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宝田明

■宝田明(たからだ あきら)

□肩書き
 俳優

□本名
 宝田明

□生年
 1934(昭和09)04.29(牡牛座/O型)

□没年
 2022(令和04)03.14(享年87)誤嚥性肺炎

□出身地
 旧満州 ハルピン市

□出身校
 豊島高校

□略歴(満年齢)
 54年(20歳)映画「ゴジラ」主演。
 57年(23歳)映画「青い山脈 新子の巻」出演。
 11年(77歳)朝ドラ「カーネーション」出演。
 ※他の主な出演:
  舞台 「マイ・フェア・レディ」「風とともに去りぬ」「キス・ミー・ケイト」
  映画 「小早川家の秋」「レッツゴー! 若大将」「あげまん」
  ドラマ「ホームワーク」「徳川慶喜」「私の青空」
  テレビ「爆報! THE フライデー」「若大将のゆうゆう散歩」「徹子の部屋」
  CM 「第一生命」「セガ シーマン2」

□趣味
 料理 麻雀 旅行 ゴルフ

□特技
 中国語(北京語) スケート 

□サイズ
 183㎝

■宝田明

□幼少時代〜
・父親は満鉄の技術者だった。
・6人きょうだいの5番目(兄3人、姉1人、弟1人)。
 長兄と次兄は出征(長兄と次兄は戦死)。
・2歳から12歳まで旧満州に住んでいた。
・9歳の時、住んでいた町にソ連軍が侵攻して来た。
 強制使役として石炭運びなどをやらされた。
 ソ連兵相手に靴磨きや煙草売りをして糊口をしのいだ。
 知り合いの女性が街頭でソ連兵に強姦されるのを目撃。
 ソ連兵の銃撃を受けて転がるように逃げて帰ると腹部に被弾、
 無麻酔で摘出処置を受けた(熱した裁ちばさみでお腹を切られた)。
・12歳の時、大陸から家族で新潟県村上市に引き揚げた(母親の郷里)。
 三番目の兄はソ連兵に連れ去られて行方不明になった(後に帰国)。
 武装解除された駆逐艦に乗って引き揚げた。
・引き揚げ後、毋親を手伝って魚の行商などをした。
・高校時代、演劇部と柔道部。

■宝田明

□私生活
・好物…夏柑糖(京都「老松」)。
・若い頃は大酒豪だった。
 早く酔う為にビールにブランデーを入れて飲んでいた。
・禁煙に成功。以前は1日40本のヘビースモーカーだった。
・健康法…ニンニク(炊飯器で熟成発酵させて食べる)。
 羊の胎児の肝臓の溶液注射(スイスの病院で2年に1回、風邪をひかなくなる、回春効果)。
・59歳の時に狭心症を患った。
・虫が大嫌い。
・宝物…黒沢明監督から貰ったゴルフの優勝トロフィー。
・ペット…
 犬(名前はサラ・ベルナール、11歳=19.02現在)。
 犬(アメリカンコッカースパニエル、牝、名前はドロシー=02.11現在)。
・犬が大好き。
・住んでいる家のリビングは40畳以上(=99.02現在)。
・首都高速走行中のスピード違反で摘発された(64㎞/hオーバー=08年)。
・中国育ちの影響からか大らかな性格。
・東宝のスター時代、お金をガンガン使って派手に遊んだ。
 外車に乗って毎晩銀座で痛飲、数人の女優と交際した。
・ヤクザの愛人と交際した事がある。
・20代の頃、香港の映画女優と交際した。
・妻は体型補正下着関係の仕事に就いている(=99.02現在)。
・妻と一緒に豪華客船・飛鳥で12日間の船旅(=99年)。

■宝田明

□人間関係
・石原裕次郎…友人。若い頃によく銀座で朝まで遊んだ。
・石原慎太郎…友人。「今度日活で弟がデビーするのでよろしく頼む」と言われた。
・美空ひばり、江利チエミ…友人。若い頃の飲み友達。
・森繁久彌、三船敏郎…東宝の撮影所で中国語で話をした(監督の悪口など)。
・岡田真澄、佐原健二、宝田明、藤木悠、河内桃子…第6期東宝ニューフェイス。
・宮本信子…映画「あげまん」「ミンボーの女」「マルタイの女」で共演。
・三島先生(東十条病院院長)…主治医。ゴルフ仲間。
・児島明子…元ミスユニバース。66年結婚、84年離婚。
・正美…84年結婚。
・子供:
 長女…児島未散。67.04.25誕生。俳優。
 ※他に児島との間に2人

■宝田明

□エピソードなど
・生活の為に色々なアルバイトをした(売血など)。
・第6期東宝ニューフェイス(=53年)。
 東宝の前で受けるどうか迷ってウロウロしている時に守衛に声をかけられ、
 「とにかく行って来なさい」と背中を押されて受験した。
 履歴書の字を評価されて総務として採用されかけた。
・映画「かくて自由の鐘はなる」で映画初出演(=54年)。
・甘いマスクの2枚目スターとして多数の東宝映画に出演。
 出演本数は10年間で150本以上、最盛期は年間12本に主演。
・映画「放浪記」で顔の表情演技だけのショットの撮影でNGを連発(1日半かかった)。
 成瀬監督は「宝田くん、違うよ」だけでどこがダメなのか教えてくれなかった。
 相手役の高峰秀子に助言を求めると「判ってるけど教えてあげない」と言われ、
 直後のテイクでOKが出た(怒りで無意識に高峰を睨んでいたのが良かった?)。
・60年代に香港との合作映画に数本出演して東南アジアで大人気だった。
 「香港の夜」「香港の星」「ホノルル—東京—香港」など。
 ジャッキー・チェンも宝田のファンだったらしい。
・初舞台「アニーよ銃をとれ」で芸術祭奨励賞を受賞。
・ミュージカルに多数出演。
・80年に開校した宝田芸術学院が幹部社員の不始末で倒産、
 莫大な借金返済の為に目黒の自宅を売却(=83年)。
・国際アカデミー賞を受賞(=97年)。
・ミスユニバースの司会を28年間務めた。
・著書「ニッポン・ゴジラ黄金伝説」を出版(扶桑社=98年)。
・ミュージカル「ファンタスティックス」製作・演出・出演(=12年)。
 文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。
・映画「ダンスウィズミー」で55年ぶりにミュージカル映画出演(=19年)。
・他界する3日前まで仕事をしていた。

主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版)
アサヒ芸能 92年6月4日号
週刊宝石 00年月日号

宝田明 1934.04.29 – 2022.03.14(享年87)俳優
宝田明 1934.04.29 ゴジラ
宝田明 1934.04.29 第6期東宝ニューフェイス
宝田明 1934.04.29 1950年代総合 若い頃
宝田明 1934.04.29 放浪記

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