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奥寺康彦

■奥寺康彦(おくでら やすひこ)

□肩書き
 サッカー選手(88年引退)
 サッカー指導者

□主な所属クラブ
 古河電工(70年〜77年,86年〜88年)
 1FCケルン(77年〜80年)
 ヘルタ・ベルリン(80年〜81年)
 ブレーメン(81年〜86年)
 ジェフ市原(96年)※監督
 横浜FC(17年)※監督

□生年
 1952(昭和27)03.12(魚座/AB型)

□出身地
 秋田県鹿角市→神奈川県横浜市

□出身校
 横浜市立東戸塚小学校
 舞岡中学校
 相模工大付属高校

□略歴(満年齢)
 70年(18歳)古河電工(JSL)入団。
 77年(25歳)1FCケルン(西ドイツ)移籍。
 96年(44歳)ジェフ市原の監督に就任。
 ※通算成績:
  143試合39得点(JSL)
234試合26得点(ブンデスリーガ1部)
  32試合9得点(日本代表国際Aマッチ)
 ※主な出演:
  テレビ「クローズアップ現代」「秘密のケンミンSHOW」「サンデースポーツ」
  CM 「トヨタ自動車 アベンシス」

□趣味
 犬の散歩 ドライブ バイク

□特技
 球技全般

□サイズ
 177㎝

■奥寺康彦

□幼少時代〜
・父親はサラリーマン。
・母親は旅館の仲居(住み込みで働いていた)。
・姉、妹(自分と双子)がいる。
・妹(自分と双子)と性格は正反対だった。
・子供の頃、長屋の一画(台所以外は8畳だけ)を借りて住んでいた。
・子供の頃、おとなしい性格だった。
・子供の頃、身体があまり丈夫ではなかった(スポーツも得意ではなかった)。
・小学校時代、卓球クラブ。
・小4の時、父親の勤務先が倒産、親戚を頼って神奈川県横浜市に引っ越した。
・父親が管理人の職に就いた電機メーカーの独身寮に家族で住んだ。
・中学時代、素振りの練習ばかりで嫌気がさして卓球部からサッカー部に転部。
 中2でレギュラー。中3の時に神奈川県大会で活躍。
・サッカーの特待生として高校に入学。
・高3の時、関東大会準優勝。
・高校時代、加山雄三に憧れて役者を志していた。
 サッカーの練習後にタレント学校に通っていた。

□私生活
・好物…肉。野菜全般。
・嫌いな食べ物…パクチー。
・ペット…犬(雑種)。
・住んでいる所…
 神奈川県横須賀市(4LDK、一軒家、近くに山と海がある=00.11現在)。
・いきつけ…
 ドイツ料理「ホフブロイ・ハウス」(新宿区)。
 居酒屋「ひろ田」(横須賀市馬掘海岸)。

■奥寺康彦

□人間関係
・ヘネス・バイスバイラー…元1FCケルンの監督。
バイスバイラーにスカウトされてドイツへ渡った。
・美代子…古河電工サッカー部のマネージャー。75年挙式。
・子供:
 長女。
 長男。
 次男…正人(まさひと)。
 三男…直人(なおひと)。
 ※次男と三男は双子

□エピソードなど
・高校卒業後、日本リーグの強豪・古河電工に入社。
・入社当初はサッカーの練習は月・水・金の午後だけだったが、
 他のチームが毎日練習するようになると横並びで毎日練習するようになった。
・1FCケルン入団に際して家族を安心させる為に古河電工は休職扱いにして貰った。
・ドイツのブンデスリーガで活躍した初の日本人選手。
 9年間で3つのクラブを渡り歩いた(ポジションはFW、SB)。
 ドイツのファンから「東洋のコンピューター」と呼ばれた。
・ドイツに時代は家族と一緒にいる時間が多かった。
・ドイツ時代、毎年帰国して一緒に練習する度に
 「日本のサッカーは進歩してない、
  アマチュアでやっていては甘えや言い訳が許されていて駄目だ」と感じた。
・日本初のプロ契約選手として古河電工に復帰(=86年)。
・横須賀市教育委員に就任(=00年)。

奥寺康彦 1952.03.12 サッカー選手
奥寺康彦 1952.03.12 秋田県鹿角市出身
奥寺康彦 1952.03.12 神奈川県横浜市出身
奥寺康彦 1952.03.12 ドイツのクラブ在籍

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