■岩下志麻(いわした しま)
□肩書き
俳優
□所属
松竹(60年〜76年)
□本名(旧姓)
岩下志麻
□生年
1941(昭和16)01.03(山羊座/A型)
□出身地
東京都中央区銀座
□出身校
私立白百合学園幼稚園
私立白百合学園小学校→武蔵野市立第三小学校
武蔵野市立第三中学校
都立武蔵高校→私立明星学園高校
成城大学文学部中退
□略歴
61年(21歳)映画「あの波の果てまで」主演。
86年(45歳)映画「極道の妻たち」主演。
87年(46歳)大河ドラマ「独眼竜政宗」出演。
※他の主な出演:
映画 「秋刀魚の味」「五瓣の椿」「はなれ瞽女おりん」
ドラマ「早春スケッチブック」「葵 徳川三代」「本家のヨメ」
テレビ「いい旅 夢気分」「ボクらの時代」「徹子の部屋」
CM 「日本メナード化粧品」「象印マホービン」「日清食品 ごんぶと」
□趣味
パソコン 陶芸 麻雀 散歩 旅行
ゴルフ ジョギング
□特技
着物デザイン
□特記事項
夫は篠田正浩
■岩下志麻
□幼少時代〜
・父親は新劇俳優の野々村潔。
・母親は新劇俳優の山岸美代子。
・弟がいる。
・3歳の時、ハシカと肺炎を併発して死にかけた。
呼吸が止まって医者が臨終を宣告したが何故か突然息を吹き返した。
・子供の頃、海のすぐそばに住んでいた。
夏は毎日のように海で遊んだ(何度かおぼれかけた)。
・子供の頃、内気な性格だった。
・子供の頃、肉も魚も嫌いな偏食だった。
・小学校時代、映画の登場人物の真似をして家族を笑わせていた。
・小4の時、吉祥寺に引っ越した。
・中学時代、成績優秀&スポーツ万能(生徒会長で野球部のエース)の同級生に初恋。
ラブレターを貰って手紙のやりとりを何度かした。
・中学時代、新聞部と家庭科部。
・高校時代、成績は学年1位。
・高2の時、小児リウマチで長期入院。
退院後は休学して自宅療養。
・将来精神科医になりたいと思っていた。
■岩下志麻
□私生活
・好物…豆腐(毎日食べる)。ちりめん山椒。トマト(大好物)。
・嫌いな食べ物…イカ。タコ。イクラ。
・健康法…ストレッチ。ヨガ。気功。太極拳。
・胆石を取る腹腔鏡手術を受けた(=17年)。
・猛暑が原因で30代から患っていた持病の胆石が悪化(=04年)。
※出演予定のドラマ「マザー&ラヴァー」を降番
・視力0.01。
黄色いおしぼりをバナナと間違えた事がある。
タクシーと思ってパトカーを止めた事がある。
5m離れると人の見分けがつかない。
どこか見覚えがあると思って会釈をしたら父親だった。
・神経質。物音があると眠れない。
・家事はお手伝いさんまかせ。
食事は献立表を作って渡すだけ。
夫が出した結婚の条件は「家事は一切やらないこと」だった。
熱い鍋を持とうとして夫に「手を火傷したらどうするんだ」と怒られた事がある。
・高所恐怖症。飛行機が大の苦手。
・スマホが大好き。毎晩ニュースをチェックする。
・65歳頃から陶芸教室に通っている(=14.01現在)。
・お金の管理は弟まかせ。自分の収入を知らない。
・きつい性格に見られがちだが実はのんびり屋。
ひとりでボンヤリするのが好き。
夫はせっかちなのでゴルフや麻雀を一緒にやると必ずケンカになる。
・役柄を私生活にも持ち込んでしまう事がある。
長女の出産で休養後、映画の台本を読み始めたとたんに母乳が止まった。
継子を殺す役の映画「鬼畜」の撮影中に新幹線で騒ぐ子供を「うるせぇぞ」と怒った。
・若い頃は霊感が強かった。
ロケ先の旅館でよく幽霊を見た。
丹波哲郎に弟子にしたいと言われた事があった。
長女を出産後に鈍った。
・スマホを愛用。
移動中、美容院のセット中など暇さえあればLINEを送る。
語尾に「よん」「ざんす」を付ける。絵文字を使う。
スマホでよく写真を撮る(写真はパソコンに取り込みんで整理)。
※LINEスタンプを作成
・母親は70代で脳梗塞を患って約20年車椅子生活だった。
・長女の学校行事にきちんと参加した。
・孫に「志麻ちゃん」と呼ばせる。
・夫と交際当時はマスコミがうるさくなかったのでオープンにデートした。
・夫の前ではなるべく着物を着る(夫は着物が大好き)。
■岩下志麻
□人間関係
・佐藤友美…親友。よく長電話。一緒にコンサート、旅行。
・十朱幸代…友人。若い頃からの仲。ドラマ「バス通り裏」で共演。
お互いの家に遊びに行った事がある。同じ体操教室に通っていた。
「桜の木に下で」で映画初共演(=89年)。
・小山明子…友人。一緒に食事。
・ビビアン・スー…メル友。
・YOU…岩下のモノマネができる。
・田丸麻紀、松田純…岩下を女優として目標にしている。
・松岡昌宏…岩下のファン。
・候孝賢(ホウ・シャオシェン)…台湾の映画監督。昔から岩下の大ファン。
15歳の時に映画「あの波の果てまで」を見て感動して以来、
好きになる女性は全てその映画の岩下のイメージを引きずっているらしい。
・中村万沙子(旧姓=池田)…中学時代の同級生。
・河原崎長一郎…いとこ。子供の頃に兄のように慕っていた。
・岩下亮…弟。俳優。
・郷ひろみ…映画で多数共演。交際を噂された。
・篠田正浩…67.03.03京都大徳寺高桐院で挙式。結婚前に約2年間同棲。
岩下志麻の松竹入社第1作「乾いた湖」を監督(=60年)。
・子供:
長女…舞。73年6月誕生。
※孫が2人いる(男児2人=21.12現在)
■岩下志麻
□エピソードなど
・父親の知人の紹介でドラマ「バス通り裏」に十朱幸代の友人役で出演(=58年)。
ドラマ「バス通り裏」は生放送だった。
・成城大学進学後、スカウトされてアルバイト気分で松竹と契約。
※60年から76年まで在籍
・松竹時代のニックネームは「駆けずのお志麻」
(何があっても落ち着いていて走らなかった為)。
・映画「わが恋の旅路」でブルーリボン賞新人賞、製作者協会新人賞、エランドール賞。
・小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」でNGを80回出した。
・映画製作会社・表現社を設立(=67年)。
・映画「五瓣の椿」に出演して演技の面白さが判って女優を続けていく事を決意した。
それまでは毎日3本の映画をかけもちで、
ただ仕事を消化するだけだったが、
この作品は長時間をかけて本読みや立ち稽古をした。
・若い頃、映画になりそうな企画を自ら持ち込んでいた。
・夫が監督した映画に多数出演。
・映画「はなれ瞽女おりん」の役作りで約半年間三味線を練習。
・映画「はなれ瞽女おりん」で第1回日本アカデミー主演女優賞(=77年)。
・映画「極道の妻たち」に出演中、その筋の本物の男性によく最敬礼された。
・小泉清子きものコレクションにショーモデルとして第1回から30年連続で出演。
・2時間ドラマに多数出演。
・エキセトリックな役を演じるのが好き。
・「仕事は量より質」だと思っている。
・着物ブランド「きもの志麻」のデザインを担当(=99年〜)。
・メナード化粧品の28年間の専属CM契約は世界最長記録(ギネス認定記録=00年)。
・紫綬褒章受章(=04年)。
・旭日小綬章受章(=12年)。
・ドラマ「七人の秘書」ナレーション、最終話出演(=20年)。
・主な著書:
自伝「鏡の向こう側に」(主婦と生活社=91年)
主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
週刊ポスト 05年4月8日号
岩下志麻 1941.01.03 俳優
岩下志麻 1941.01.03 東京都中央区銀座
岩下志麻 1941.01.03 成城大学文学部中退
岩下志麻 1941.01.03 日本アカデミー最優秀主演女優賞
岩下志麻 1941.01.03 大河ドラマ主演
岩下志麻 1941.01.03 松竹(60年〜76年)
岩下志麻 1941.01.03 女性芸能人(1970年代)キネ主
岩下志麻 1941.01.03 女性芸能人(1960年代)