■小津安二郎(おづ やすじろう) □肩書き 映画監督 □生年 1903(明治36)12.12(射手座) □没年 1963(昭和38)12.12(享年60) □出身地 東京 深川→三重県松阪町 □出身校 松阪町立第二尋常小学校 三重県立第四中学校 □略歴(満年齢) 23年(20歳)松竹撮影所入社。 53年(50歳)映画「東京物語」監督。 62年(59歳)映画「秋刀魚の味」監督。 ※他の主な監督作品: 「晩春」「彼岸花」「秋日和」 ■小津安二郎 □幼少時代〜 ・父親は深川の肥料問屋「湯浅屋」の大番頭。 ・父方の先祖は代々伊勢商人。 ・小津家は本居宣長を先祖に持つ松阪の名家。 母親の実家は松阪近辺の名家。 ・5人きょうだいの2番目。兄、妹、妹、弟がいる。 ・父親は教育に関して厳しかった。 ・9歳の時、父親だけ東京に残して家族で三重県松坂町に引っ越した(父親の実家)。 ・中学時代、柔道をやっていた。 ・中学時代、映画が大好きだった。 地元の映画館「神楽座」によく行った。 泊まりがけで大阪や名古屋に映画を観に行った。 アメリカのサイレント映画が大好きだった(アメリカのスターにファンレターを出した)。 映画研究会「エジプトクラブ」を結成。 映画館で配るニュースに映画批評を投稿してよく採用された。 ・中学時代、谷崎潤一郎の小説をよく読んだ。 ・神戸高等商業学校、三重県師範学校を受験して不合格。 □私生活 ・酒が好き。好きな酒は日本酒。たくさん飲む。 ・50代半ばの頃、肥厚性鼻炎の手術を受けた。 ・好きな本…志賀直哉「暗夜行路」。 ・東京深川、千葉県野田、神奈川県北鎌倉と移り住んだ。 ・いきつけ…「蓬莱屋」(銀座松坂屋裏、トンカツ)。 ・母親は急性肺炎で他界(享年86=62年2月)。 ・母親と同居していた(ふたり暮らし)。 ・兄は銀行員。 ■小津安二郎 □人間関係 ・野田高梧…友人。25作品の脚本を共同執筆。 茅ヶ崎の旅館「茅ヶ崎館」や野田の別荘に長期滞在して一緒に脚本を考えた。 題材物色から脱稿まで3〜4ヵ月をかけた。 ・里見弴…友人。「彼岸花」「秋日和」の原作を担当。 ・佐田啓二…友人。息子のようにかわいがっていた。 小津安二郎監督作品に多数出演。 ・白井佳夫…友人。雑誌「キネマ旬報」編集長。 ・原節子…小津監督作品に多数出演。交際を噂された。 □エピソードなど ・宮前尋常小学校に代用教員として勤務(=22年)。 ・20歳の時、松阪から深川に戻った。 ・親戚のコネで松竹キネマ蒲田撮影所に入社。 叔父が松竹に土地を貸していた。 入社までに観た日本映画の数は3本だけだった。 入社当初はカメラマン助手。 ・映画監督になる事を父親に大反対された。 ・日中戦争開戦で召集されて中国に出征。 ・戦時中に映画班としてシンガポールに出征。 ・終戦後にイギリス軍の捕虜として数ヵ月収容所で生活。 収容所で磄眠堂の俳号で俳句を詠んだ。 ・撮影現場に行く時の服装はたいてい白いシャツとチャコールグレーのズボン。 同じ生地のチャコールグレーのズボンを何本も持っていた。 ・日本芸術院賞を受賞(映画人として初受賞=59歳)。 ・生涯監督作品数は54本。 ・60歳の誕生日に他界。 ・映画「東京物語」史上最高の映画第1位に選ばれた(英国映画協会選出=12年)。 主要参考媒体 殉愛 原節子と小津安二郎 2012年8月25日発行 小津安二郎 1903.12.12 - 1963.12.12(享年60)映画監督 小津安二郎 1903.12.12 - 1963.12.12(享年60)秋刀魚の味