線を直に受けなかった。
 ※後遺症の視力障害を手術で克服して80歳まで生きた
・子供の頃、内気で人見知りだった。
 人前で話す事ができなかった。
 答えが判っていても授業中に手を挙げて発言できなかった。
・中学時代、仲間と野球をやるよりひとりで映画を観る事が多かった。
 大ファンだった阪東妻三郎の映画をよく観た。
 近所の神社で映画の主人公になりきってひとりで遊んだ。 
 将来映画監督になりたいと思っていた。
・学生時代、数学が大の苦手だった。
・高校時代、演劇部。
 舞台「夕鶴」で福山市の演劇コンクールで優勝。

■平幹二朗

□私生活
・好物…鱧そうめん(おt取り寄せする、夏は週に1回食べる)。
・肺がんを患って以来、魚、野菜、乳製品中心の食生活。
・ヨーグルトを毎朝食べる。
・ワインが好き。ひとりでボトルを空ける。
・外ではあまり飲まない。
・健康法…初動負荷。
 ウォーキング(速いペースで世田谷区豪徳寺から浅草まで4時間で歩く、
 着替えのシャツを持参して汗を書くと途中で着替える、
 浅草で銭湯に入って1杯やって電車で帰ってくる)。
・椎間板ヘルニアで3週間入院(=79年)。 
・肺がんの手術を受けた(=87年)。
・家事を全て自分でやる。
・好きな映画…「カルメン」。
・子供の頃から洋服が好き。好きなブランドはグッチ。
・ひとり暮らし(=10.11現在)。
・住んでいる所…東京都世田谷区豪徳寺(=04.12現在)。
・人前で話すのが大の苦手。結婚式のスピーチは絶対に断る。
・長男が15歳から25歳までの約10年間は全く会わなかった。
 長男の俳優デビュー決定後に演出家に頼んで演技を鍛えて貰った。
 俳優デビュー後は頻繁に会った。

■平幹二朗

□人間関係
・ジェームス三木、藤田敏八…俳優座5期生の同期生。毎年5月5日に同期会を開催。
・蜷川幸雄…蜷川演出の舞台に多数主演して「演劇革命」と称賛された。
 ※「卒塔婆小町」「王女メディア」「近松心中物語」など
・佐久間良子…女優。70.04霊南坂教会で挙式、84年5月離婚。
・子供:※双子
 長男…平岳大。74.07.27誕生。俳優。
 長女…朋子。74年誕生。ニューヨーク在住(=03.08現在)。
 
□エピソードなど
・2回目の挑戦で俳優座養成所に合格。
・俳優座養成所浪人中、アメリカ人家庭で留守番兼飼い犬の世話のアルバイト。
 犬用に勝った肉を1/3だけ犬に与えて残り2/3をステーキにして食べた。
・舞台、映画、テレビのいずれも主役デビュー。
・他の人の部分を含めて台本全体を4〜5回声に出して読み、
 その後、自分の台詞を抜き書きして覚える。
 最後は紙に大きく書いて壁に貼って大きな声を実際に出して覚える。
 マンションの壁に防音を施してある。
・舞台「鹿鳴館」で佐久間良子と長男と共演(佐久間とは離婚後初共演=02年)。
・付き人を付けずにひとりで電車を使って仕事場に行く。
・98年に紫綬褒章、05年に旭日小綬章を受章。

主要参考媒体
週刊文春 04年12月23日号
日刊スポーツ 10年11月21日号

平幹二朗 1933.11.21 – 2016.10.23(享年82)俳優
平幹二朗 1933.11.21 – 2016.10.23(享年82)天城越え
平幹二朗 1933.11.21 – 2016.10.23(享年82)大河ドラマ主演
平幹二朗 1933.11.21 – 2016.10.23(享年82)男性芸能人(1970年代)
平幹二朗 1933.11.21 武田信玄(大河ドラマ)

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