■原田大二郎(はらだ だいじろう)
□肩書き
俳優
□所属
文学座
□本名
原田大二郎
□生年
1944(昭和19)04.05(牡羊座/O型)
□出身地
山口県
□出身校
山口県立熊毛南高校
明治大学卒業
□略歴
70年(26歳)映画「裸の十九歳」主演。
78年(34歳)ドラマ「柳生十兵衛」主演。
98年(54歳)朝ドラ「やんちゃくれ」出演。
※他の主な出演:
舞台 「アンナ・カレーニナ」「マクベス 」「夏の夜の夢」
映画 「エロス+虐殺」「野性の証明」「蒲田行進曲」
ドラマ「Gメン’75」「大岡越前」「痛快! OL通り」
テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!!」「クイズ!!ひらめきパスワード」
□趣味
パソコン テレビゲーム 陶芸 写真 乗馬
□特技
絵画(挿絵) 英会話 デザイン 設計 フェンシング
□資格
囲碁2段
□サイズ
178㎝ 90㎏
■原田大二郎
□幼少時代〜
・父親(養父)は小学校教師。
・祖父は画家。
・ひとりっ子。
・3歳の時、養子縁組で父親の兄の家庭に入った。
横浜から山口へ行く道中の混雑した山陽本線の列車の様子をはっきりと記憶している。
・子供の頃、誰もパンを食べてない時代に母親がパンの弁当を作ってくれた。
・子供の頃、のどにビワの種が引っ掛って呼吸ができなくなって死にかけた。
医者に逆さ吊りにされてお尻をぱんぱん殴られてなんとか出てきた。
・祖父の影響で子供の頃から絵に親しんだ。
・大学時代、ESS(英会話部)。
英語劇出演をきっかけに俳優を志した。
英語は全然駄目だったが声の大きさでオーディションに受かった。
・大学時代、女性に積極的に声をかけた。
皆の前で好きな女性に「好きだ」と宣言した。
■原田大二郎
□私生活
・好物…ハムチーズサンド。パン。もち。ビワ。カフェオレ。
・酒は飲めない。
・健康法…ウォーキング。
・落馬事故で左脚頸骨を粉砕骨折(=02年)。
自分の骨盤から生骨を移植する手術を受けた。
・ぎっくり腰になった事がある。
・運動が苦手。
ゴルフを始めてから球が上に上がるまでに約5年かかった。
・自宅にテレビゲーム専用の部屋がある。
・歴史に興味・関心がある。
・32歳から本格的に油絵を描きはじめた。
別荘にアトリエがある。展覧会に出展、個展を開催。
・モノが捨てられない性分。
ベータのビデオデッキ、8トラのカラオケシステム、昔の衣装などを別荘に保管。
・ペット…ハムスター。
・別荘がある所…長野県八千穂村(八ヶ岳山麓、88年落成、
土地280坪建坪約50坪、6LDK、床暖房、自分で設計した=08.02現在)。
・いきつけ…
うなぎ「神田きくかわ 上野毛店」(=21.04現在)。
イタリア料理「キャンティクアルト」(渋谷区幡ヶ谷)。
旅館「秀峰閣」(富士河口湖温泉)。
・和船を漕ぐのが得意。
・UFOを見た事がある。
・自宅車庫で小火(=97年)。
・芸能界で3本の指に入ると言われる話し好き。
朝から晩までしゃべりっぱなしで一番静かなのは本番中と言われている。
・オヤジギャグが好き。
・文学座演劇研究所に入所した年に父親が他界(=67年)。
・長男はヒルシュスプルング病(先天性巨大結腸症)で生まれた虚弱児だった。
生後1年間で6回肺炎になった。3歳まで固形物食べられなかった。
小中高といじめを受けた。高校卒業間際に登校拒否になった。
・妻の手料理が大好き。
・妻は東洋学園大学現代経営学部教授(=02.03現在)。
■原田大二郎
□人間関係
・古谷一行…親友。
・西岡徳馬…友人。ゴルフ仲間。文学座の1期後輩。
・清水鉱治…友人。
・若林しほ…友人。
・落合恵子…大学のサークル(ESS)の同窓生。
・中島誠之助…別荘が隣同士。
・岩田華怜(AKB48)…親戚。原田の妹が岩田の父方の祖母。
・長谷川隆史…学生時代の友人。
原田が住んでいた3畳間の下宿によく集まっていた(男11人が泊まった事があった)。
卒業後も仕事上のつきあいがある。
・規梭子…70年結婚。大学のサークル(ESS)の1年後輩。
大学時代に英語劇で共演(原田は主演、妻は相手役)。
「結婚を前提につきあってくれ」と告白して「私のタイプじゃないから」と断られたが、
行き先を調べて偶然を装って声をかけるなど、ストーカーのように2年間口説き続けた。
・子供:
長男…虎太郎(こたろう)。74.08.31誕生。
■原田大二郎
□エピソードなど
・文学座研究所に入所(=67年)。
・文学座研究所時代、「今にスターになるから」と頼んで妻に養って貰っていた。
道で拾った財布に入っていた5000円を悩んだ末に生活費にした。
・映画「裸の十九歳」でエランドール新人賞を受賞(=70年)。
・文学座を退団(=73年)。
・文学座時代、ボウリングのピン洗いのアルバイト。
・文学座の新人時代、スーツの背中に自分の名前を書き、ギターを持って歩いていた。
・文学座時代、ブルゾンの背中にマジックで大きく「文学座7期生原田大二郎」と書いていた。
・ドラマ「Gメン’75」をメンタルの問題で23話で途中交番。
・以前は無口だったが、映画「蒲田行進曲」出演をきっかけにおしゃべりになった。
深作監督がどこまでやってもOKを出してくれなかったのでとことん自分を出した。
・ドラマ「柳生十兵衛」主演後、約1年間脇役の仕事を断わり続けて主演の仕事を待っていた。
その間に囲碁を覚えて連日20局打ったのが後に仕事(NHK「囲碁講座」司会)に繋がった。
・個人事務所ロビンフッド・アーティスツを設立(=89年)。
・Jリーグ発足記念メダルのデザインを担当。
・タモリが夏休みをとった時に「笑っていいとも!」の司会を1週間担当。
・様々なジャンルのゲストを相手にトークショー「原田大二郎ゼミナール」を開催(=97年)。
・母校・明治大学文学部の特別招聘教授としてシェークスピアの演劇論演習を講議(=07年)。
・参院選山口選挙区に民主党から出馬して落選(=10年)。
・本読みは得意だが台詞覚えは悪い。
・別荘を「今田ハウジング」で公開(=08年2月13日放送分)。
・将来の夢…作家になって直木賞を取る。
原田大二郎 1944.04.05 俳優
原田大二郎 1944.04.05 裸の十九歳
原田大二郎 1944.04.05 男性芸能人(1970年代)
原田大二郎 1944.04.05 蒲田行進曲