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大場久美子

■大場久美子(おおば くみこ)

□肩書き
 俳優 歌手

□本名
 大場久美子

□生年
 1960(昭和35)01.06(山羊座/A型)

□出身地
 埼玉県川口市→埼玉県鳩ケ谷市

□出身校
 鳩ケ谷市立中居小学校
 鳩ケ谷市立八幡木中学校 
   東京成徳短期大学附属高校→堀越高校芸能コース

□略歴
 77年(17歳)「あこがれ」でレコードデビュー。
 78年(18歳)ドラマ「コメットさん」主演。
 97年(37歳)昼の連続ドラマ「砂の城」主演。
 ※他の主な出演など:
      舞台「京おんな」「放浪記」「無法松の一生」
  映画「HOUSE ハウス」「ひめゆりの塔」「破線のマリス」
  ドラマ「マジカル7大冒険」「水戸黄門」「真夜中のヒーロー」
  テレビ「ぎんざNOW!」「ヤンヤン歌うスタジオ」「有吉反省会」
  楽曲「キラキラ星あげる」「ディスコ・ドリーム」「スプリング・サンバ」
 
□趣味
 料理 アウトドア

□特技
 手話 日舞 タップダンス 

□資格・免許
 心理カウンセラー

■大場久美子

□幼少時代〜
・父親は鋳物工場を経営。
・兄、6歳年下の弟がいる。
・厳格な家庭に育った。
・父親は正義感が強すぎる人だった。
 困っている人を見かけると声をかけて自宅に泊めてあげていた。
・母親はとても思いやりがある人だった。
・両親がよく激しい夫婦喧嘩をした。
・子供の頃、父親の仕事の経営状態が悪かったので極貧生活だった。
 工場の倉庫(トイレも水道もない陽の当たらない一間)で生活した時期があった。
 食事はごはんと具のない味噌汁だけが基本だった。
   食べられる野草をよく食べた。
 家計が厳しかったので幼稚園に満足に通えなかった。
・父親の仕事の都合で何度も引っ越した。
・小学校時代、母親が働いていたので、弟の世話、食事、掃除、洗濯などの家事をやった。
・小学校時代、いじめられっ子だった。
 内向的な性格でクラスで発言ができなかった。
 脱脂粉乳を飲めない事がきっかけで拒食症になった。
 1ヵ月単位で何度か登校拒否になった。自殺未遂をした。
・小4の時、父親の仕事(鋳物工場)が軌道に乗って初めての家族旅行に行った。
 旅館の隣の部屋に偶然泊っていた長門裕之夫妻にサインを貰った。
・中学時代、バトン部。
・中学時代は太っていた(身長145㎝で55㎏)。
・15歳の時、先輩を相手に自分から迫ってファーストキス。
・堀越高校の修学旅行で枕投げをして遊んだ。

■大場久美子

□私生活
・好物…そうめん。
・たくさん食べる。
・専用の土鍋でごはんを炊く。
・いろいろな料理を週に1回まとめて作る。
 タッパにポストイットを付けて整理して冷蔵庫で保存。
・おでん、缶詰め、酢の物の汁をタッパに保存して再利用する。
・舞台の時は通販で買った調理器具セットを楽屋に持ちこんで料理をする。
・アイドルの頃から自分で作ったおにぎりを現場に持って行っていた。
・健康法…ゴルフボールで足裏のツボ押し。
・39歳の頃から約8年間パニック障害を患った(母親の死がきっかけ、重い時期は4年間)。
 一時は近所のコンビニにも行けず家に閉じこもっていた。
   死につながるような妄想が次から次へと襲ってきて自傷行為に及んだ。
   ※闘病記「やっと。やっと! パニック障害からぬけ出せそう…」出版(=09年)
・極度の腰痛(椎間板の炎症)で救急搬送されて入院(=23年)。
・以前は冷え性だった。
・気管支が弱い。
・50歳の時に2ヵ月で約20㎏体重が増えた。
・54歳の時に番組企画で約14㎏減量(ウエストが23㎝細くなった)。
・3:00〜4:00に起きる。
・掃除が好き。
・ひとり暮しが長かったのでなんでも自分でできる。
 電化製品を直す。たてつけが悪い所をトンカチで叩いて直す。
・通販が好き。特に「3つで¥9900」シリーズがお気に入り。
・100円ショップが大好き。
・ピンク色のモノが大好き。
・収集…天然石。ピエログッズ。 
・キティちゃんグッズが好き。
 キティちゃんのボイズレコーダーを常時携帯。
 キティちゃんグッズのコーナーで商品を見るのがストレス解消法。
・50歳頃から勉強を始めて健康や介護に関する資格を多数取得。
・買物をする時に即断即決する。
 冷蔵庫を1分で選んだ事がある。
・カンボジア難民を支援するボランティア活動に参加。
・東日本大震災の際にアニマルボランテシアに参加。
・東日本大震災の保護犬を引き取った。
・若い頃は人見知りが激しかった。
 楽屋で読書や編物をしてひとりで過ごす事が多かった。
・昔の同級生と1年に1回1週間の「幸せ交換会」を開催。
 主婦の人に独身気分を味わって貰い、独身の人は子供の世話させて貰う。
・実家が貰い火の家事で全焼(=87年)。
 アイドル時代の衣装など思い出の品が全て灰になった。
・父親は末期がんで他界(享年84、最期の数ヵ月を自宅で介護=15年)。
・母親は心不全で他界(享年61=99年)。
 母親は大場のマネージャーを務めていた。
 亡くなる数日前までバイクを乗り廻していた。
 母親が亡くなる数日前に花嫁衣装を見せてあげていた。
・23年2月から義父母と同居中(=23.12現在)。
・アイドル時代に男性タレントふたりに電話番号を渡したがかかってこなかった。
・20歳頃まで潔癖性&男性恐怖症だった。
 男性に触れるのはもちろん自分の持ち物を男性スタッフに触られるのも駄目だった。
 20歳を過ぎてドラマで何度もベッドシーンを演じて克服。
・雑誌で「好きな男の顔を思い浮かべてオナニーをした事がある」と発言(アイドル引退後)。
・前夫から交際を申しこまれた時は何故かとてもモテていた。
・前夫は父親に正式に紹介した初めての男性。父親は当初は結婚に大反対だった。
・前夫の影響でアウトドアが好きになった。
・夫が浮気しても平気。

■大場久美子

□人物関係
・林寛子…親友。高校時代に林からいじめられた。一緒にディナーショー。
 コンビ・0102(まるいちまるに)でキングオブコント2014に出場(1回戦突破)。
・さとう宗幸、渋谷哲平、原田真二、石川ひとみ、中原理恵、渡辺真知子、
 サザンオールスターズ、ツイスト…歌手デビュー同期生。
・荒木由美子、片平なぎさ、榊原郁恵、林寛子…堀越学園高校の同期生。
 アイドル時代に榊原とコスプレヒロイン番組「少女探偵スーパーW」で共演(=79年)。
・あべ静江、大場久美子、林寛子、沢田亜矢子
 …熟女ユニット・女盛りゲザデレタのメンバー。
 シングル「Animal Blood」をリリース(=00年)。
 もともと私生活でも仲が良かった。
・木根尚登…女盛りゲサデレタをプロデュース。
・岸本加世子…若い頃に仲が悪かった。
 ドラマのケンカのシーンで本気でケンカした。
・矢沢永吉…憧れている芸能人(大ファン)。
 追っかけをしていた。ロサンゼルスまで追い掛けた。
 矢沢の自宅のそばに住んでいた。
・西城秀樹…憧れている芸能人(大ファン)。
 追っかけをしていた。
・森脇健児…大場のファン。
 部屋に「コメットさん」のポスターを貼っていた(中学時代)。
・志村けん…交際を噂された。
・高橋哲也…タップダンサー。00.02.01結婚、05.12.25離婚。6歳年下。
 ダンスの振り付けをして貰って知り合った。
・夫…一般男性(会社員)。11.05.19結婚。10歳年下。
 元々大場のファンでブログの書き込んでくれたのをきっかけに仲良くなった。
 結婚前に「1週間お試し同棲」をした。

■大場久美子

□エピソードなど
・中1の時、友人と一緒に応募して劇団フジに入団。
 東京宝映テレビのオーディションで台詞を一言言ったのがきっかけで性格が明るくなった。
 劇団フジでもイジメにあった。
・子役としてドラマ「愛の山河」に出演(=74年)。
・オーディション番組「決定版! あなたをスターに」で審査員特別賞(=75年)。 
 父親が勝手に応募した。
・映画「遺書 白い少女」に出演(映画初出演=76年)。
・アイドル時代のキャッチフレーズは「1億人の妹」。
・トップアイドルとして活動した1年半の間は超多忙だった。
 テレビのレギュラー番組が7本、CMが4〜5本、週末は営業。
 家に帰ってから翌日の仕事に出るまでの時間は連日3時間だったが、
 その3時間の間にサインを書いたり台詞を覚えたりする事があった。
 1年間で20㎏やせた。疲労で倒れて1週間入院した。マネージャーが3人倒れた。
・CM「ハウス食品 プリンミクス」に出演(=77年)。
・アイドル時代、自他供に認めるブリッコだった。
 歌番組で本番中に後ろに立った人からお尻をつねられるなどのいじめを受けた。
・アイドル時代、身長、体重、年齢などをごまかしていた。
 実際は145㎝の身長を156㎝としていた。
・アイドル時代、よく日帰りでグアムに撮影に行った。
・アイドル時代、飛行機はファーストクラス、クルマはリムジン、
 ホテルはファーストクラス、服は一流ブランド、マンションは家賃80万円。
 当時は完全にテングになっていた。
・アイドル時代、握手会で画鋲を手のひらにつけた人と握手をして手の平から出血した。
・18歳の時の給料は100万円以上、その他にボーナスを貰っていた。
・78年から2年連続でブロマイドの売り上げ1位。
・アイドル時代の1年半は寝る暇もない忙しさだった。
・歌番組「紅白歌のベストテン」に紅組キャプテンとして出演(=79年)。
・もともと女優志望だったので半年かけて事務所を説得して歌手をやめた。
・日本武道館のさよならコンサートで歌手廃業を宣言(=79年)。
 当日台風が東京を直撃して交通機関が麻痺していたが7000人を動員。
   19歳での日本武道館コンサートは当時の最年少記録。
・ウェディングドレス姿で「女優の世界にお嫁に行きます」の台詞でアイドル歌手を引退。
・アイドル歌手引退後に料理、日舞、タップダンスを習った。
・演技の勉強の為に1本の映画を見る角度を変えて何度も繰り返し見た。
・劇団の巡業に参加して荷運びからセッティングまでやった事があった。
・舞台「放浪記」に女給役で約6年間出演。
・料理本「クーミンのないしょの食卓」出版(集英社=80年)。
・写真集「大場久美子」でヌードを披露(=84年)。
・所属事務所から独立して個人事務所「オフィス大場」を設立(=92年)。
・静岡のレストラン「ホワイトバス」が経営不振で倒産、負債1億円で自己破産(=94年)。
・初のレビュー「女王様と私」に出演(=94年)。
・「アイドル時代の大場久美子」のモノマネができる(語尾を全部ため息風にする)。
・マイクテストの時にイタズラであえぎ声を出す。
・「スプリング・サンバ」のサビを譜面通りに歌ってなかった事に40歳を過ぎてから気がついた。
・ドラマの本番で台詞が出なくなった事がある。
・2時間ドラマに多数出演。
・ドラマ「水戸黄門」で入浴シーンを演じた。
・1ヵ月の会費6000円の有料ファンクラブを自ら運営(=15.02現在)。
・56歳で水着グラビアに挑戦(「週刊アサヒ芸能」16年3月4日号)。


主要参考媒体
テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第3版)
週刊現代 15年12月19日号

大場久美子 1960.01.06 俳優
大場久美子 1960.01.06 コメットさん(TV)
大場久美子 1960.01.06 HOUSE ハウス

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