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岸恵子

■岸恵子(きし けいこ)

□肩書き
 俳優 作家

□所属
 松竹

□本名
 岸恵子

□生年
 1932(昭和07)08.11(獅子座/A型)

□出身地
 神奈川県横浜市神奈川区

□出身校
 横浜第一高等女学校

□略歴(満年齢)
 53年(21歳)映画「君の名は」出演。
 60年(28歳)映画「おとうと」出演。
 01年(69歳)映画「かあちゃん」主演。
 ※他の主な出演:
  映画 「女の園」「早春」「細雪」
  ドラマ「真夜中の太陽」「太閤記」「こころ」
  テレビ「ウィークエンドパリ」「ニュースステーション」「徹子の部屋」

□趣味
 料理

□特技
 フランス語

□サイズ
 161㎝

■岸恵子

□幼少時代〜
・父親は教師。
・ひとりっ子。
・12歳の時、横浜大空襲の中を濡れた布団を被って火の海の中を逃げた。
 戦闘機の機銃掃射を受けたが奇跡的に弾が当たらなかった(パイロットの顔が見えた)。
 周囲に断末魔の声をあげて焼け死んで行く人がたくさんいた。
・女学校時代、国語や歴史の勉強が好きだった。
・女学校時代、創作ダンス部。
・女学校時代、映画「美女と野獣」を観て、強烈に映画に興味を持った。

■岸恵子

□私生活
・料理が大好き。
・脳梗塞の疑いで緊急入院(=04年)。
・インフルエンザになった事がある。
・不眠症。睡眠薬を服用しても数時間しか眠れない。
・猫アレルギー。
・エッセイ集「わたしの人生アラカルト」の夜通しの執筆で視力が急速に悪化。
 一時は失明の危機があった。
・自己流の入浴法を実践。
・好きな俳優…マーロン・ブランド。
・民謡が好き。
・機械の操作が苦手。
・住んでいる所…神奈川県横浜市(=21.04現在)。
・住んでいた所…フランス・パリ(サン・ルイ島、パリで築400年の古い建物)。
 24歳から50年以上パリに住んでいた。
・日本にいてもフランスにいても疎外感を感じる。
・花火が大好き。
・ホメイニ革命下のイランを訪れて殉教者の血に染まった噴水に驚かされた。
・カード詐欺にあいかけた事がある。
・好奇心旺盛。
・決心したら即行動に移すタイプ。
・ひとり暮らし(=22.01現在)。
・お手伝いさんがいる。
・母親は90歳で他界。
・難産で長女出産後に体重が30㎏台まで落ちた。
・離婚後は長女と一緒に日本で暮らそうと思っていたが、
 当時の日本の法律では長女の日本国籍が取れなかったのでフランスに住み続けた。
・長女はシネフィル。
・長女の夫はオーストラリア人。
・孫を溺愛。
・新婚旅行で3ヵ月かけてヨーロッパを廻った。

■岸恵子

□人間関係
・有馬稲子、岸恵子、久我美子…プロダクション「にんじんくらぶ」設立者。
・草笛光子…横浜第一高等女学校創作ダンス部の1年後輩。
・アラン・ドロン、イブ・モンタン、サルトル、ボーヴォワール
 …パリの自宅に遊びに来た。
・別所哲也、緒川たまき…岸のファン。
・鶴田浩二、萩原健一…交際を噂された。
・イブ・シャンピ…映画監督。フランス人。57年結婚、75年離婚。11歳年上。
・子供:
 長女…デルフィーヌ。
 ※孫が2人いる

□エピソードなど
・友人のつてで見学に行った松竹の撮影所でスカウトされた。
・デビュー当時、研究生として主役も通行人役もやった。
・箱根の山奥で肥溜めに落ちた事がある。
・パリに住み始めた頃に最初に覚えたフランス語はお手伝いさんから習った下町言葉だった。
・日本人初の国連人口基金親善大使(=96年任命)。
・自らの小説「わりなき恋」を自らの構成・台本で戯曲化したひとり芝居に出演。
・映画「かあちゃん」で日本アカデミー最優秀主演女優賞(=01年度)。
・自伝「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」発売(岩波書店=21年)。


主要参考媒体
サンデー毎日 16年10月2日号
日刊スポーツ 19年3月10日号

岸恵子 1932.08.11 俳優
岸恵子 1932.08.11 君の名は
岸恵子 1932.08.11 神奈川県横浜市出身
岸恵子 1932.08.11 50年以上パリ在住(元夫はフランス人)
岸恵子 1932.08.11 日本アカデミー最優秀主演女優賞
岸恵子 1932.08.11 松竹(51年入社)
岸恵子 1932.08.11 沿線地図
岸恵子 1932.08.11 女性芸能人(2000年代)
岸恵子 1932.08.11 女性芸能人(1960年代)ブル主 若い頃

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