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岡田武史

■岡田武史(おかだ たけし)

□肩書き
 サッカー選手(90年引退) 
サッカー指導者(13年引退)
 サッカークラブ経営者
 
□所属
 古河電工(80年〜90年)※現役
 日本代表(95年〜98年、08年〜10年)※コーチ、監督
 コンサドーレ札幌(99年〜01年)※監督
横浜Fマリノス(03年〜06年)※監督
杭州緑城(12年〜13年)※監督
 FC今治(14年〜)※オーナー
 
□本名
 岡田武史

□愛称
 岡ちゃん

□生年
 1956(昭和31)08.25(乙女座/A型)

□出身地
 大阪府大阪市

□出身校
 帝塚山学院小学校時
 大阪市立住吉中学校
 府立天王寺高校
 早稲田大学政経学部

□略歴(満年齢)
 85年(29歳)W杯メキシコ大会アジア予選出場(予選敗退)。
 98年(42歳)W杯フランス大会日本代表監督(ファーストラウンド敗退)。
 10年(54歳)W杯南アフリカ大会日本代表監督(ベスト16)。
 ※現役時代の通算成績:
  189試合9得点(日本サッカーリーグ)24試合1得点(日本代表)

□趣味
 読書 散歩 スキューバダイビング スキー


■岡田武史

□幼少時代〜
・父親は産婦人科の開業医。
・姉がいる。長男。
・子供の頃、イタズラで金づちで犬を叩いて鼻のあたりを噛まれた。
 ※傷跡は大人になった後も残っている
・子供の頃、電車に当たって意識不明になった事がある。
・子供の頃、白バイの運転手に憧れていた。
・小学校時代、野球をやっていた。
 南海ホークスのファンクラブ(子供会)に入っていた。
 将来プロ野球選手になりたいと思っていた。
・中学時代、野球部に入るつもりだったが上下関係が厳しそうなのでサッカーに変えた。
・中3の時、「ドイツに行ってプロになる」と父親に宣言したが、
 父親の知人に説得されて諦めた。
・高校は府下有数の進学校。
・高校時代、サッカー部に専任の監督がいなかった。
 チームメイトと一緒にサッカーに関する著書をたくさん読んでサッカー理論を研究した。
・高校時代、ジャズ喫茶でタバコを吸って音楽や文学について語った。
・高校時代、よくビリヤードをした。
・高3の時、国体に大阪代表のキャプテンとして出場。
・高3の時、ユース代表に選ばれた。
・一浪して早稲田大学に進学。
 浪人中はサッカーを一切やらなかった(体重が10㎏以上太った)。
・大学時代、サッカーを本格的にやるつもりはなかったので
 最初は体育会ではなく同好会に入っていた。
・大学3年の時、大学選手権優勝。
・若い頃は長髪だった。
・血を見るのが苦手だったので父親の後を継いで医者になるつもりはなかった。

■岡田武史

□私生活
・好きな酒…井上靖。高村光太郎。
・環境問題に興味関心がある。大学時代から勉強。地球環境を考える会「地球村」に参加。
・ペット…犬(=98.01現在)。
・住んでいる所…神奈川県逗子市(=98.06現在)。
・若い頃に妻とふたりで6畳一間の風呂なしアパートに住んでいた。
・山寺で座禅を組んだ事がある。
・カナダでマイナス40℃のアウトドアでテントなしでビバークした事がある。
・ひとりになる事ができる場所を求めてスキューバダイビングをはじめた。
 三浦半島の海によく行く。
・洒落やジョークが好き。
・交遊関係が幅広い。年賀状の数は数百枚。
・海が好き。家族でよく海岸を散歩した。子供と一緒によく釣りをした。
・遠征に長女が買ってくれた耳かきを必ず持参する。

■岡田武史

□人間関係
・川淵三郎、奥寺康彦…古河電工サッカー部の先輩。
・都並敏史…初めて日本代表に入った時、同室だった。
・松木安太郎、金田喜稔、木村和司、加藤久、都並敏史
 …W杯メキシコ大会を目指した日本代表のチームメイト。
 年に1回宴会を開いている。加藤久は大学の1年先輩で大学時代に同じ下宿に住んでいた。
・加茂周…元日本代表監督。W杯フランス大会アジア最終予選の中央アジア遠征中、
 成績不振の為に急遽解雇され、コーチだった岡田が監督に就任した。
・中山雅史、秋田豊、名波浩、川口能活、中田英寿…W杯フランス大会日本代表。
・三浦知良…W杯フランス大会直前にメンバーから三浦を外して社会的な話題になった。
・岡田彰布…友人。早稲田大学の同期生。
・八重子…80年2月結婚。大学4年の時に学生結婚。年上。
・子供:
 長男…翔太。20歳(=02.06現在)。 
 長女…侑子。17歳(=02.06現在)。 
 次男…洋嗣。12歳(=02.06現在)。

■岡田武史

□エピソードなど
・大学4年の時、サッカーを辞めるつもりでテレビ局を受験したが不合格だった。
・「マスコミを落ちたらサッカーで来てくれ」と誘われていた古河電工に入社した。
・古河電工時代、サッカーの練習で残業が出来ずに基本給だけだったので生活が厳しかった。
 お金がなかったので50円のコーヒーを買うのを我慢した。
 日本代表の遠征の小遣いを消費者金融で借りてボーナスで返していた。
・現役時代の主なポジションはボランチかストッパー。
 声で指示して味方を動かすのが得意だった。
 キャプテン&スイーパーとしてアジアクラブ選手権優勝(=86年)。
・ドイツに1年間コーチ留学(=91年)。
 受け入れてくれる筈の名門クラブに現地で断らたが自分でクラブを探して家族も呼び寄せた。
・ドイツから帰国後に会社をやめてプロ契約でコーチになった。
・コーチになる時に心理学やバイオメカニクスを勉強した。
・日本代表コーチに就任(=95年)。
・W杯アメリカ大会アジア最終予選のテレビ中継で悔し涙を見せた。
・W杯フランス大会出場を決めた時、家族にもワイドショーの取材が殺到して閉口。
・W杯フランス大会の準備中、雑音に惑わされないようにテレビ・新聞・雑誌を見なかった。
・W杯フランス大会のアルゼンチン戦直前のミーティングで井上靖の詩「人生」を引用。
・コンサドーレ札幌の監督としてJ2優勝(=00年)。
・冷静な理論家として見られがちだが、実際は短気で感情を表に出すタイプ。
 自分でそれを判っているので監督をする時は務めて冷静にふるまう。
・情にもろい所があるのが自分で判っているので選手と必要以上に仲良くならないようにする。
・ポロシャツにジャージがトレードマーク。
・FC今治の経営権を取得(=14年)。
・日本人にあったサッカーの型(岡田メソッド)を作る事を目指している。
 ※FC今治で実践
・日本サッカー協会副会長に就任(=16年)。
・S級コーチライセンスを返上して指導者引退(=18年)。
・Bリーグの理事に就任(=21年)。
・FC今治高等学校を開校して学園長に就任(=24年開校予定)。


岡田武史 1956.08.25 サッカー指導者
岡田武史 1956.08.25 大阪府大阪市
岡田武史 1956.08.25 早稲田大学政経学部

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