■加藤雅也(かとう まさや) □肩書き モデル 俳優 □本名・旧芸名 加藤昌也 □生年 1963(昭和38)04.27(牡牛座/A型) □出身地 奈良県奈良市 □出身校 奈良市立飛鳥小学校 奈良市立春日中学校 奈良県立奈良高校 横浜国立大学教育学部卒業 □略歴(満年齢) 88年(25歳)映画「マリリンに逢いたい」主演。 02年(39歳)大河ドラマ「利家とまつ」出演。 03年(40歳)映画「許されざるもの」出演。 ※他の主な出演: 舞台 「SAMURAI 7」「新・幕末純情伝」 映画 「帝都大戦」「外科室」「BROTHER」 ドラマ「アンフェア」「坂の上の雲」「八重の桜」 □趣味 映画観賞 写真 スキューバダイビング □特技 英会話 陸上 マーシャルアーツ 居合 合気道 ボクシング □資格・免許 教員免許(小・中・高) 普通自動車免許 大型自動二輪免許 □サイズ 183㎝ 72㎏ ■加藤雅也 □幼少時代〜 ・父親はサラリーマン。 ・毋親はパートで働いていた。 ・父方の祖父母は教師。 ・奈良公園の近所に住んでいた。 ・テレビっ子だった。 ドラマ「太陽にほえろ!」の松田優作が大好きだった。 ドラマ「横溝正史シリーズ」をよく見た。 ドラマ「赤い衝撃」の影響でアディダスのウェアが好きだった。 ・平城京跡で野球や凧揚げをして遊んだ。 ・剣道をやっていた。 ・小学生高学年の頃、学習塾に通った。 ・中学受験で東大寺学園と奈良女子大付属を受けて両校とも不合格。 ・高校は県下有数の進学校(進学率100%)。 ・高校時代、陸上部(短距離走)。 100mのベストタイムは11秒3。 高3の時にリレーでインターハイに出場。 ・大学時代、ボクシング部。 ・大学時代、3年間で殆どの単位を取った。 ・大学時代、将来体育教師か数学教師になろうと思って教職を取った。 ・大学時代、日曜日に名画座で玉石混淆の5本立てを観た。 ・スポーツトレーナーの仕事に興味を持っていた時期があった。 ■加藤雅也 □私生活 ・好物…カレーライス。ラーメン。お好み焼き。 おでん。麻婆豆腐。いわしの天ぷら。 オマール海老。辛子明太子。キャビア。 ほうれんそうのソテー。ナチョス。 ・嫌いな食べ物…焼きハマグリ。 ・健康法…ウォーキング。ジョギング。 ・花粉症。 ・夜型。朝5:00〜6:00頃に寝る。 夜中の0:00過ぎから調子が出て来る。 ・映画が大好き。多い時は年間300本観る。 アニメから極道映画までジャンルに関わらずに何でも観る。 面白くなくても最後まで観てどこが面白くないか考える。 ・好きな俳優…ジャック・ニコルソン。リチャード・ギア。 ・パソコンが好き。 ・何事に関しても疑問を感じると気になって仕方がない。 ・いつでも移動できるように部屋には最低限のモノしか置かない。 モノがたまってくると思い切って捨てる。 ・帽子、ネックゥオーマーをたくさん持っている。 ・好きなブランド…ヨウジ・ヤマモト。 ・ラフな服、靴、バッグが好き。 スニーカー、リュックサックを愛用。 ・アブラサスの極薄財布を愛用。 ・住んでいた所…アメリカ・ロサンゼルス(ハリウッド、31歳から6年間)。 ・いきつけ…イタリアン「六本木 シシリア」(=22.07現在)。 ・阪神ファン。 ・グリーンカード(アメリカ永住権)を持っている。 ・アメリカで免許を取った時に貰った免許証は1年前に期限が切れていた。 ・アメリカに住むようになってから和風のモノに興味を持つようになった。 ・一眼レフのデジカメを愛用。人物を撮るのが好き。 ・災害に備えてパスポートを常時携帯。 ・ホテル滞在中に泥棒に入られた事がある。 ・予備の携帯、三叉コンセントを持ち歩く。 ・カラオケの十八番…「ルパン三世」。 ・普段は関西弁で話す。 ■加藤雅也 □人間関係 ・吉川晃司…友人。映画「OKITE」で共演。 ・阿部寛…友人。モデル仲間。 阿部から「ハードボイルドをやりたい」と相談されて 映画「狂銃ルガーP08」の企画を阿部主演で売り込んで実現させた。 ・ユン・ピョウ…友人。飲み友達。 ・笛吹雅子…日本テレビアナウンサー。高校の後輩。 ・ダイアン・レイン…映画「落陽」で共演。 ・ジャクリーン・ビセット…映画「クライムブローカー」で共演。 ・ブルッグ・シールズ…映画「セブンスフロア」で共演。 ・深田恭子…映画「死者の学園祭」で共演してキスシーン。 ・阿部寛、大沢たかお、風間トオル、加勢大周、加藤雅也、 沢村一樹、竹野内豊、田辺誠一、谷原章介、前川泰之 …モデル出身の主な俳優(50音順)。 ・相和潤一…高校の陸上部の顧問。 ※「情報ツウ」にVTR出演(=05年6月22日放送分) ・西田ひかる…加藤のファン。 ・田中美奈子…交際を噂された。 ・藤原紀香…ドラマ「ナオミ」で共演。約4年間交際と噂された。 ・聖子(きよこ)…整形外科医。06.05.17結婚。 映画「風のファイター」の撮影で両肘を痛めた時に診察して貰って知り合った。 「お付き合いを前提に結婚してくれませんか」とプロポーズした。 ・子供: 長女…舞麗奈。10.09.24誕生。 ■加藤雅也 □エピソードなど ・22歳の頃に知人に誘われてモデルの仕事をはじめた。 自ら売り込んで雑誌「メンズクラブ」「メンズノンノ」などで活躍。 モデルとしてパリコレに出演。 ・モデルとしては低身長だったので俳優に転身。 ・松竹の新人オーディションで3000人から選ばれて映画「マリリンに逢いたい」に出演。 ・映画「マリリンに逢いたい」で日本アカデミー賞新人賞。 ・芸名を「加藤昌也」から「加藤雅也」に改名(=91年)。 ・20代の頃、英語を勉強する為に外国人女性のホステスがいる店に通った。 ・本格的な活動の場をハリウッドに求めてロサンゼルスで6年間生活。 ・初めてアメリカでオーディションを受けた時、 「君の英語は何を言っているかわからない」と言われてショックを受けた。 ・主演映画「NOBODY」がアメリカで公開(=98年)。 ・パソコンを常時携帯、ホームページの日記をほぼ毎日更新(=02.10現在)。 ・映画「マッスルヒート」のアクションシーンは全てスタントなし、撮影は超ハードだった。 ・若い頃は文句があるとすぐに口にしていたが、 アメリカで国柄や文化の違いを体感してから許容範囲が広がった。 ・外国映画に多数出演。 アメリカ映画「ゴールデン・サムライ」「セブンスフロア」「ゴジラ」 イギリス映画「ボンデージ・ゲーム」 フランス映画「クライング・フリーマン」 オーストラリア映画「クライムブローカー」 香港映画「恋戦沖縄」(香港)、 韓国映画「風のファイター」 ・映画の出演オファーは役の大小や製作国に関わらず基本的に断らない。 ・45歳の時に舞台「SAMURAI 7」に出演(初舞台)。 ・ヤクザやアウトローを演じる事が多い。 ・数種類の名刺を大量に持ち歩く。 ・奈良市観光特別大使(=19年就任)。 主要参考媒体 テレビタレント人名事典(日外アソシエーツ、第5版) 日刊スポーツ 98年11月28日号 SAY 00年9月号 person 02年12月号 週刊現代 19年2月9日号 加藤雅也 1963.04.27 俳優 加藤雅也 1963.04.27 奈良県奈良市出身 加藤雅也 1963.04.27 横浜国立大学教育学部卒業 加藤雅也 1963.04.27 BROTHER 加藤雅也 1963.04.27 まんぷく 加藤雅也 1963.04.27 ロサンゼルス在住