■吉田拓郎(よしだ たくろう)
□肩書き
歌手 作曲家 作詞家
□本名
吉田拓郎
□別名
入江剣
□旧芸名
よしだたくろう
□生年
1946(昭和21)04.05(牡羊座/A型)
□出身地
鹿児島県大口市→広島県
□出身校
広島県立皆実高校
広島商科大学
□略歴(満年齢)
72年(26歳)「結婚しようよ」がヒット。
94年(48歳)紅白歌合戦初出場。
96年(50歳)テレビ「LOVE LOVE あいしてる」出演。
※他の主な楽曲:
「旅の宿」「夏休み」「無人島」
※他の主な出演:
テレビ「地球シグザグ」「吉田拓郎のお喋り道楽」「T×2」
ラジオ「パックインミュージック」「オールナイトニッポン」「セイヤング」
□趣味
読書 パソコン 将棋 女子バレーボール観戦
□サイズ
177㎝
□特記事項
妻は森下愛子
■吉田拓郎
□幼少時代〜
・兄と姉がいる。
・小児喘息を患った。
・母親から茶道と華道を習っていた(母親は茶道と華道の先生だった)。
・子供の頃、切手を集めていた。「郵便友の会」に入っていた。
・9歳の時、広島に引っ越した。
・高校時代、写真部。
・高校時代、立教大学ジャズ研でピアノを彈いていた兄の影響で音楽と東京に憧れた。
兄は夏休みに東京の女の子をクルマに乗せて帰って来た。
・高校時代、ラジオでボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴いて歌手を志した。
ディランのスタイルをまねして歌っていた。
・高校時代、1学年下の島田さんに熱烈な片思いをした。
・高3の時、彼女と一緒に朝まで過ごして「責任を取らなくては」と思い、
家まで送って彼女の親に挨拶した。
・大学時代、友人の彼女を横取りした。
■吉田拓郎
□私生活
・好物…カレーライス。ラーメン。うどん。
水炊き(ニンニク、ちくわを入れる)。
チンジャオロース。ふきの煮物。きんぴらごぼう。醤油。和食。
・嫌いな食べ物…パパイヤ(初めて食べた時ウンコの匂いがした)。
コーヒー(飲むと倒れる)。甘いもの。
・納豆にチーズとシソを入れて食べる。
・食事は可能な限り家で食べる。出前をよく利用する。外食は週に1回程度。
・酒が好き。好きな酒はビール。
皆でわいわい言いながら飲むのが好き。
酔うと人の耳たぶを嚼む癖がある。
・肺がんの緊急摘出手術を受けてツアーを延期(=03年)。
約3年ぶりのツアーに万全の体調で臨む為に検査入院して肺がんが見つかった。
・貧血でステージを30分中断(=04年)。
・うつ病と診断されて抗うつ剤を服用(=04年〜05年)。
・喘息性気管支炎でツアー公演を延期(=07年)。
・のどのがんを患って放射線治療を受けた(=14年〜16年)。
・持病…腰痛。
・若い頃に痔を患った。
・風邪をひきやすい。
・禁煙したら体重が増えた(=02年)。
・早寝早起き。6:00〜7:00に起きる。何時に寝ても4〜5時間で目が覚める。
・高所恐怖症。
・飛行機が嫌い。
クルマで全国ツアーをまわった事がある。
・猫が苦手。
・ゴミ出しなどの家事を手伝う。
・好きなアーチスト…ドリームズ・カム・トゥルー。
・仕事がない時は家でひたすらゴロゴロする。
・新しモノ好き。
雑誌はできれば発売前に買いたい。
携帯電話を流行る前から使用。
・通販が大好き。通販雑誌を多数購読(アメリカの通販雑誌も購読)。
・10回以上引っ越しをした。
・住んでいる所…東京都港区在住(=99.10現在)。
・愛車はジムニー(=00.06現在)。
・旅行に行く時は出来るだけ家と同じ環境になるように事前に徹底的にリサーチする。
ホテルの部屋の向きを指定して予約する。
・ハワイが好き。毎年行く。
1ヵ月以上前から荷造りをして着る服の組み合わせを事前に全部決める。
現地で規則正しく予定を立ててリラックスする。
・方向音痴。
・上京当初、洋式トイレの使い方がわからなくてタンク側を向いて座って使用。
・待つのが嫌い。レストランで配膳が遅いと帰ってしまう。
・負けず嫌い。
・上京当初は広島弁コンプレックスで殆ど喋らなかった。
・妻(森下愛子)を美容院でナンパした。
交際中に「アイム・イン・ラヴ」という曲を作って口説いた。
・妻(森下愛子)と「拓郎」「佳代」と呼び合う。
■吉田拓郎
□人間関係
・コシノジュンコ…親友。
・高見沢俊彦…友人。飲み仲間。トーク番組「T×2」で共演。
・かまやつひろし…友人。かまやつのヒット曲「わが良き友よ」を作曲(=75年)。
松任谷由実の新婚旅行にかまやつひろしと一緒についていった。
・沢田研二…友人。メール友達。
・長渕剛…友人。
長渕が石野真子と結婚した時に浅田美代子と一緒に立会人を務めた。
・山田パンダ…友人。若い頃によく一緒に原宿で飲んだ。
・志村けん…麻布十番の飲み屋で何度も遭遇(合流して一緒に飲んだ事がある)。
・中村雅俊…酔った中村に説教された事がある。
・西城秀樹…同郷(広島出身)。西城がデビューする前から面識があった。
・西郷輝彦…同じ小学校。
・奥田民生…高校の後輩。
・泉谷しげる、井上陽水、小室等、吉田拓郎…4人でフォーライフレコードを設立。
・Kinki Kids…テレビ「LOVE2あいしてる」で共演。ギターの弟子。
・伊勢正三、井上陽水、泉谷しげる、忌野清志郎、大友康平、小田和正、
さだまさし、浜田省吾、南こうせつ、吉田拓郎
…スーパーバンドを結成して島原救済チャリティーコンサート(=94年)。
・泉谷しげる…泉谷に誘われて奥尻島救済チャリティーコンサートに参加。
・坂崎幸之助…吉田のモノマネのレコードをリリース。
・浜田省吾…デビュー前に吉田のバックバンドでドラムを担当。
・森進一…森のレコード大賞受賞曲「襟裳岬」を作曲(=74年)。
・高木ブー…高木のシングル「僕の大好きな場所」を作曲(=99年)。
・所ジョージ…吉田が作詞作曲の「恋の歌」と所作詞作曲の「精霊もどし」を交換。
・原田真二…プロデュースを担当(77年デビュー)。
・風見しんご…風見のデビュー曲「僕、笑っちゃいます」を作曲。
・南沙織…南のシングル「シンシア」を作曲。
浅田美代子の電話番号を南から教えて貰った。
・わらべ…「めだかの兄弟」を吉田がプロデュース。
・山本コータロー、六文銭、後藤由多加…
一緒にアーティスト主体の音楽制作プロダクション・ユイ音楽工房を設立。
・村上ショージ…吉田のファン。吉田に憧れてギターをはじめた。
・明石家さんま、みうらじゅん、田中義剛、曲山えり…吉田のファン。
・四角佳子…六文銭のメンバー。72年結婚、?年離婚。
・浅田美代子…77年結婚、84年離婚。
離婚後も友人。離婚原因は森下愛子との浮気と噂された。
・森下愛子…86年結婚。
■吉田拓郎
□エピソードなど
・コロムビアフォークコンテスト全国3位。
雑誌「平凡パンチ」で和製ボブ・ディランと紹介された(=66年)。
・第1回ライトミュージックコンテスト中国地区ロック・ヴォーカル部門優勝(=67年)
※ダウンタウンズとして出場
・自主制作盤「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」を発売(=70年)。
上智大学の全共闘メンバーと協力して制作した。
・「イメージの詩」でメジャーデビュー(=70年)。
・若い頃はテレビ出演を断っていた。
・エレックレコードにアーティストとしてではなく契約社員として所属。
自分のレコードを自分で梱包して店に運んでいた。
初任給は3万5千円程度で印税の存在も知らなかった。
辞めたとたん信じられないくらいの額のお金が入ってきた。
・第3回中津川フォークジャンボリーで観客を巻き込んで「人間なんて」を2時間歌い続けた。
・日本初の全国ツアー(=72年)。
・映画「旅の重さ」主題歌・音楽(=72年)。
・「結婚しようよ」のヒットに対して一部の過激なフォークファンが大反発、
コンサート会場で「帰れ」コールをされた。
・売れ始めた頃に「拓郎はキレると怖い」と噂された。
・静岡県つま恋のコンサートで6万人を動員(=75年)。
・愛知県篠島のオールナイトコンサートで約8時間で69曲を歌った(=79年)。
・フォーライフレコードの社長時代、毎日スーツを来て誰よりも早く出社、
取引先の銀行マンとゴルフをしてプレイ中に金利を相談。
・フォーライフレコード代表取締役社長を退任(=82年)。
・映画「刑事物語」の主題歌「唇をかみしめて」は業界初の片面レコード(=82年)。
・1曲のみ収録のシングル「男達の詩」をリリース(=90年)。
・45歳〜50歳の頃、作曲の注文がほとんど来なかった。
・生ギター1本のイメージを持たれがちだが実際は厚みのあるアレンジが大好き。
学生時代から自分で手作業で多重録音をやっていた。
ギター1本の弾き語りは単調な音に飽きてしまう。
・雑誌のインタビューで「僕はそうは思いません」と話しても、
勝手に「オレはそうは思わないぜ」という口調に変えられてしまう。
・50歳になったのを機に新しい音楽を受け入れるようになった。
ちゃんと聴くと売れている曲には必ずいい所があるのが判った。
・テレビ「LOVE2あいしてる」は嫌いな人がゲストな時は自分からは何も話さなかった。
・ビッグバンド編成で全国ツアー(=03年、04年)。
吉田拓郎 1946.04.05 歌手
吉田拓郎 1946.04.05 1970年代総合
吉田拓郎 1946.04.05 旅の重さ
吉田拓郎 1946.04.05 広島県広島県出身