■南原清隆(なんばら きよたか) □肩書き 芸人 タレント 俳優 □所属コンビ ウッチャンナンチャン □本名 南原清隆 □生年 1965(昭和40)02.13(水瓶座/B型) □出身地 香川県高松市 □出身校 高松第一高校 横浜放送映画専門学校演劇科卒業 □略歴(満年齢) 85年(20歳)ウッチャンナンチャン結成。 96年(31歳)テレビ「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」出演。 97年(32歳)ブラックビスケッツとして紅白歌合戦出場。 ※他の主な出演: 映画 「七人のおたく」「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」「その日のまえに」 ドラマ「純愛の街」「渥美清物語」「義経」 テレビ「夢で逢えたら」「UNNAN世界征服宣言」「ヒルナンデス!」 CM 「松下電器産業」「森永製菓」サッポロビール」 □趣味 パソコン 写真 サックス トランペット 格闘技観戦 麻雀 ダーツ アウトドア ゴルフ □特技 社交ダンス ジャズダンス □資格・免許 ラテンダンス1級 モダンダンス1級 小型4級船舶 □サイズ 174㎝ ■南原清隆 □幼少時代〜 ・父親は大工。 ・4人兄弟の長男。 ・子供の頃、耳の先が外向きに尖っていたので「宇宙人」と呼ばれてからかわれた。 ・子供の頃から目立ちたがり屋だった。 小学校時代に皆の前で「電線音頭」を踊った。 ・ジャズダンスを習っていた。 ・高校入学前の春休みに初デート、山でサザンの歌を歌った。 ・高校時代、落語研究会。 ・高校時代、お祭りで獅子舞を踊った。 ・落研の先輩が次々と挫折するのを見て芸人志望から役者志望に方針転換。 ・学生時代、2ヵ月間バーテンダーのアルバイト。 酔った時に作るオリジナルカクテルが好評だった(酔っていたのでレシピは覚えていない)。 ・上京当時、風呂無し・家賃1.8万円のアパートに住んでいた(神奈川県川崎市)。 デビュー後もしばらく住んでいた。 内村のアパートによく遊びに行って風呂を使わせて貰った。 ・横浜放送映画専門学校には田植えの授業があった。 夏場の朝5:00から農作業で同級生の大半が辞めた。 ※「映画作りと農業は似ている」というコンセプト ・専門学校時代、出川哲朗と一緒にダンススクールに通っていた。 ダンサーとしてブロードウェイの舞台に立つ事を真剣に目指していた。 ・専門学校時代、内村が監督した自主映画「お座敷小唄」に主演。 ・横浜放送映画専門学校時代、内村や出川と一緒に新島にナンパ旅行に行った。 ■南原清隆 □私生活 ・好物…うどん(大好物、食べているうちにハイになる) カニ。今川焼。チョコレート。和菓子。 ・健康法…一本歯下駄。 ・顔面のブツブツの為に様々な療法を試した(肌に良い塩、エステなど)。 ・カニの甲羅が怖い。 カニを食べる時には甲羅をひっくり返しておく。 ・好きな映画…「ルパン三世 カリオストロの城」。 ・好きな映画監督…大林宣彦。 ・自宅は建て売りの一軒家(=02.03現在)。 ・自宅が空き巣被害(現金50万円と貴金属など約50万円相当を盗まれた=00年)。 ・世田谷公園のミニSLが好き。 ・カラオケの十八番…近藤真彦。 ・サングラスや帽子を使っても頬骨の部分でバレる。 ・耳たぶフェチ。 人の耳たぶを触るのが好き。 初対面の人にも耳たぶを触らせてほしいと頼む。 ・毎年正月に芸能人仲間を自宅に呼んで新年会を開催。 内村、勝俣、キャイ〜ン、よゐこなどが来る。 ・酒を注がれる時の仕草がかわいい女性が好き。 ・結婚12年目で長男が生まれた。 ■南原清隆 □人間関係 ・名倉潤…友人。ゴルフ友達。 ・内山信二、セイン・カミュ、磯野貴理…小型4級船舶の弟子。 ・内村光良…ウッチャンナンチャンの相方。 ・出川哲朗、内村光良、入江雅人…横浜放送映画専門学校の同級生。 ・杉本彩…「ウリナリ!!」の企画で社交ダンスの日本選手権にペアで出場。 ・ビビアン・スー、天野ひろゆき…ユニット・ブラックビスケッツとして活動。 シングル「スタミナ」をリリース(=97年)。 ・ダウンタウン、野沢直子、清水ミチコ…テレビ「夢で逢えたら」で共演。 ・春風亭小朝…落語の師匠。 ・宮本亜門…ミュージカル「ユーリンタウン」の演出家。 ・大森一樹…「ナトゥ〜踊る! ニンジャ伝説」の監督。 ・出川哲朗、ドロンズ石本、いとうあさこ、ニッチェ…同じ事務所。 ・内海桂子、内海好江…師匠。横浜放送映画専門学校の漫才の授業の特別講師。 すすめられて「お笑いスター誕生」に出場。 ・長谷川初範…横浜放送映画専門学校の先輩。 ・ヒロミ…生年月日が同じ。 ・桑田佳祐…家が近所。 ・蟹江敬三…顔が似ているとよく言われる。 ・原田知世…憧れている芸能人。 ・田中和治…専門学校、劇団時代の友人。※「ウッチャきナンチャき」に出演(=02年) ・吉永静…元メーキャップアーティスト。93.06.26挙式。約6年間交際して結婚。 内村の劇団のメーキャップを手伝っていた事がある。 ・子供: 長男…優世(ゆうせい)。05.03.06誕生。 ■南原清隆 □エピソードなど ・劇団SHALALAを結成(リーダーは出川=89年)。 ・若い頃は臨機応変にリアクションする事が苦手だった。 ・売れない頃、遊ぶ金がなかったので日曜日は4畳半の下宿から一歩も出なかった。 ・「ウリナリ!!」の企画で社交ダンスに挑戦。 日本選手権出場。ラテン1級とモダン1級を取得。 ・「ウリナリ!!」の企画で南々見狂也として映画「ナトゥ」に主演(インドで撮影)。 ・映画「ナトゥ踊る! ニンジャ伝説」の爆破シーンは火薬の量がとても多くて本当に怖かった。 「絶対大丈夫」と言う爆発担当のスタッフは片腕がなかった(以前に一度失敗していた)。 ・「新ウンナンの気分は上々」のコーナー企画「未来日記」の脚本を担当(=00年)。 ・映画「劇場版 未来日記」をプロデュース(=00年)。 ・南原清隆、ネプチューン、ビビるでユニット・はっぱ隊として活動(=01年)。 ・「新ウンナンの気分は上々」の企画で京本バンドを結成(=02年)。 他のメンバーは京本政樹、斉藤暁、リサ・ステッグマイヤー、大木淳。 ・ミュージカル「ユーリンタウン」に出演(=04年)。 ・狂言とコントを組み合わせた「現代狂言」を旗揚げ(=06年)。 ・大事な所でよく噛んでしまう。 発声・発音のワークショップに通った事がある。 ・舞台の本番目によく緊張で吐きそうになる。 ・遠い将来の目標を立てられない。 □ウッチャンナンチャンのエピソードなど ・横浜放送映画専門学校の同級生。 漫才の授業であぶれた同士で組んだ相手が南原だった。 ・最初のコンビ名は「おあずけブラザーズ」だった。 ・若い頃、「仕事場に行く電車賃がない」と内村が南原に電話、 内村が当時住んでいた妙蓮寺まで南原がお金を届けた。 ・当初のコンビ名は「おあずけブラザーズ」だった。 ・昔は臨機応変にリアクションする事が苦手だった。 ・ネタは2人で分担して作る。 内村が筋とオチを考えて南原がふくらませる。 ・テレビ「お笑いスター誕生」オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝(=86年)。 主要参考媒体 テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版) 週刊文春 00年12月21日号 南原清隆 1965.02.13 ウッチャンナンチャン 南原清隆 1965.02.13 香川県高松市 南原清隆 1965.02.13 その日のまえに