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島倉千代子

■島倉千代子(しまくら ちよこ)

□肩書き
 歌手

□本名
 島倉千代子

□生年
 1938(昭和13)03.30(牡羊座/A型)

□没年
 2013(平成24)11.08(享年75)肝臓がん

□出身地
 東京市品川区北品川

□出身校
 東京市立城南第ニ国民学校
 品川中学校
 日本音楽学校卒業

□略歴(満年齢)
 55年(17歳)「この世の花」で歌手デビュー。
 57年(19歳)「東京だヨおっ母さん」がヒット。紅白歌合戦初出場。
 88年(50歳)「人生いろいろ」がヒット。日本レコード大賞最優秀歌唱賞。
 ※他の主な出演など:
  映画「東京の人よさようなら」「別れの茶摘歌」「からたち日記」
  楽曲「逢いたいなァあの人に」「愛のさざなみ」「からたち日記」

□趣味
 麻雀 陶芸

□特記事項
 元夫は藤本勝巳

■島倉千代子

□幼少時代〜
・父親は警察官→自営業。
・6人兄弟の四女。姉が3人、弟が2人いる。
・未熟児として生まれ、大事に育てられた。
・子供の頃、お風呂で母親が流行歌を歌ってくれた。
・小1の時、一家で長野県松本市に疎開。
・7歳の時、割れたガラス瓶の破片が左腕に突き刺さる大怪我で左腕の感覚を失った。
 血管を4本切断してあわや腕を切断という大怪我。
・左手が不自由な負い目で友達と一緒に遊ばない子供だった。
・母親と一緒に入浴して歌を歌うのが大好きだった。
・数々ののど自慢大会で優勝するが、NHKののど自慢では鐘ひとつだった。
・母親に「のど自慢大会に出る時は学校をサボっていい」と言われた。
・中学時代、アマチュアバンド・若旦那楽団に入団。
アコーディオンを弾いて歌を歌った。

■島倉千代子

□私生活
・好物…白米(大好物、おかずなしで食べられる)。
 豚肉の生姜焼き。とんかつ。餃子。キャベツ。
・嫌いな食べ物…漬け物。きゅうり。
・料理はできない。
・ストレスがたまるとたくさん食べてしまう。
・健康法…ウォーキング(ipodで音楽を聞きながらひざをしっかりあげて早足で歩く)。
 腹筋。
・どんなに不規則な生活でもしっかり食べて眠る事をこころがけている。
・年1㎏のペースで10年かけて10㎏ダイエットに成功(=97年頃)。
・肌が弱い。太陽光線アレルギー。
・人間ドックで早期発見した乳癌の手術を受けた(=93年)。
 手術前に最悪の事態を覚悟して中学時代からつけていた日記を全て燃やした。
 手術後に放射線治療の影響で声が出なくなったがボイトレをやりなおして克服した。
 手術後にリンパの影響で左手の感覚が戻ってモノを持てるようになった。
・02年に右手を骨折して右手も使いにくくなって左右のバランスが良くなった。
・ジーパンなどカジュアルな服が好き。
・いきつけ…中華「上海」(神宮前)。
・ひとりで電車に乗る事がある。
 初めて自分で乗車チケットを買った時に「往復を下さい」と言ってしまった。
・若い頃は「トラ倉」と呼ばれるほど負けん気が強かった。
・60歳の頃から他愛もない事に笑える明るい性格になった。
 それまでは子供の頃に怪我の影響でずっと暗い性格だった。
・姉・敏子が目黒川に飛び込んで自殺(=87年)。
・10代の頃からステキな人を見つけるとこっそり片思いしている。
 「一日一恋(いちにちいちれん)」と自分で呼んでいる。

■島倉千代子

□人間関係
・堀内孝雄…友人。手術前に自宅に見舞に来てくれた。
・鳥羽一郎、前川清…友人。
 乳がんで入院する際にさんざんバカ話をした後で何も言わずに強く抱きしめてくれた。
・小林幸子、坂本冬美…島倉を慕っている。
・コロッケ、山田邦子…島倉のモノマネをする。
・木村拓哉…憧れている芸能人。コンサートを最前列で観る。
・美空ひばり…憧れている芸能人(大ファン、おっかけをしていた)。同学年。
 同じレコード会社に入るが憧れの意識が大きすぎて最初はなかなか話しかけられなかった。
・守屋義人…眼科医。紙テープが目に当たった時に失明の危機を救ってくれた。
 守屋の事業が倒産した時に保証人になっていたので6億円の借金を負った
 (昼夜フル回転で働いて15年で完済)。
・田村政紀…主治医。乳がんを発見。身体の調子が悪いとすぐに相談する。
・磯尾義伸…マネージャー。元航空自衛隊。 
・大里ムネオ…アマチュアバンド・若旦那楽団のメンバー。初恋の相手。
 ※テレビ「初恋談義2004」に出演(=04年11月23日放送)
・藤本勝巳…プロ野球選手(阪神)。63年結婚、68年離婚。
 家族の猛反対を押し切って結婚するが3年で別居。
 交際中に出来た子供を3回中絶した。
 離婚に際して藤本の借金約4000万円を肩代わり。
 芸能人初の離婚記者会見を開いた。

■島倉千代子

□エピソードなど
・第3回コロムビア全国歌謡コンクールで美空ひばりの曲を歌って地区予選敗退。
 審査員に「美空ひばりはふたりはいらない」と言われた。
・母親のアドバイスで男性の歌を歌って第5回コロムビア全国歌謡コンクール優勝(=54年)。
・本名での歌手デビューは当時は珍しかった。
・新人時代、先輩歌手の楽屋のゴミを片付けていた。
・デビュー曲の「この世の花」は200万枚の大ヒット。
・デビュー当時のキャッチフレーズは「純情歌手」。
・母親はステージママで仕事場に付いて来てくれた。
・20歳の時に東京・高輪に一戸建てを購入。
・デビュー後約10年間、月1枚以上のペースでシングルをリリース。
・若い頃は仕事以外の時間は1日2〜3時間という超ハードスケジュールだった。
・過労で突然声が出なくなって伊東の友人宅に1週間滞在(失踪騒動=59年)。
・横浜のショーで観客が圧死(=60年)。
・紅白歌合戦で初の紅組トリ(=60年)。
・声が出なかった時のコンサートでは客席のファンが低音のパートを合唱してくれた。
・ファンが投げた紙テープが目に当たって眼底出血(失明危機=62年)。
・後援会事務所に爆発物が送りつけられた(草加次郎事件=62年)。
・新宿コマ初のロングラン公演(=70年)。
・がん撲滅のチャリティー活動に参加(=90年)。
・自叙伝「歌ごよみ」を出版(読売新聞社=94年)。
・歌手生活40周年記念アルバム「LOVE SONG」をリリース(=95年)。
 ※全曲自ら作詞、小田和正・吉田拓郎・南こうせつらが作曲
・ベストジーニスト賞を受賞(=99年)。
・自宅を「情報ツウ」で公開(=03年12月17日放送分)。
・過去にレコーディングした曲は1400曲以上。
・ステージでセーラー服、ヘソ出しルック、ヒップホップダンスにチャレンジ。
・よく歌詞をよく忘れる。
・知人の保証人になった事で何度も借金を負った(最大16億円)。
新宿コマ劇場にまで借金取りが押しかけてきた。
ストレスで声が出なくなって一時は自殺を考えた。
・事務所の経理を自分でチェックする為に簿記を勉強した。
・手記「島倉家これが私の遺言」を上梓(文芸社=05年)。
・コンサートで三つ編みのセーラー服姿を披露(=05年)。
・あがり性。本番直前は緊張で帰りたくなり最初の3曲を歌うまでは落ち着かない。
・振り込め詐欺被害防止特別アドバイザーに就任(=08年)。
・紅白歌合戦に通算35回出場。57年から86年まで30回連続出場。
・亡くなる3日前に自宅で最後のレコーディングを行った。
・著書…自伝「花のいのち 人を愛し、歌を愛して」(=84年)。


主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第3版)
週刊現代 20年4月25日号

島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)歌手
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)人生いろいろ
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)東京市品川区北品川出身
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)女性芸能人(1980年代)紅白8回
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)女性芸能人(1970年代)紅白トリ
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)女性芸能人(1960年代)紅白トリ
島倉千代子 1938.03.30 - 2013.11.08(享年75)女性芸能人(1950年代)

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